植物の声が聞こえる魔法でゆるり異世界畑生活

六山葵

プロローグ

第1話

空が晴れている。雲一つない青空だ。

太陽の光を十分に浴びて伸びをする。


癖毛の茶色い髪が風に吹かれてかすかに揺れた。


「うーん。絶好の収穫日和だ」


傍らの麦わら帽子を手に取って髪を抑えつける。庭に手作りした簡易的な柵を通り抜け、その先にある畑に向かう。


「いつか田舎に家を買って趣味で畑をやりつつのんびりと暮らしたい」


そんな風に思ったことがあるのはきっと僕だけじゃないはずだ。きっと、都会の喧騒の中で忙しなく働いている人にはそんな希望を抱えている人もいるはずだ。


僕はそうだった。毎日電車に揺られ、疲れた身体をまるごと預けるように吊革につかまっている間。いつも「いつか仕事を辞めて田舎に引っ越そう」と考えていた。


でもその夢はなかなか実現しなかった。

いざ実行しようと思えばいくらでも方法はあったはずなのに。生活を捨てて新しい世界に飛び込む勇気が足りなかった。「まだお金が溜まっていない」そんなありきたりな理由をつけてずっと先延ばしにしていたんだ。


その夢がようやく叶ったのは僕の意思とは関係なかった。そして、まさかそれが異世界で実現するとは夢にも思わなかったんだ。


この世界に来たのは一年前。正確には前世の記憶を取り戻したのが一年前だ。

新しい世界で、僕はアレンという名前で生活していた。


最初の内はとても混乱した。それまで普通だと思っていたすべての事実がひっくり返されたような感じ。


記憶が混濁し、自分が前の世界の人間なのかそれともただの平凡なアレンなのかわからなくなった。

でもそれもやがて治まっていく。少し経つと記憶は少しずつ薄れて行って、定着していった。

記憶が戻った当初は様々なことを覚えていたけど、今はほとんどがうっすらとしている。自分が前世の記憶を持っているなんて夢のような話だと思うこともある。


突発的に蘇った記憶は一瞬だけ僕を混乱させて姿を潜めた。まるでいたずらっ子のように。でも僕はこれを神様からの贈り物だと考えている。

何故って、前世の記憶が僕の人生の道しるべをくれたからだ。


前世の僕は「田舎に家を買ってゆったりと過ごす」夢を持っていた。そしてそれに僕は共感したんだ。

どんなに過去を忘れてもその夢だけは忘れなかった。だから贈り物。きっと前世の僕が果たせなかった田舎暮らしを僕はこの人生で果たしたかったんだと思う。

それを思い出させるために僕の記憶は蘇ったんじゃないだろうか。


記憶を取り戻した時、僕はちょうど祖父の墓の前に立っていた。

小山の中にひっそりと建つ小さな山小屋の裏に作った墓だ。祖父は僕の親代わりだった。

一番身近で最愛だった人との別れ。これはからは自分の力で生きていかなければならないという自立心が記憶を思い出すきっかけとなったのかもしれない。


前世の記憶は持っているのに、とても小さかった頃の記憶はない。

僕は捨てられていたらしい。森の中で泣く僕を見つけて育ててくれたのが祖父だ。

血の繋がりはない。それでも祖父は抱えきれないほどの愛情を注いでくれたと思う。


僕に「生き方」を教えてくれた。世界のことも。

死ぬ間際、病床の上で祖父は僕に言った。


「お前を独りにしてしまうことだけが心残りだ。お前の力は無闇に明かしてはいけない。この小屋をやる。道具も好きに使え。そしていつか、本当に信頼できる人が現れた時にだけ、その人に力を明かせ」


祖父の遺言通り、僕は山小屋で一人暮らしている。迷いやすい森を抜けないとたどり着けない小屋には誰も来ない。

その小屋の周りに畑を作って、自分の力を隠しながら生きているんだ。


独りは寂しくない。そもそも孤独を感じることは滅多にない。


「おいアレン。今日はジャガイモが収穫時だぜ。あの野郎朝から早く抜けってうるせぇんだ。さっさと行ってやれ」


畑に入ると赤い玉が僕の足にまとわりつく。赤くまるまるとした姿。つやがあり、みずみずしさも伝わってくるその姿は誰もが良く知るトマトそのものである。


トマトに足や手が生えて自由に動いまわるなんて信じられるだろうか。

初めて見た時、僕は驚いた。しかしこれこそが僕がこの世界を異世界だと信じた証拠であり、祖父が「隠しておけ」と言った力の正体だ。


僕には「植物の声を聞く」という特別な力があった。この世界ではそう言った力を「固有魔法」と呼ぶのだと生前に祖父が教えてくれた。


トマトが自由に動き回っているように見えるのは僕だけらしい。他の人には彼の姿は見えないし、声も聞こえないそうだ。

もしも祖父が固有魔法について教えてくれなかったら僕は自分がおかしくなったのだと誤解していただろう。


祖父曰く、固有魔法は特別珍しいわけではないらしい。世界中を探せば広い範囲で特別な力を持った人に出会えると。

ただ、町行く人全員が持っていると言えるほど普及しているわけでもない。


祖父がこの力を隠しておけと言ったのは僕の身を案じてのことだった。


「固有魔法を持っている人は特別扱いされる。だがそれは良いことばかりではない。他の人とは違うということは『普通』を捨てなければならないということだ。普通の暮らし、普通の人生が送れなく立った人たちを私は何人も見てきた」


それが祖父の口癖だった。

若い頃の祖父の友人が固有魔法のせいで歪んだ人生を送ったらしい。


だから祖父は固有魔法の扱いに人一倍厳しく、僕は人から隠されるように育てられてきたのだ。

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