久遠寺燈という先輩

つなくっく

第1話

 久遠寺くおんじあかりという先輩は、まるで虎のようだ。

 それが私にとっての第一印象だった。

 耳にはばちばちにピアス穴が空いている。髪は金色で、頭頂部が黒いプリン頭。遠くからでもすぐわかる虎の色。長さはセミロングだけど、ヘアゴムで後ろに束ねている。その様も虎の尻尾のようだった。

 制服を緩く着ていて、胸の谷間が見えたこともある。スカートは短くて、私よりもずっと背が高い。頭頂部が先輩の鎖骨あたりに来る。たぶん百七十センチはあるかも。

 鋭い眼光と、大きなツリ目。猫目って言うんだっけ。そして小さい顔と白い肌。金髪のくせに化粧気が少ない。

 八重歯が可愛い。でも微かに黄色くなっていて、すれ違う度に煙草の匂いがする。

 ギャルって呼ばれる人種、なのかな? とても馴染みのない人達。

 と言っても、休み時間や移動教室の時、登下校の時に見かけるだけ。いつも偶然で突然。先輩は私の存在など認識してないと思う。

 ではなぜ、私が先輩の名前を知っているのかと言うと——美術室の壁に、先輩の絵が飾られているからだ。


『無題』一年A組 久遠寺燈


 技術的な意味とか、表現の難しいことは正直分からない。他人の作品に対してあれこれ講評を立てられるほど偉くもない。

 でも。

 一目見た瞬間、釘付けになった。この絵から目が離せなくなった。

 今でも絵の前を通るたびに、決まりきったかのように立ち止まってしまう。私は美術部に所属しているから、毎日美術室へ行くたび目に留まる。顧問の先生曰く、先輩が一年生の頃——つまり私たちと同じ学年の時に描いたものらしい。

「また見てるの?」

 同じ美術部に所属するクラスメイトから呼びかけられ、また我に返る。

 またこの絵に見入ってしまったようだった。毎度毎度、馬鹿みたいに立ち止まってしまうのが少しだけ恥ずかしくて……なんでもないかのように振る舞おうとした。

「この先輩、幽霊部員なんだよね。在籍だけして滅多に来ないという」

 私が入学して数ヶ月。部室で姿を見たこともなかった。部長曰く、退部しているわけでもなく、途中から来なくなったものの籍は残しているらしい。

「へぇ……」

「この先輩のこと、気になる? 好きなの?」

 いきなり核心を突かれて、心の準備ができていなかった。

「べ……その……」別に、と否定しようとして、しかしできなくて中途半端な言葉になってしまった。

「……別に、好きとか嫌いとかないけど。よく知らない人だし」

「いつも先輩の絵見てるじゃん」

「私は、その、部内展覧会に来るかなって思っただけ」

「来月の?」

「でも何年も部活来てないなら、無理だよね」

「誘ってみればいいのに」

 彼女がなんとなしに放った言葉。それは天啓のように私を捉えて放さなかった。


◇◇◇


 金髪の先輩は、屋上にいた。

 フェンスの下に腰掛けて煙草をふかしている。自分の吐いた紫煙が、天空に消えていく様を見つめているようだった。

 授業をサボった先輩がここで煙草を吸っているというのをようやく突き止め、私は初めて仮病を使った。

「久遠寺先輩、ですよね」

「誰?」

 警戒するような瞳。

 気圧されそうになるが、私は美術部員であること、先輩の絵をいつも見ていること、今度開かれる部内展覧会に出てほしいことを早口で捲し立てた。

 先輩は煙草を隠しもせず、つまらなそうに聞いていたが。

「嫌」

 短く、そしてにべもなく答えた。

「なんでそんなに誘うの? 所属してたら全うしなきゃーみたいな義務感?」

 また息を吐き出す。紫煙と共に何か別のものを吐き出すように続けた。

「部活所属だからこれを描かなきゃなんて言わないでよね。くだらない!」

 先輩が大きな目を細める。まるで睨みつけられているようで、しかしそれは気のせいではないと思った。

「絵っていうのは強制されて描くものじゃない……でも部活でやってたら、部内行事で描きたくもない時でも描く羽目になる。もうウンザリなの。部の決まりって何? 描きたいものを描きたい時に描いて何が悪いわけ?」

「でも、先輩は退部届出してないですよね」

「あれは、一悶着するのが面倒なだけ……何なの? 部長の回し者?」

 お腹の底に重いものを感じる。

「好きなんです、先輩の絵が!」

 それは靄のように溜まり、私を突き動かした。

「先輩は良いですよ。そうやってタバコ吸ってスカしていれば良いんですから……」

 それは想いであり。

「私はどうなるんですか? 私、いつも先輩の絵を見入ってしまうんです……」

 苦情であり。

「授業中も。部活中も。家でも。先輩の絵が頭から離れないんです!」

 怒りだった。

「もっと先輩の絵が見てみたいんです。テスト勉強も手に付かなくて……昨日数学のテストで赤点取っちゃいました!」

 少し息が上がっている気がする。お腹の中にあったものはすっかり消えていた。

「だから、展覧会参加してください! 責任取ってください!」

 言い終わって達成感。そして安堵感。

「……ふっ」

 長い沈黙の後、先輩は口角を上げた。

「そんなこと、初めて言われた。追試? あーし、数学は得意なんだ。追試の勉強見てあげよっか」

「い、いりません……」

 急に恥ずかしさが襲ってきて逃げ出したくなる。

 私はなんてことを言ってしまったのか。考えてみれば先輩には関係のないこと。なのに自分勝手な我儘をぶちまけてしまった。

 謝罪の言葉を探している私に対して。

「じゃあ、追試で満点だったらさ……」

 先輩は大きな目を私に向け、前歯を見せて笑った。


◇◇◇


 数週間後。

 部内展覧会に出品された絵が、美術室前の廊下に貼り出されていた。

 一つの絵の傍らに、作者名が記載されている。


『無題2』三年C組 久遠寺燈


 いつも題名考えるの面倒くさい! と先輩は言っていた。

 例のごとく、私はまた足を止める。

「燈、何で久々に絵描く気なったの?」

 声に振り返ると、声の主の隣に絵の作者がいた。

「んー、この子に捕食されたっていうか?」

「捕食……?」

「この子、見かけによらずグイグイ来るからさ。無事食べられて、絆されちゃいましたとさ」

 虎のような先輩は、私の頭に掌を載せ、わしわしと撫でる。

 私が追試で満点を取ったら、絵を描いてくれる約束をしたのだけれど……その約束をむやみに口外されなかったのは、ちょっと嬉しい。

 見上げると、相変わらず先輩の髪は虎のようで。

 先輩にとっては、私の方が虎のように見えているようだった。

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久遠寺燈という先輩 つなくっく @tunacook

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