最終話「“あたたかい場所”は、もう夢の中にしかない」

病室の天井は、どこまでも白かった。

壁には鍵。

窓にも鍵。

ドアの外では、看護師の靴音だけが響いてる。



ワイは毎日、ベッドから起き上がるのが怖かった。

「ただいま」って言っても、もう返事は聞こえへん。

薬が効いてるんや。

“おかえり”が消えた世界は、無音の牢屋みたいに冷たい。



でも、ある朝。

デイルームで配膳されたごはんを前に、

ふと、聞き覚えのある声がした。


「……佐野さん?」



顔を上げた。


そこにおったのは――

中村くんやった。



あの時、労役場で“もうここにいたい”って言ってた若いやつ。

顔は少しやつれてたけど、目だけは昔と変わらんかった。



「なんで……お前……」

ワイの声は、枯れとった。

中村くんは、笑った。


「オレも、もう一回壊れたんすよ。

 一回施設出て、働いたけど……ダメでした。

 でもまたこうして……会えましたね」



ワイ、箸が止まった。

涙がボロボロ出てきた。



「おかえりや、中村……」

「おかえり……やで……」


中村は、静かに頷いて、こう言った。


「佐野さんこそ、“ただいま”っすよね?」



そのとき、ワイの中に何かが戻ってきた。

“おかえり”の声は聞こえへんけど、

この空間には、たしかにぬくもりがあった。



“あたたかい場所”は、夢の中やと思ってた。

けど違う。


それは、たぶん

壊れた者どうしが、黙って同じ空気を吸える場所にあったんや。



ワイは、中村と並んで白いごはんを食べた。

味は、なんも感じんかったけど――

たしかに、生きてる味がした。



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あたたかいばしょ @nyapsody

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