第5話 記録なき観察者

街の灯が滲んで見えた。

 ユウトは無意識のまま、自動販売機の明かりの下に立っていた。


 (何を、してたんだ……)


 手には、買った覚えのない缶コーヒー。

 その温もりだけが、現実をかろうじて繋ぎ止めていた。


 「……最近、よく分からない」


 口に出しても、答える者はいない。

 夢か、現実か、自分すら分からなくなってきていた。


 あの戦いの後、“検閲者”も女の姿も消えた。

 だが、右腕の熱だけは消えない。夜ごと、夢の中で“誰かの声”が問いかけてくる。


 > 『ユウト、お前は——本当に“人間”か?』


 胸の奥が、妙な形に冷たくなる。


・・・


 次の日。

 ユウトは旧都区の図書館を訪れていた。

 “夢心地”に関する痕跡を探すためではない。何か——自分がここに来る理由があった気がした。


 そこに、彼女はいた。


 「ようやく来たわね。……遅いのよ、毎回」


 館内の静寂の中、聞き覚えのある声。


 ——“名前を失くした客”。


 彼女は今日、フードを被っていなかった。

 けれど、その顔にはやはり“記録が宿っていない”。まるで誰の記憶にも残らない顔。


 「君もここに来ることが、分かってたのか?」


 「ええ。だって、あなた“揺れてる”もの。そんなとき、人は“記録”を探しに来るの」


 彼女は、ユウトの前に一冊の古い書を差し出す。

 表紙には、文字がなかった。ただ、夢のようににじんだ“地図”が描かれている。


 「これ、どこか知ってる?」


 ユウトは見た瞬間に分かった。

 ——“あの”階段の先にあった空間。

 仲間を喪い、自分を責めていたあのホール。


 「記録は消されても、観測された“痕跡”は残るのよ。

 この地図を記したのは、かつての“君”かもしれない」


 「……どういうことだ?」


 彼女は、ふっと笑った。だがその笑みは、どこか痛みを含んでいた。


 「あなたは一度、“観測者側”にいた。

 今こうして歩いているのは、記憶を失って“戻された側”。

 でもね、完全に消し去ることなんて、できないのよ。誰かの“優しさ”が、そうさせなかったの」


 ユウトは息を呑む。


 (じゃあ俺は——)


 「君が今ここにいるのは、誰かが“願ったから”。

 あなたが、まだ“誰かを守りたかった”から。……そうでしょう?」


 彼女の声に、何かが揺れた。

 ずっと見て見ぬふりをしていた心の奥。


 ——仲間を守れなかった、あの日。

 何もできなかった自分。

 でも、それでも。


 (もう一度、立ちたかった)


 胸が締めつけられる。

 その痛みは、たしかに「生きている」という証だった。

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