5-5 DELETEキー
指先が、触れ合った。
それだけで、時間が止まったようだった。
校庭の中心。仮想の世界。星も風もない、閉じられた空間。
ふたりの距離は、もう息ひとつ分もないほど近く、
けれどその間には、別れという名の重力が静かに横たわっていた。
玲奈は、悠斗の目を見ていた。
悠斗も、玲奈の目を見ていた。
その視線は、もう言葉では動かない。
感情も、涙も、全部、通り越していた。
ただひとつ、
悠斗の唇が、わずかに震えた。
「……終わらせて」
その言葉が放たれた瞬間、
玲奈の時間は極端に遅くなった。
脳が、理解を拒もうとする。
でも、指先はすでに、操作パネルへと伸びていた。
《ユニットY10/削除操作 実行確認》
《この操作は取り消せません》
《実行ボタンに、2点接触が必要です》
玲奈の視界に浮かぶ、赤いサークル。
その隣に、悠斗の指がそっと添えられる。
皮膚と皮膚が、かすかに触れる。
仮想空間のはずなのに、確かに“ぬくもり”があった。
呼吸が、玲奈の唇を揺らした。
彼が言う。
「一緒に……押して」
彼女は、うなずいた。
そして、指を重ねる。
1秒。
永遠の1秒。
彼の手の中にあった命。
彼女の胸にあった願い。
そのすべてが、ただ一つの「選択」という動作に収束していく。
玲奈の指が、ゆっくりと沈む。
悠斗の指も、それに合わせて動く。
二人の指が、完全に一致したとき、
実行サークルが赤く点滅し——
《DELETE:実行》
ホログラムが、無音で爆ぜた。
空間が、静かに、崩れはじめる。
ゆっくりと、やさしく、
まるで夢から覚めるように。
玲奈は、まだその場に立っていた。
目の前で、悠斗の輪郭が薄れていく。
髪の揺れが止まり、指の先が透け、笑みの影だけが、最後に残った。
「……ありがとう」
最後の言葉は、音ではなく——
心の奥に、直接触れるように届いた。
そして彼は、消えた。
空はまだ黒いまま。
風も、星もない。
でも玲奈の頬を、確かに何かが通り過ぎた。
それは、涙かもしれなかったし、
彼の残した記憶のかけらだったかもしれなかった。
でも玲奈は、もう震えていなかった。
その手は、まっすぐだった。
選択を、自分で受け止めた者の手だった。
虚空に浮かぶ「DELETE」マークが、静かに消えた。
そして仮想世界は、
完全な“無音”へと沈んだ。
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