第34話

深い闇の中にいるような感覚だった。

洞窟は深く、奥に進めば進むほど外の光は届かなくなる。


確かに暗いのは間違いないのだが、明暗には時間が経てばそのうち慣れる。そう思っていた。

しかし、単純に暗いというだけでなく不思議な感覚に襲われたのだ。自分が闇そのものの中にいるかのような。空気が身体にまとわりつき、息をするのも疲れるような緊張感だった。


クマの頭が見えた。その向かいに女性が立っている。暗いはずなのになぜかそれはよくわかった。


迷わずに弓を引く。クマの頭に当たれば多少はひるませられるかもしれない。

矢を放った。矢はまっすぐにクマ目掛けて飛び、クマの目のあたりを射抜いた。


クマが倒れる。運よく致命傷になったか。なさかたった一本の矢で倒してしまうなんて。

そう思った時だった。


「誰だい。私の邪魔をする奴は」


女の声がした。助けを求めるでも、恐怖に怯えるでもなくその声は怒りに満ちていた。

その瞬間、背筋の凍る思いだった。怒気を含んだ女の声が恐ろしかったのだ。


すぐに悟った。「こいつは魔女だ」と。


「魔女?」


聞きなれない単語に話の途中で思わず聞き返してしまう。

ジークが頷き、僕に説明してくれる。


魔女というのは所謂「魔法を使う女性」を指す言葉らしい。男性であればそれは単に魔法使いと呼ばれるが、女性が使えば魔女と呼ばれる。

呼び分けされるのは世界各地のどの国でも魔法を使える女性の方が男性よりも多いというのが理由の一つのようだ。


この魔法というのはあらゆる種類の物を指していて、例えばこの国で発展した「固有魔法」。これを扱える者も魔法使いというらしい。

話を聞きながら「それなら僕も魔法使いか」と納得する。


ジークの出会った魔女は多種に渡る魔法を操る類まれなる才覚の持ち主だったらしい。


「中でもその魔女が得意とするのは『呪い』だった。生命を犠牲にして他者を攻撃する悪しき魔法さ。俺はその呪いの儀式とやらの邪魔をしてしまったんだ」


ジークが出会った魔女はクマを犠牲にして誰かを呪おうとしていたらしい。

魔法によって既に瀕死の状態だったクマは、魔法が発動する前にジークの放った弓で命を絶たれた。


魔法は発動せず、魔女の呪いは失敗した。


「後で知ったことだが、呪いというのはかなり強力な魔法で代償も大きい。一度失敗すると同じ相手に同じ呪いは二度とかけられないらしい」


ジークが補足する。

邪魔をされた魔女の怒りは相当なものだった。


「あと少しで……あと少しでアイツを殺せたのに……。よくも……よくも邪魔してくれたな!」


その剣幕にジークはさらに恐怖した。それでも懸命に言い訳する。


「違うんです。貴方が襲われているんだと思って……だから助けようと……」


「ごめんなさい」とジークは何度も頭を下げた。しかし魔女は聞き入れない。


「そうかい。優しい子だね。でも知ってたかい。クマの頭蓋骨は硬いんだ。私に魔法で弱ってさえいなければ、そんなちんけな弓で命を取れるほど安い相手じゃないんだよ。あんたはその無知で私の邪魔をしたんだ。これは死に値する重罪だよ」


魔女の言葉は本気だった。それは言葉の端々からジークに伝わる。このままではまるで羽虫を叩くかのごとく簡単に命を奪われてしまう。


ジークはさらに弁明した。自分が無知ではなかったと必死に乞う。

実際、彼は自分の弓でクマの命を絶てるわけではないと知っていた。


もしも命を奪のならもっと近づいて、頭ではなく肺や心臓を狙って矢を何本かいる必要がある。

そうしなかったのはクマの気をこちらに向かせたいだけだったからだ。


ジークは狩人だが、むやみに殺すことはない。動物が好きで命を奪う時には敬意を払う。

これは彼なりの考えで、人に話せば「無意味なこと」と嘲笑されるかもしれないが、ジークはこの闇の深い洞窟の中でクマを殺したくなかったのだ。

この洞窟にはただ暗いというだけでなく闇が立ち込める雰囲気がある。こんな場所で殺してしまったらクマの魂が闇に取り込まれてしまう気がした。


そのことを説明すると魔女はそれを鼻で笑った。


「そうかい。お前は動物にまで優しいんだね」


魔女は「無意味なこと」とは口にしなかった。しかし、そう思っているであろうことはジークにひしひしと伝わった。

殺気は消えていない。ジークは背中に汗をかき、足を震わせた。逃げる気力も残っていなかった。逃げても無駄だと諦めてしまっていた。


死を予感したジークに魔女が不可解な言葉を投げる。


「そんなに動物が好きなら、お前もなってみるといいよ」


そう言って指を振る。魔女の姿がジークの視界から消えた。

一瞬の出来事だった。闇に包み込まれるようなあの不気味な感覚は消え失せ、代わりに静寂だけが残った。


周囲を見渡しても魔女の姿はない。気配すら感じない。

ホッとしつつ、ジークは魔女の言葉が気になった。


「お前もなってみるといい」


それがどういう意味だったのかはすぐに分かった。

洞窟を出て滝の周りにできた水面に映る自分を見た時である。今までの自分の姿はそこになかった。


代わりに、全身を体毛で覆われ、尖った耳と大きな牙を持つ化け物の姿がそこにあった。

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植物の声が聞こえる魔法でゆるり異世界畑生活 六山葵 @SML_SeiginoMikataLove

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