第34話 治療後

「ハナコ! 大丈夫か!?」

 焦った声とともにそのドアは開かれた。

 天蓋のついた大きなベッドがその部屋には鎮座していた。その中に枕に背を預けるようにしてもたれる女性はその美しい水色の髪で隠れていた顔をあげる。

 さらりとながれる髪の隙間から意思の強いサファイアの瞳が覗いた。

 無表情の彼女はその白い肌に血の気がないこともあるが、どこか人形めいていて不気味な印象を与える。

「ああ、ロラン。ちょうどいいところに」

 しかしすぐに飛び込んできたロランの姿を見てにこりと笑った。その笑みに急に血の気が通いだし先ほどの無機質な印象は霧散する。

「ちょうどいい、とは……」

「うん、とてもちょうどいい」

 そう言うと彼女は白い紙をロランとその背後に控えるレスター、そしてレンに広げてみせた。

「実は今女神教の歌を作っていたところなんだ。ちょうど完成したので聞いてほしい」

「……それは今やることだったのか? 元気そうでなによりではあるが……」

 とまどうロランの突っ込みに、ハナコのいるベッドの横に控えるようにして座っていたケイトがため息をついた。


「宗教には歌がつきものだろう。女神教にあとひとつ足りないのは歌だと思ったんだ」

 そう花子は静かに語った。その言葉にケイトは再びため息をつき、レスターは発言を控えるように無言を貫いている。レンは何かを言おうとしたがレスターによりその口を塞がれていた。

「宗教に歌はつきものなのか?」

 ベッドサイドに用意された椅子に腰掛けてロランが尋ねた。それに花子はひょうひょうと答える。

「賛美歌とかあるだろう」

「なるほど?」

「納得なさらないでください」

 説得されかけるロランにケイトが口をはさんだ。彼女はじろりと花子のことを睨む。

「女神教にはもうすでに正式な賛美歌がございます」

「いやだ、あんなつまらない歌」

 花子は唇をとがらせた。

 リジェル王国には確かに女神教の賛美歌が存在した。しかしあまりノリのよくないとても真面目な歌なのだ。

「じゃあどんな歌がいいんだ?」

「よくぞ聞いてくれた!」

 ロランの問いかけに花子は身を乗り出した。そして再び紙を広げる。

 そこには作詞作曲花子の歌が書かれていた。

 ごほん、と花子はひとつ咳払いをした。


 闇ーにひそみー、泣く人にー

 近づく影がー、あれはだれだー

 そうだ、我らこそ女神教(女神教ー※コーラス)

 近づき這い寄り-、信者を増やせー

 涙を流す人あらば、ハンカチを差しだしー

 傷つく人あれば包帯を巻くー

 そうすれば、ほら、


「ここからサビだ」


 信者が増殖-(増殖ー※コーラス)

 それはまるで増えるわかめのごとく

 増殖ー(増殖ー※コーラス)

 ひとり残らず狩りつくせ!


「わっれーら! 女神きょっ!」

「絶対にやめてください」

 気持ちよく歌っていた花子にケイトがぴしゃりと釘を刺した。花子は冷たい氷のような目をした自身の侍女のことを見つめる。

「わっれーら、女神教-」

「意地でも最後まで歌いきらないでください」

「まだ最後じゃない。二番がある」

「きりの良いところまで歌うのもやめてください」

 ちぇっ、と舌打ちをする。

 どうにもケイトはこういったことには厳しくていけない。

「まぁ、斬新な歌ではあるな……」

 ロランはそんな二人のことを見て控えめな感想を述べた。それにケイトは再びため息をつく。

「お嬢様は作詞作曲の才能『だけ』はないんですから、あまり無謀なことはなさらないでください」

「『だけ』……」

「ええ、『だけ』です。他のことは学業も絵画も歌唱の成績も大変優秀でいらしたでしょう」

 それは前世の知識を多少悪用しているだけだ。

 とは言うと余計にうるさくなりそうなため花子は黙っていた。

「ま、まぁ、作るだけならいいだろう。できれば休むことに時間を使って欲しかった気持ちはあるが……」

 なだめるようにいいつつロランも若干思うところがあるらしい。花子は肩をすくめて見せる。

「別に無理をしたわけじゃない。寝過ぎて暇だから落書きしていただけだ」

「それならいいんだが……。きみは無茶をするから困る」

 ロランも小さく息をつくと、ふいにその透き通った水色の瞳を真剣に細めた。

「傷の具合はどうだ」

「順調に回復しているよ。神経は傷ついていなかったのか比較的指も動く。ただし動かすと激痛が走るのが難点だ」

「まだ動かすなよ、安静にしておけ!」

 花子の返答にレンが我慢できないというようにレスターを押しのけて怒鳴った。それに花子はにこりと微笑む。

「すでに傷口は塞がっている。現代医学ではできるだけ早期のリハビリが回復を促すのが通例だ」

「なんの話だ!」

 彼はずかずかと肩を怒らせて近寄ると両手を腰に当てて胸を張った。

「元聖女かなんかしらないが、治療したのは俺だぞ! 手当をした人間の言うことを聞け!」

 花子は自らの左手をぐーぱーに動かす。

「おい!」

「君の縫合技術は素晴らしいものだ。正直もう動かしてもかまわないとわたしは思うが、しかしまぁ、確かに主治医の言うことには従わねばならない」

 実際痛みは走るものの縫い目は不思議なくらいきっちりと合わさっていて引き連れる感じも少ない。治療の後に塗られた謎の塗り薬がかなり効いたように思う。

(そういえば乙女ゲーム内に一応ポーションなどが存在していたな)

 MPとHPを回復できる万能ポーションのようなものがあった。塗られた薬はポーションの形態はしていなかったものの、類似する何かしらだったのかも知れない。

(奥が深いな)

 治癒術もそうだが、この世界には花子の知らない治療技術がきっとたくさんあるのだろう。

 花子はレンのことを見た。彼の脳内はおそらく花子の知らない治療技術の宝庫だ。

「な、なんだよ」

「いや?」

 花子の視線に気まずそうにたじろぐレンに、彼女は微笑みかけた。

「おとなしく安静にしていよう。その代わりにわたしに塗った治療薬を後で見せてくれ」

「はぁっ!?」

「……とりあえず治すことにまずは専念してくれ」

 目を剥くレンに、同情するようにその肩をたたきながらロランは諭す。「そうだな、こうしよう。きみがおとなしく治療に専念してくれたなら完治した際のご褒美としてどこでも好きなところに連れて行ってあげよう」

 そしてそう提案した。

(ご褒美……)

 薄々感じてはいたが、ロランは花子のことを年齢以上に子どもだと思っている節がある。年齢差的に多少の子ども扱いは仕方がないにしても精神年齢的にはアラサーである花子にははなはだ不本意である。

 なんとかして言い返せないかと考えて、ふと思いついてにやりと口角をあげた。

「そうだな、せっかくのデートのお誘いだ。ぜひ出かけよう」

「えっ!」

「なんだ?」

 戸惑いの声を上げるロランに花子はにやにやと笑う。

「デートのお誘いじゃなかったのか?」

「い、いや」

「わたしの勘違いだったか。それは残念」

「いや、ちっ、違う!」

 わざとらしく肩を落としてみせる花子に彼は慌てたように叫んだ。

「デートの誘いだ! 間違いない!!}

 によ、と花子は笑う。それに彼は自身の発言が今になって脳内に届いたのか頬を紅潮させた。

 しかしすぐに真面目な顔になると、花子の傷ついた左手を刺激しないように優しくとった。

「あー、うん。そうだな。これまで一度も誘わずすまなかった。婚約者に対して不義理な行いをした」

「いや、別にそこまで反省をして欲しいわけでは……」

 その真面目な反応に今度は花子が戸惑う。

(おかしい)

 ただちょっとからかってやるつもりだったのに空気が変だ。周りを見ると何か言いたげなレンはレスターに再び口を塞がれ、そのレスターは目元を潤ませながら感激したようにうんうんとうなずいている。

 ケイトは静かにその薄桃色の瞳で花子のことを見ていた。

 その目は告げている。

『一度もデートに誘ってくれなかった前回の婚約者よりも何百倍も素晴らしい』と。

 この相手を逃すなといわんばかりに熱心にきらきらとした目でこちらを見つめてくる侍女に、花子は視線をそらした。

 しかしそらした先に待っているのは水色の澄んだ瞳だ。

 彼は花子と目があったことに気づくとどこまでも生真面目な顔で静かに告げた。

「デートに行こう」

「……ああ、そうだな」

 その生真面目さとストレートな言葉に花子の目元もわずかに火照る。

 喪女歴三十年以上をなめないで欲しい。

 顔をそらしながらも花子がうなずくと、ロランの背後でレスターとケイトが盛大な拍手をした。

 楽しそうでなによりである。

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