第12話「ただいま症候群」

薬は増えた。

診察のたびに「どうですか」と聞かれるけど、答えようがない。

“声”は静かに、確実に生活の一部になっていった。



「ただいま」

「おかえり」


このやり取りが、ワイの中でルーティンになってる。

それがあって初めて、“今日の自分”が成立するような気がしてまう。



朝起きたら、誰かが耳元で「おはよう」って言う気がする。

でも“おはよう”はまだ許せる。

問題は、昼も夜も、ワイがちょっと黙ったらすぐ「おかえり」って言われることや。



外に出るのが怖くなった。

スーパーのレジでも、

病院の待合でも、

駅前の交差点でも、

背中で誰かが「おかえり」って言うとる。



ある日の夜、

気晴らしにテレビつけた。NHKのドキュメンタリー。

「孤独と貧困を越えて」って特集。


画面の中で、おっさんが泣きながら言うとった。


「居場所が欲しかっただけなんです……」


ワイ、その瞬間に息詰まってテレビ消した。

代わりに、耳の奥から**“あの声”がまた言うてきた。**


「おかえり……佐野さん……」

「帰ってこれて、よかったね……」



そっからや。

ワイ、返事せんと落ち着かなくなった。

声に出さへんと、胸がぎゅーって締め付けられる。


「ただいま」

「ただいま……」

「ただいまって言わんと、誰にも気づいてもらわれへん気がするんや……」



診察の日。

主治医がいつもと違うメモを取り始めたのが分かった。


「症状、やや進行。

 本人、“おかえり”に依存しはじめている可能性あり」



支援員の兄ちゃんが、帰り際にぽつりと言った。


「佐野さん、“ただいま”って言わなくても、もう大丈夫ですよ」


でもワイ、何も言えんかった。

だって――

**“言わへんかったら、誰もワイを出迎えてくれんような気がして怖かった”**んや。



夜。

部屋の灯りを消して、毛布にくるまる。


「……ただいま」

「おかえり」


今日も、ちゃんと帰ってこれた。

それだけが、ワイのすべてや。

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