第45話:温泉旅行①

 電車が緩やかに揺れるたび、窓の向こうの風景が、少しずつ遠ざかっていく。

 私はいま、大学の友達と一緒に、温泉街を目指している。

 こんなふうに誰かと旅行に出かけるなんて、人生で初めてだろう。


 すばると由梨と美優。

 この3人といる時間は、なんだかいつも自然で、無理に何かを話さなきゃとか、気を使いすぎることもない。

 もちろん、打ち解けるまではそれなりに時間がかかった。でも、気がつけば私は、このメンバーと一緒にいるのが当たり前になっていた。

 旅行のきっかけは、数週間前の昼休みだった。



 * * *



「旅行、行かない?」


 何気ない一言だった。美優が、いつものテンションでぽんとそう言ったのは、テラスの窓辺でパンをかじりながらのことだった。


「いいね、それ。温泉とか、どう?」


 由梨がすぐに乗って、すばるも「電車で行けるところがいいな」と小さく頷いた。


「行くなら11月の週末とかどう? レポートもひと段落してる頃だし」


 由梨の提案に、私も自然と「それなら……行けるかも」と頷いていた。

 無理に合わせたわけじゃない。流されただけでもない。

 ただそのとき、ふと、ああ、みんなと出かけてみたいなって思ったのだ。



 * * *



「……清華? 寝てた?」


 隣の席から、美優が小声で覗き込んでくる。

 私は少しだけ首を振った。


「ううん。なんとなく、ぼーっとしてただけ」


「そっか。もうすぐ駅着くよ。私、温泉街って初めてだな〜。楽しみだね!」


 美優の何気ない言葉に、私はちょっとだけ笑った。

 車窓の向こうに、山並みと小さな町の姿が見えてきていた。


 今日の私はVtuberではなく、ただの大学生としてここにいる。

 少しだけ不思議で、でもたしかに、心は軽かった。


 温泉街の駅に降り立つと、ふわりと硫黄の匂いが鼻をかすめた。

 改札を抜けて、あたりを見回す。

 小さな町並みに、和風の旅館や土産物店、足湯の湯気が立ちのぼる風景、私は思わず一歩立ち止まって辺りを見回した。


「わ〜、思ったよりちゃんと温泉街って感じ!」


 美優が嬉しそうに声を上げると、すばるも「うん。静かで、いいとこだね」とゆっくり頷く。


「こっちの通り、雰囲気よさそうじゃない?」


 由梨が指差したのは、細い石畳の道。古い町屋風の建物が並び、どこか懐かしさを感じさせる。

 みんなでのんびりと歩き出す。足元の石畳がこつ、こつ、と靴音を返して、旅に来たんだという実感が少しずつ湧いてくる。

 途中、手焼き煎餅の店を覗いたり、瓶のラムネを買ったり。

 誰かが何かを見つけるたびに、小さな笑いがこぼれる。


「見て見て、猫の湯のみだって。ちょっと欲しいかも」


「お揃いで買う? どうする、じゃんけんで決める?」


「……別に買えばいいじゃん」


 そんなやりとりも、どこか心地いい。

 私はふと、すれ違う観光客の中に、自分が自然に混ざっていることに気づいた。

 誰かに見られているわけでもなく、評価されるでもなく。

 ただ、こうして笑って、歩いて、景色を眺めている――それだけのことが、こんなに穏やかなのだと、みんなと過ごす時間が増えるたびに感じていた。

 由梨がふと立ち止まり、前を見上げた。


「あれ、足湯だよ。寄ってく?」


「いいね! ちょっと休憩したい」


 美優がうれしそうに声を弾ませ、すばるも無言でうなずいた。


「清華も入るよね?」

 

 由梨が自然に私の方を見る。


「うん。……入りたい」


 そう答えた私の声は、少しだけ風に溶けて、でもしっかりと届いていた。

 小さな足湯の縁に腰を下ろすと、じんわりと温かさが足先から染みてきた。


「……はぁ〜、しあわせ」


 美優が気の抜けた声を漏らす。


「わかる。これ、永遠に入っていられるやつ」


 由梨が口元をゆるめながら、タオルで足をくるりと巻いた。

 湯気がふわふわと立ちのぼって、夕方の風をやわらげている。隣で、すばるが静かに目を閉じた。


「なんか、修学旅行っぽいね」


 ぽつりと私が言うと、由梨が笑った。


「それ言うなら、女子旅じゃない? オトナっぽいやつ」


「清華って、旅行とかあんまり行ったことないの?」


 美優が首をかしげる。


「うん、友達とどこかに出かけるの、たぶん初めてかも」


「えっ、まじで?」


「……ちょっと意外かも」


 反応がばらばらに返ってくるのが、どこか面白くて私は笑ってしまった。


「でも、すごく楽しい。なんていうか……新鮮って感じ」


「……それわかるかも」


 すばるが目を開けずにそう言った。


「うん。最近ちょっと、そういうのがわかってきた気がする」


 無理に話さなくても、黙っていても、足元のあたたかさが繋いでくれている気がした。


「夜ごはんは何食べれるかな〜」


 美優が元気よく話題を切り替える。


「旅館のごはん、結構豪華っぽかったよね」


 みんなで旅館のごはんについてしばらく語っていた。

 お湯の温度もちょうどよくて、誰も急ごうとしないのが心地よかった。

 私は、目の前の小さな湯気の向こうに浮かぶ景色を、ただぼんやりと見つめていた。


 ──なんだろう、この感じ。

 自分でも気づかないうちに、力が抜けていた。



 * * *



 足元に敷かれた小石の感触を確かめながら、私たちは静かに旅館の玄関をくぐった。

 「いらっしゃいませ」と微笑むスタッフに迎えられ、ロビーのソファで一息ついた後、名前を記入してチェックインを済ませる。渡されたルームキーを手に、私たちはエレベーターで2階へと向かった。

 案内された部屋は、よくある8畳の和室だった。テーブルが中央に置かれ、壁際にはすでに布団が積まれている。


「うわー、和室! 匂いも最高!」と、美優が思わず声を上げた。


「こういうの、落ち着くよね」と、すばるがスーツケースを壁際に寄せながら言う。


 由梨は畳に座り、ぐっと背伸びしてから「あー、ボクこういうの、けっこう好きかも」と笑った。


 私は小さく息をついて、座卓の前に腰を下ろす。非日常なのに、妙に落ち着く空間だった。


「とりあえず浴衣に着替えて、ちょっと早めのごはん行こっか?」


 美優のひと言に、みんな頷いた。

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