ニ.御猫、同胞と敵に出会う

 この世の中には、妖怪と呼ばれる存在が人間とは別に在る。

 それは俺のような猫から転じた猫又であったり、人間以外の生き物が様々な要因によって変わることが多い。

 けれど、それだけではもちろんない。

 例えば生まれついての妖怪であったり、かなりの例外だけれど人間が何かしらのものに触れて突然に変異してしまうことだってある。

 理由はあったりなかったり。それこそ千差万別で共感するものも、何ひとつ共感することの出来ないものも等しく存在する。

 俺はこの等しさを不均衡だと思うけれど、世界というやつはこうやってバランスを取っているらしかった。

 在り方も生き方も、個々に違って多種多様。

 人間に限ったところでそうなのだから、ここに妖怪の類まで含めると多種も多様も広がるばかりだろう。

 それが理由で諍いになったり、主義や主張の違いによる衝突が発生する場合だってあり得るのではないだろうか。もちろん必ず衝突が発生するとは限らないが、発生しないとも限らない。世の中は複雑だ。

 そんな事情を人間の側で承知している者は多くない。妖怪の類は人間の運営する街を間借りしているという手前もあり、この手の事情はかなり多くが認識しているのだけれど。

 言ってしまえば認識の状況は凄まじいまでにアンバランスだ。しかも事情を承知している人間というのは、かなりの確率で妖怪の存在に対して反発する考えを持っている。

 ここでの確率というのは、俺の主観に基づいたところがかなり強い。しかも俺は穏健な方だと自負はしていても妖怪だ。自然、偏りのある認識になってしまっているだろうところについては、容赦をして欲しい。

 その辺りを差し引いても、今述べたような人間は残念ながら妖怪と相対することが発生しがちだった。目的はもちろん、相手の排斥と排除だ。

 これは人間にしても妖怪にしても言えることだが、会わないから相手を否定し叩きのめしてやろうなどとすることは、非常によろしくない。

 だって、その諍いで割を食うものはある程度発生してしまうのだから。俺もその一人だ。

 正直、勘弁して欲しい。平和に生きたいだけ、揉めることなく共存したいだけだというのに、たまったものではない。

 俺は人間のことも好ましいと思っている。妖怪たちにも同様のもの感じているからこそ否定するつもりはまったくないのだが。

 妖怪を肯定することが人間を否定することになることなど認めないし、そんなつもりは断じてない。

 何が言いたいかと言えば、光線的な人間にも妖怪にも俺は辟易しているということだ。

 そんな辟易した気持ちを抱えながら俺は街の中をあてもなく歩いていた。

 頃合いは夕陽が夜をそろそろ連れてこようかという、そんなところだ。

 もちろんただ気軽に散歩を楽しんでいるというわけではなく、巡回とでも言えば良いだろうか。

 力の弱い妖怪が分別のない人間と衝突するということを防ぐために、無力かつ悪意もない人間が何かしら妖怪によって影響や被害を受けてしまわないために。

 それが巡回というやつの目的だった。

 そして案の定。残念ながらこの巡回は功を奏した。

 夕闇に覆われすっかり暗さを増した裏路地に、やたらと華美な装飾で飾り立てた人間の姿がひとつ。

 タイトなワンピースから伸びた長い脚が、地面を踏みつけていた。ヒールの高い靴が地面へ下ろされる度に鈍い音がする。

 俺は反射的に顔を顰めた。

 そうなってしまうのも仕方がない。彼女の足元には、力の弱い変化すらまだ出来ないような妖怪がいたのだから。

 機械的に響く鈍い音を止めるべく、俺は彼女へと近づいた。

「何? 邪魔しないでくれる?」

 彼女は振り返りもせず言う。冷たく拒絶する声だが、その冷たさも圧も俺には特に彼女を警戒させるものにはならない。不快には思う、それだけだ。

「さすがにはそれはどうかと思うよ?」

 そう声をかけてみると、ぎろりと振り返り様に睨まれた。視線にははっきりと侮蔑が浮かんでいる。

「妖怪に情けなんていらないわよ」

 彼女は吐き捨てるように言った。

 どうやら俺が妖怪ってことに気づいてはいないらしい。そうでなければ煽る意味であえて言っているか、そのどちらかだろう。

「妖怪が嫌い? お姉さん」

 俺の言葉に華美な女は、ただでさえ不快そうだった表情をさらに不快そうに──否、不愉快そうに歪めた。

「嫌い? そんなモンじゃないわよ。こんなヤツ存在しちゃいけない、人間にとって害しかないんだから当然憎いわ」

 なかなかに辛辣だ。

「妖怪なんて、全部残らず消え去ればいいのよ」

 吐き捨てるように、そして冷ややかに彼女は不機嫌そうに不愉快そうに言った。

 彼女には彼女の思うところがあるのだろう。

 俺だってその気持ちを理解出来ないとまで言うつもりはない。けれど、その思うところ──憎しみや不快さ──だけを理由にして相手を害すると言うのはおかしな話だろう。

 筋が通らない話だ。

「嫌いでもいいけれど、今してることはやっぱり……どうかと思うよ?」

「……あんた、何なの。ウザいわよ」

 それはそうだろう。見知らぬ誰かに自分の行動を咎められるなんて、良い気分になるはずがない。

 逆の立場だったら、俺でも雑な対応をしてしまうだろうと思う。

「俺は……そうだな。中立の立場にいる者だよ」

「そう。それなら」

 相変わらず鋭い視線を俺に向けたまま、彼女は敵意をもさらに向けてきた。

「あんたも消えなさい」

 言うが早いか彼女は、手の中に潜ませてたらしいナイフを俺に向ける。

「危ないなぁ」

 俺は笑って目の前に立つ彼女を真っ直ぐに見つめた。もしかすると、目は冷たく感じられたかもしれない。

 笑い事でも笑える状況でもなかったし、何より俺は怒りを感じていたから。目が笑っていない、とでも言えばいいのかな。

 それを感じたのかもしれない彼女は、お俺を警戒しながら一歩後退した。

「笑ってんじゃないわよ」

 これは牽制。

「……笑わないとやってられないんだよ」

 俺はつい吐き捨ててしまった。まだまだ俺も未熟だなぁ、なんて思い知る。彼女よりも格段に長生きなはずなんだけれど──困ったものだ。

 彼女は俺にナイフを向けたまま、一度息を呑む。

「……なるほど、あんたも妖怪なのね」

「やっと気づいたの?」

 煽る形になった俺の問いかけに彼女は露骨な舌打ちを返してきた。

「妖怪なら、なおのこと死になさい」

 彼女がさっきを漲らせてこちらへナイフを向けたまま一歩踏み込んでくる。直上的で直線的な攻撃だ。

「遠慮させてもらうよ」

 攻撃をかわして彼女の方を見る。もちろん油断なんてしない。向こうには殺意があるのだから。

 俺のかわしたあとの場所にナイフが到達する。空を切るだけだが、速度はかなりのものだ。威力も相当のものだろう。

 これはもう少し真剣にやらないといけなさそうだ。

「こう見えてあたし、妖怪退治で生計立ててんのよ」

 彼女は不敵に笑って俺に言う。

 まぁ、そうだろうなと思った。ナイフの先から感じるものも、素人時見ているようで迷いの全くない動きだ。思うところは、十分過ぎるほどにあった。

 それで本当に途中まで俺が妖怪だと分かっていなかったんならお笑い種だけれど……ここは俺の能力というか技術の賜物だったと思っておこう。

 変に相手の名誉に気を遣ってしまった。

「そうなんだろうとは思ったよ。普通の人間はそんな風にか弱い存在を目の敵になんてしないからね」

「か弱い? そんなことはどうでも良いのよ。力があろうがなかろうが、妖怪であるならそれは敵。で、あたしの生活になるモノ。だから、そいつもあんたも早く消えなさい」

 さっきまで痛めつけていた変化の一つも出来ない弱い妖怪に、彼女は足を向ける。

 まだ定形もしっかり持てず今は丸い形になった妖怪は、その身体についた目を大きく見開くとかろうじて彼女の足から逃げるべく地面を転がった。

 初撃はそれで躱せる。だが、次はない。容赦なく次の一撃が振り下ろされるだけだ。

「……っ」

 さすがにこんな横暴を見ていられない。ここで見逃してしまえば、どうして割って入ってきたのかという話にもなる。

 見逃してなど、やるものか。

 俺はギリギリのところで標的となった妖怪を掴んで抱え上げる。抱えると言ってもそれは小さなもので、掴み上げると評した方が正しい。

 何にせよ、二発目の彼女の攻撃を俺は俺の手で回避させることに成功した。

 露骨な舌打ちと共に彼女は表情を歪ませる。だがすぐにまた不敵に笑うと、ナイフを構え直して俺とさっきまで標的にしていた妖怪を睨みつけた。

 ものすごい剣幕だなと思う。殺意に満ちた女からの視線を受け止めながら、これで仕事だと言うのだから私怨この上ないなとも思った。

「避けるんじゃないわよ」

「それは聞けない話だね」

 忌々しそうな視線に俺は笑ってみせる。

 気持ちに余裕があるとはお世辞にも言えなかったけれど、それを態度に示したら終わりだと思ったからだ。

 手に抱く同胞のためにも、相手に乗せられる訳にはいかなかった。

「俺たちは平和に暮らしたいだけだよ。人間に危害を加えるつもりなんてない。妖怪だからとひとまとめにされても困る」

 伝えてみると彼女は、殊更に嫌そうな顔をする。うん、そんな気はしてた。

 彼女は一度口を聞こうとしたが、無駄だと思ったのか途中でそれをやめてナイフを構え直す。

 正直なところ、俺としてはかなり面倒な状況だった。激昂でもしてくれる方が動きやすいというものだ。

 それなのに彼女ときたら、強く激しい感情を持ちながらもその感情に完全に流されてしまうでもない。割とこれは厄介な話だった。

 逃げるが勝ち、と思っているのだけれど。

「妖怪は敵よ、人間のね。揃って消えなさい」

 彼女は冷ややかで激しい殺意を俺たちに向けた。今度こそ仕留めてやると、狩人のように俺たちを見据えている。

 お互い何度目だろうか。通らないと分かりきっている主張を向けるのは。どうあっても相容れず、どうあっても交れず、どう足掻いても平行線。

 分かり合うどころか、妥協点を見出すことも叶わない。それくらい俺と彼女の主義主張は違う。

 土台、平和的解決など無理な話だった。

 それならば。

 俺は俺の命と主張を貫き、終わらせないことに全力を賭けるべきだ。妖怪は長命なだけで不死ではないし、弱点だって存在する。

 彼女のような妖怪退治を生業としている人間がいるということが、俺たちに弱点が存在する生き物であることの証明だ。

 胸元に抱いた同胞に俺は小さな声で「もう少ししたらここを離脱するから。安心していいよ」と伝える。先と同じく丸い形状を保ったそれは、何度も肯定するように縦向きに全身を揺らした。

 相変わらず殺意のこもった視線は突き刺さる。何度も〝消えろ〟と口にするだけのことはあるものだ。

 しかし俺は怯むことなく、視線を返す。こちらだって彼女の思い通りになってやるつもりはない。望みは貫き切る、そう固く誓った。

 彼女は手元のナイフを握り直し、刃物の先を俺たちの方へ向けるとヒールの靴で地面を蹴る。同じタイミングで俺も地面を蹴って後方へと飛んだ。

 詰まることのない距離に彼女は苛立たしげに舌打ちを落とす。いいきみだ、俺はそのままもう一度同じ動作で後方へ退がり、笑った。

「妖怪退治屋さんは知ってる? 生き物の生命力を奪う妖怪がいるって」

 俺の声に彼女は応えない。

「それが俺だよ」

 真偽のほどを見定めようとしているのだろう、彼女は警戒こそ変わらずしているが攻撃の手は止めた。

 今の所彼女に俺は攻撃を仕掛けてはいないし、防御を受け流す形ではなく回避をし続けている。そのあたりが今の発言に信憑性を持たせてくれるはずだ。

 実際はそんなこと出来ないので、ばれたらおしまいなのだけど。現状、即失敗ということはなさそうだった。

「……その能力を、相手を選んで使えるって言うの?」

 彼女の声からは困惑の気配が、表情からは訝しむ色がはっきりと刻まれている。視線は俺の胸元にまっすぐ注がれていて、なるほどこのか弱い妖怪の生命力は奪わずにいられるのかと問いたいらしい。

 俺は思わせぶりに笑って見せた。これ以上は嘘の言葉を重ねたくはないからね。次の言葉でボロが出るのは火を見るより明らかなのだから。

 俺と彼女は睨み合う。

 やがて彼女が、俺のことを小馬鹿にするようにせせら笑った。

「……それが本当だったとしても、仕留めてしまえいいだけの話ね」

 だめだ……この人間、狂戦士の部類か。

 何度目だろう、ナイフをしっかりと構え直す彼女の姿を見据える。ここから逃れなければならない。

 俺はこれまで以上に身体に力をこめると、思い切り後ろへ飛ぶ。人間の姿のときにはあまりやりたくないのだけれど、そんなわがままを言っている場合じゃない。

 着地の瞬間に俺は、自分のカタチを人間から猫のものへと変える。抱いていた同胞を口で咥えて、一目散に駆けた。

「チッ、逃げんな! 化け物!」

 彼女の声が遠くなる。

 確か中国の兵法書にも、逃走は損害を避ける策として記されていた。彼女が少々であっても妖怪というものに対して強い感情があるからこそ、こんな行動にも出られるというものだ。

 ありがとう、ムキになってくれて。

 これは煽りではなくて本音。今回はそれで俺もこの小さな同胞も被害なく、彼女の前から姿を消すことが出来るというものだった。

 いつかまた、顔を合わす日があるかもしれないが、その時はその時だ。

 気配であの退治屋を撒いたと確認すると、それまでひたすらに屋根の上を辿り続けてきたことをやめて地面へと降りる。

 そっと咥えていた同胞を地面へ降ろすと「に」とそれは言葉にならない声を発した。

「悪かったね、時間がかかっちゃって。今度はああいう手合いに見つからないようにね」

 身体についた大きな瞳で俺のことを見ていたけれど、結局返事もそこそこに足元にぺたりとくっついてくる。うん?

「ににに、に」

「えぇと……」

 意図は理解した。けれど、これまで俺は何かしら行動をし続けていたことはない。妖怪に転じる前の人間くらいのものだ。

 だから、一緒にいたいと伝えられたところで困惑してしまうばかりだった。

「やめといた方が……」

「に!」

 決意は硬そうだ。

 その時、いつだったかに聞いた言葉が蘇る。

『旅は道連れ、という言葉がある。実際にはもっと長い言葉だった気がするがね。まあいい、生き物の生きるということそのものも、また旅だという説がある。私とお前、連れ立って旅に出てみようか』

 つい笑ってしまった。確かに、そうだ。

「に?」

「……いいよ。旅は道連れ、だからね」

 猫の身体にぐりぐりと丸い物体が擦り付く。

 不思議な気持ちだった。

 うん、悪くない。初めてとも言っていい旅のつれに、俺は何だか嬉しくなる。

 苦労もたくさんあるだろうけれど、まだまだ楽しいことはたくさんありそうだ。

 俺はまだ見ぬ何かに期待し、旅のつれの体をぺろりと舐めた。 

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