第46話:温泉旅行②

 館内の食事会場は、やわらかな間接照明に照らされ、和と洋が調和したモダンな空間だった。中央に大きなビュッフェ台が設置されていて、季節の料理が美しく並んでいる。

 秋刀魚の塩焼き、茸の炊き込みご飯、豚しゃぶの胡麻だれ仕立て、栗の白和え、南瓜のポタージュ、きのこグラタン……そのどれもが彩り豊かで、目でも舌でも楽しめそうだった。


「すごいね……全部ちょっとずつ食べたい」と、美優が目を輝かせながらトレイを手に取る。


「お鍋もある! あ、すばる、こっちに小鍋の湯豆腐あるよ」


 由梨が指差す先で、湯気を立てる小さな陶器の鍋が並んでいた。


「ほんとだ……嬉しい」


 すばるは目を細めながら、ゆっくり湯豆腐をよそい始めた。

 私もトレイを持って、気になるものを一つずつ小鉢に取っていく。栗ごはんに、南瓜の煮物、茶碗蒸し……どこかほっとする料理ばかりで、自然と表情が緩んだ。


「清華それだけ? もっと食べたら?」


 由梨が私のトレイを覗き込んでくる。


「うん、あとでおかわりする……ちょっとずつ色んなの食べたいなって」


「わかる〜!ってことで私はもう2周目前提で、ガチで盛るよ」


 美優は唐揚げ、ローストビーフ、きのこピラフ、そしてなぜかサラダを山盛りにしていた。


「なんか順番おかしくない?」と私が苦笑すると、


「旅のときぐらい、好きな順でいーの!」


 楽しげにそう言って、美優は席に戻っていった。

 テーブルに戻り、4人がそれぞれの料理を前に座る。


「じゃあ……いただきます」


 声をそろえて箸を取り、まずは一口。


「この炊き込みご飯、すっごい秋って感じする……」


 私がつぶやくと、すばるがこくりと頷いた。


「わかる。椎茸の香りがちゃんとして……なんか、静かに嬉しくなる味」


「このグラタンも、ちゃんと中に舞茸入ってた。ボクの好きな味だ」


 由梨が親指を立てながら言って、笑いがこぼれる。


「みんなで旅行に来て食べるビュッフェ、最高の贅沢だよね」


 美優は唐揚げを頬張りながら、満足そうに目を細めている。

 旅先のごはんは、不思議といつもより味がしみて感じられる。

 ちょっとした会話の一つひとつも、気づけば思い出に変わっていく気がした。

 湯気の立つ器を囲みながら、笑い声がぽつぽつと夜に溶けていく。

 そんな時間が、心のどこかを、ゆっくりとほどいてくれている気がした。



 * * *



 夕食を終えたあと、私たちは館内の温泉へと足を運んだ。館内は少し照明が落とされていて、夜の空気に溶けるような静けさが漂っている。

 脱衣所に入ると、木の香りが鼻をくすぐった。


「わあ、広い……!」


 美優が思わず声を漏らす。壁一面に鏡が並び、木の棚には整然とバスタオルと小さな籠が並べられていた。


「ここのお風呂、露天もあるって書いてたね」


 由梨が棚に荷物を置きながら、少しだけ嬉しそうに言う。

 服を脱ぎ、バスタオルで軽く体を隠して脱衣所を出ると、浴室からはすでに湯けむりが立ち込めていた。

 内湯はひのき風呂で、やわらかく香る木のにおいが心地いい。湯の表面には小さな灯りが映り込み、静かに揺れていた。


「……はー、気持ちいい」


 由梨が小さく伸びながら、横で髪を濡らしていた。

 

「ボク、ここのシャンプーの香り好きかも。ちょっと柑橘系?」

 

「うん、オレンジっぽいね」


 美優が頷いて、自分の髪にも泡をなじませながら言った。

 

「旅館のって、意外といい香りするんだよね。ちょっと高そうなやつ」


 そんな話を聞きながら、私も手に取ったシャンプーを髪に広げていく。


「……清華の髪なめらかすぎじゃない?」


 美優が、ちらっと私の頭をのぞき込んでくる。

 

「さらさらっていうか……なんか、櫛いらなそう」

 

「そんなことないよ。絡まるよ、たまに」

 

「いやいや、こっち見て? 私のこの量。これ乾かすのめっちゃ時間かかるんだからね?」


 言いながら、美優は自分の長い髪を持ち上げて見せた。思わず私も笑ってしまう。

 

「すばるって、ショートなのに首のラインとかすごく綺麗」


 由梨が言うと、すばるはちょっと恥ずかしそうに肩をすくめた。

 

「……あんまり何もしてないけど、動くからかな」

 

「やっぱり体幹とか違うのかもねー。触ると絶対締まってるやつだ」


 美優が笑いながら言い、由梨がこっそり頷く。

 それぞれに洗い終えた私たちは、浴槽へと向かう。


「ん……あったかい……」


 肩まで湯に浸かったすばるが、静かに目を閉じてため息をつく。


「ぬるめでいいね。ずっと浸かってられそう」


 私もゆっくりと湯に身を沈めながら、そうつぶやいた。


「ほんと、旅の疲れが全部抜けていく感じ〜」


 美優はごきげんな様子で足をぷかぷかさせている。


「……夜って、音が少ない分、湯の音とか、自分の息の音がよく聞こえるよね」


 すばるがぽつりとつぶやく。

 まるで時間が溶けていくような、不思議な感覚。

 気づけば無言になっていたけれど、それでも誰かがそばにいるという気配だけで、充分に心が落ち着いた。


 しばらくして、誰からともなく露天風呂へ移動することにした。

 外に出ると、澄んだ空気が肌に触れて、湯気がふわっと立ちのぼる。


「……星、出てる」


 由梨が空を見上げて、小さく声を上げた。

 見上げた空には、澄み渡るような星が瞬いていた。冬に近づく夜空は、どこか張りつめたような冷たさと、静かな透明感を帯びている。


「さっきまで曇ってたのにね。ラッキーかも」


 美優が笑う。


「静かだね……」


 すばるがぽつりとつぶやき、それに誰も返さないまま、また数秒の静寂が流れる。

 私も湯船の縁に背中を預けて、星を見上げた。

 こうして湯に浸かりながら、誰かとただ黙って空を見上げる——そんな時間があることが、少し不思議で、でも、とても自然に感じた。

 湯のぬくもりと、肌を撫でる夜の風。

 その両方が、ゆっくりと、私の輪郭をなぞるようにして、優しく包んでくれる。



 * * *



 湯から上がると、ぽかぽかに温まった身体に冷たい空気が心地よく感じられた。

 館内の廊下を歩いていると、すばるがぽつりとつぶやく。


「……なんか、すっごく眠くなってきた」


「今日は長旅で疲れたもんね〜。温泉って、なんであんなに眠気を誘うんだろ……」


 美優が大きく伸びをしながら、眠そうな目をこすっている。


「……ボク、牛乳買ってから戻る」


 由梨はすっと自販機の方へ向かっていった。

 部屋に戻ると、空気はすっかり夜の色に染まっていた。

 照明は落として、スタンドのやわらかな灯りだけが、静かに辺りを照らしていた。


「歯、磨いてくるね〜」


 美優が洗面所の方へ行き、すばるは既に布団にくるまっていた。

 私はポットからそっと白湯を注ぎ、窓際に腰を下ろした。窓の外はうっすらと霧がかかっていて、月がぼんやりと光っているのが見える。


 ……にぎやかな時間も好きだけど、こういう夜の静けさの中に身を置くと、不思議と、自分の輪郭が浮かび上がってくるような気がする。


 少し前までの私は、演じていれば安心だった。

 何をどうすれば人に好かれるのか、わかっていた。

 可愛くふるまえば、愛される。明るくすれば、褒められる。

 そんなふうにして、私は理想の自分を演じてきた。


 けど——その先で、私は見失った。

 演じているうちに、それが私自身になってしまって、

 本当は、何を感じていたのか。何が好きだったのか。

 どうやって人とつながりたかったのか、わからなくなっていった。


 ……夜空の下で、みんなと並んで湯に浸かっていたとき。

 言葉はなかったけど、それでも、心が静かに満たされていく感覚があった。

 無理に笑わなくてもいい、頑張って盛り上げなくてもいい。

 ただそこにいて、呼吸を重ねて、空を見て、

 そんなふうに誰かと並んでいるだけで、嬉しいと思える夜がある。

 そんなときに浮かんだのは、あの言葉だった。


 ——寄り添うために、演じたい。


 誰かの寂しさにそっと触れるように。

 誰かの心に、やわらかく響くように。

 そんな声を、私は届けていきたいんだ。

 ガラスに映る私の表情は、どこか穏やかだった。


「……なんか、変なの」


 ふと笑みがこぼれて、私は残りの白湯を飲み干した。

 あしたも、みんなと歩けることが、ちょっと楽しみだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る