3-5 システム負荷

足音が速くなる。

ヒールの接触音が仮想床に響き、通路のパネルがわずかに揺れた。


玲奈は感情を押し込めるように廊下を歩いていた。

――いや、逃げていた。


陽菜という名前。

思い出してはいけなかった名前。

忘れたと思っていたはずの時間。


なんで……なんで、知ってるの……?


目の前の空間に、微細なノイズが走る。

ホログラムの照明がちらつき、廊下の壁面が波打つように歪んだ。


《警告:感情値過飽和》

《仮想環境構造に影響が検出されました》

《システム安定性:79% → 46% → 31%…》


玲奈はその警告を無視する。

システムのエラーメッセージが視界に割り込んできても、彼女は立ち止まらなかった。


そして――その瞬間。


床が、割れた。


 


通路のホログラム床が、悲鳴のようなビープ音とともに亀裂を走らせ、

人工構造物が“物理現象”として崩壊を始めた。


ガラス状の破片が宙に舞い、

バリバリと音を立ててアーチ状の天井が歪む。


教室のドアが一斉に開き、空虚な空間が露出する。

そこには何もない――“生成されていない”虚無の空間。

記憶のない場所。


「……っ、システム……制御、再同期……!」


玲奈は反射的に左手を上げ、UIホログラムを呼び出す。

だが、コマンドが反応するより先に、背後から壁が爆ぜるように崩れ、

透明な火花が雨のように降ってきた。


視界が乱れ、風景が走馬灯のように重なる。

陽菜の笑い声、焼け焦げたフィルム、机の裏の刻印。

そして悠斗の――あの目。


感情ログが暴走している。

玲奈の記憶が、仮想空間の物理レイヤーに直接干渉している。


「やば……ッ」


身体がバランスを失い、傾いた床に足を取られた瞬間、

右肩に走った衝撃とともに、視界が強制フェードアウトを開始した。


 


《システム遮断:緊急介入モード》

《負荷リミッター作動:使用者保護処理を開始します》

《接続解除まで、5、4、3……》


玲奈の耳に、警告音が遠く響いた。


光が、赤く――深く、点滅を繰り返す。


 


そして、視界は――落ちた。


 


――黒に。

――沈黙に。


 


彼女の体が地面に倒れる直前、

悠斗の声がどこかで呼びかけた気がした。


「玲奈……!」


でも、その声は、今は届かない。

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