第35話 新しい聖女

 針金のように真っ直ぐで美しいピンクブロンドの髪に神秘的なアメジストの瞳。雪のように白いその首元には燦然と輝くエメラルドのネックレスが飾られ、その身にまとう純白のドレスにはふんだんに繊細なレースやリボンが飾られている。

 白魚のようなその指には同じく大粒のエメラルドとアメジスト、そしてダイアモンドの指輪がいくつもはめられていた。

 その手を彼女は患者へと伸ばす。と、傷を負っていた男性の左腕は瞬く間に白い光に包まれ、その傷は消え、後には健康な皮膚だけが残った。

「ああ、聖女さま。ありがとうございます」

「かまわないわ」

 にっこりと聖女、アイリーンは微笑む。

 場所はリジェル王国にある治療院のうちのひとつだった。

 治療院のエントランスに彼女は一段高い場所を作り、そこに椅子を用意させて座っている。

 その前には治療を求める人々が列をなして並んでいた。

 感謝の言葉を告げて立ち去る患者のことを笑顔で見送り、次の順番の患者に治癒術を施す。

 その姿は確かに『理想の聖女』そのものだ。


「治癒術で治してもらっちゃったよ」

 治療院から出てきた男性は外で待っていた職場の同僚にそう言った。

「まじかよ。ラッキーじゃん」

「いままでは治癒術師の数が少ないことと労働環境の改善のためにちょっとした怪我なら手当てで対応じゃなかったか?」

 同僚のうちの一人がそう首をかしげる。

「エレノア様が確か協力呼びかけてたろ」

「しらねぇよ。解決したのかね?」

「まぁ、治してもらえるならどっちでもいいよ。治癒術の方が痛み長引かねーしラッキー」

「確かになぁ」

 笑う男達の背後にはまだまだ治療院へと続く長蛇の列が続いていた。


 キャロルはいらいらとしていた。

(こんなはずじゃなかったのに!)

 理由は聖女の交代と治療院の体制の変更だ。

 数ヶ月前、リジェル王国の聖女はエレノアからアイリーンへと変更となった。

 それはいい。

 治療院の治癒術師として働いているキャロルにとってエレノアはよくわからなくて鼻につく女だった。二十一歳の自分よりも若いくせに爵位や聖女の肩書きだけで上に立つ偉そうな少女だ。彼女が次々と打ち出す改革も、その最初からキャロルは居たわけではないが、振り回される現場はたまったものではなかった。

 特に治癒術以外の手動的な手当ての導入などどう考えても時代を逆行しているとしか思えない悪手だと侮蔑していた。

 治癒術が発展してその技術により救える人間が増えたのに前時代的な手当てなどを再導入するなど愚の骨頂だ。そしてその手当てしかできないスタッフが多少は下がるものの治癒術師と遜色ないくらいの給金を得ているという実態も腹立たしかった。

(貴重な治癒術師のことを一体なんだと思っているの!)

 しかも年かさのスタッフにいたっては治癒術師であるキャロルに口答えまでしてくるのだ。確かにキャロルはまだ治療院に来て日が浅く、多少ミスをしたかも知れない。しかしそれを同じ治癒術師ではないものが注意するなど不敬にもほどがある。

 他の場所ではありえない待遇だ。

 だからエレノアの失脚はキャロルにとっては朗報だった。さらには新しい聖女であるアイリーンは治癒術師を重宝してその給金を上げ、それ以外のスタッフを大幅にクビにしてくれた。万々歳だ。

(……そう思ってたのにっ!!)

「キャロル! 早く第二診察室に急いで! もたもたしないの!」

 先輩である治癒術師に怒鳴られてキャロルは走る。

 その結果どうなったか。馬車馬のごとく働かされている現状である。

 エレノアが聖女として取り仕切っていた頃は長ければ一時間、短くても三十分くらいは座って昼食を取る時間が設けられていた。しかし今はそんな余裕はなく、立ちながら昼食のパンを噛みちぎるのが精一杯だ。

 次から次へと四六時中治療にかり出される。アイリーンは時々来て患者を診るが、どれも自力で歩ける軽傷の者ばかりを一時間ほど診るだけである。たまに重傷者も診ているようだが、その際には一人二人だけ治療して帰ってしまう。

(エレノアの奴は重傷な患者ばかりを治していたのに……)

 もちろんエレノアとていつも居たわけではない。彼女は野外活動にもご執心だったため、数日に一度ふらっと訪れて重傷な患者を治して去って行くのだ。

 しかし今はそれを当てにできない。重傷な患者を治療院にいる治癒術師だけでなんとか治しきらなくてはならないのだ。

(そんなの魔力が持つわけがない)

 ろくに休憩も取らせてもらえない日々が続いているのだ。現に消耗しすぎて小さな傷を治すのですら力を振り絞らねばならない状況だった。

(もういや……)

 ふらふらとキャロルはバックヤードへとたどり着いた。時刻はもう深夜だ。一日中治療に奔走して事務処理がまだ終わっていない。

 なんとか椅子に腰掛けると「考え直せないか!」という声が響いてきてキャロルはのろのろと顔を上げた。

 そこには老齢の治癒術師の女性と年若い女性の治癒術士が数名、そしてその正面にリーダーを任されている男性の治癒術師が立っていた。

「そんな急に辞めるだなんて」

「でもねぇ、もう無理なのよ」

 老齢の女性も困ったように話す。

「もともとわたしはこの年齢でしょう。日に数時間の勤務でいいとエレノア様が言ってくださって、そしていままでその約束を守ってくださっていたから働けていたの。でもその約束はアイリーン様に代わってからはなかったことになったわ。わたしの体力ではもう働けないの」

「そ、それは……」

「わたし達も、まだ子どもが小さくて……」

 遠慮がちに他の女性達も告げる。

「短い時間の勤務で融通がきくからいままでは働けていたけど、今の仕事量では家のことができません。なんとか母に子どものことを任せて働いていましたけど、最近は母の体調も思わしくなくて……」

「うちもなんだか主人がよく体調を崩すようになってしまって……」

「流行り病も増えている気が……」

「だ、だからこそ、いま治療院にも人手が……っ!」

 すがるように言うリーダーに彼女たちは顔を見合わせる。

「申し訳ありませんが、今の状態の治療院にはとても勤められません」

「家族のことで手一杯で……」

「うう……っ」

 最もな言い分になにも言い返せずリーダーはうなだれた。

 彼女達は一人一人申し訳なさそうに丁寧に頭を下げると去って行く。

(ちょっと待ってよ)

 キャロルは絶望した。

(ただでさえ忙しいのに、さらに人が減って忙しくなるわけ!?)

「地獄ねぇ」

 隣でそれを聞いていた先輩治癒術師がつぶやく。

 キャロルの表情に気づくと彼女はしたり顔で言った。

「あんたは若いから知らないだろうけど、エレノア様が来る前の治療院は悲惨だったのよ。給料も低いし人も足りないしその分手抜きが多くて治療を求めてくる人も少なかったけど、やっとまともになったのに、この分じゃ昔に逆戻りかしらぁ」

 そう言うと彼女は立ち上がる。

「あたしまともな治療のできる場所に勤めたいから、あんまりひどくなるようなら別の場所に行くわ。お金がなくても平等に治療が受けられる場所に誇りをもってたけど、自分のこと削ってまで続けられないし」

「あんたも身の振り方考えといたほうがいいわよ」と言って先輩も立ち去ってしまう。

 キャロルは呆然とした。

 エレノアの唱える『人手不足の解消』『治癒術師がたくさんいなくても回る体制』などふざけた戯言だと馬鹿にしていた。

 彼女はこんなことになるだなんて、ちっとも思ってなかったのだ。

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