第二章 夢境日和と午後の記憶
第1話 午後の紅茶と無名の客と
——また、雨だった。
喫茶夢心地のガラス窓を打つ雨粒は、現実と夢の境界を曖昧にしていた。
ユウト・クサナギは、店内の隅、いつもの席に座っていた。
目の前には湯気を立てる紅茶と、薄く焼かれたシナモンクッキー。
けれど彼の視線は、どこか遠くを見ていた。
「紅茶、好みに合いましたか?」
カウンターの奥から、時雨が静かに問いかけてくる。
「ああ……悪くない。というか、前より甘くなった?」
「少し、ですね。今のあなたに合わせて調整しています」
ユウトは薄く笑った。
「俺に合わせて、か……夢の中までパーソナライズされるとはな」
「夢は、記憶の反射です。あなたが少しでも変われば、味にも空気にも表れますよ」
カラン、と入口の鈴が鳴った。
ユウトが顔を上げると、フードを被った人物が入ってきた。
「……やぁ、今日も来てるんだね、君」
“名を失くした客”。
彼女はフードを脱ぎ、カウンターではなくユウトの向かいに腰を下ろした。
「君、夢と現実の境界にいすぎて、疲れてるでしょ」
「……ああ、ちょっとな。でも、ここの空気はまだマシだ」
「そう言って、ここで何人が立ち止まったか」
ユウトは彼女を見つめた。
記憶の靄が、少しずつ晴れていくような感覚がある。
「君は……本当は、誰なんだ?」
「名前があった頃の私を知ってる?」
「いや……でも、知ってた気がする」
彼女は、ほっとしたように笑った。
「それならいい。名前よりも、覚えていてほしい“感情”があるの。
名前は忘れても、心はきっと忘れないから」
雨が止んだ。
空が、うっすらと明るくなっていた。
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