第17話 契約成立!

「で、では、ひとまず婚約ということでいいか」

 ごほんごほん、と若干照れたようにしながらロランはその場を仕切り直した。花子はその言葉に我に返る。

(そういえばそういう話だったか)

 途中から自分のやりたいことに気が向いてしまってすっかり忘れかけていたが、これは花子とロランが結婚するという話だ。

「いいんじゃないか。どちらにとっても都合が良いようだし」

 すとん、と椅子に腰掛けて花子は言った。それにロランはもにょもにょと何か言いたげに、

「そんな簡単に……、結婚だぞ。一生ものだ。本当にいいのか」

 と尋ねてきた。それに花子は静かにひとつうなずいてみせる。そして指でちょいちょいとロランに耳を貸すように伝えるとその耳元でまるで世界の真実でも告げるかのようにささやいた。

「いいか、ロラン。結婚というのはな」

「け、結婚というのは……?」

「大根でも買うような勢いでしないと一生できない」

「は、はぁ……っ!?」

「これはわたしの恩師の格言だ」

 というか孤児院の院長の格言だ。孤児院の卒業生の中で結婚を悩み相談しに返ってきた子に言っていた言葉である。

 ちなみに前世の花子は未婚だ。

 前世の人生で花子はつくづく思い知った。

 迷っている間に時は過ぎていってしまうし、人生において夢中になれるものというのは実は少ない。

 そう、つまり、

「人生で大事なのは勢いと思い込みだ!」

 再び拳を握って花子は力説した。

「ど、どういうことだ、それは……っ」

「ロラン様、聞いてはいけません」

 花子の暴言に戸惑うロランに、ケイトは静かに首を横に振る。

「深くつっこんで聞いたところで、余計に煙にまかれるだけです」

「失敬だな」

 その言い草に花子は唇をとがらせた。

 そんなことを言われるような一体何を花子がしたと言うのか。

(そりゃあ、多少は……)

 ひとつ年下の妹のようなケイトに、よく意味もなく前世の話を中途半端にしては最後まで話さずはぐらかして戸惑わせることはあった。しかしそれはもうだいぶ昔の幼き日の思い出である。

「では、簡単に手続きを説明させていただきます」

 しかし不満を抱く花子を置いて話は先に進んだ。レスターだ。

 彼はこの縁談をぜがひでもまとめたいようだ。花子とロランの気が変わらないうちにとでも言うように先を急いだ。

「まずハナコ様、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「かまわないよ」

「ではハナコ様。仮にも辺境伯の妻が隣国からの亡命者だと外聞があまりよろしくないですから、あなた様にはまず他家の貴族の養子になっていただきます」

「なるほど」

 それはもっともな話である。そしてよくある話だ。

 平民の妻をめとりたい貴族がよく使う方法である。

「こちら、もう養子に迎えていただく貴族には目星をつけてありますのであとは正式に依頼するだけとなっております」

「なんで目星がつけてあるんだ……」

 そんなことはあずかり知らなかった主人は側近の言葉にそう嘆いた。それにすました顔をして、

「このような時のためです」

 と側近は告げる。

「ではわたしはその貴族の屋敷に行ったほうがいいのかな?」

 ハナコは挙手をして尋ねた。それに彼は静かに首を横に振る。

「いえ、それには及びません。その代わりにいくつかの書類にサインをしていただきますが……」

「それだけか?」

 ハナコはきょとんと尋ねる。

「それだけです」

 レスターは重々しくうなずいてみせた。

(うーん?)

 首をひねる。

 一見すると手軽で効率的だが、要するにこれは「女性の意思を介在せず手続きが進められる」ということでもある。

 無理矢理脅してサインさせてしまえばやりたい放題だ。

(まぁ、リジェル王国でも女性の社会的地位は低かったしな)

 隣国であるアゼリア王国がそうでも不思議はない。

 もとよりこの二国は同じ民族から派生したのではないかと言われている。それだけ文明レベルも文化も似ているのだ。

(宗教の違いはあるが……)

 なにせ話す言葉も文字も一緒だ。そして容姿もどちらがどちらの国の者なのかなど区別がつかないくらいに似ている。

 元々同じ民族であったものが長い時を経て袂を分かったのだろう。

 それが今微妙な関係とはいえ同盟関係にあるのだから面白いものだ。

「では手続きが済み次第結婚ということで」

「だからなんでそんなにあっさりなんだ……」

 花子の言葉にロランはうろんな目を向けてくる。

「言っただろう。結婚というものは大根を……」

「それはもういい!」

 勢いよく花子の持論を制止した後で、ロランは「はぁ、」とため息をついた。

「きみは、その……、俺に対してそう接することができるのか?」

「うん?」

 首をひねる花子に、彼は恥じらうように顔を赤らめる。

「だ、だからっ! 結婚したからには……っ、あるだろう! そういうことがっ!」

「そういうこと……」

 つぶやいて花子も理解した。

「つまり、わたしがきみに対して恋情を抱けるかという話か」

「う、そ、そうだ」

 花子は首をひねる。

(別に恋情がなくても夫婦にはなれると思うが……)

 要するに、レスターの勢いからしてこの結婚は『後継者作り』まで含まれているという意味だろう。

「きみは自信がないか」

「なに?」

 花子の質問に彼は眉をあげた。

 それに足を組んでみせて花子は微笑む。

「きみはわたしに劣情を抱く自信はないのか?」

「れ、れつ……っ!?」

「この美しいわたしに!」

 どや顔である。

 ケイトが心得たように花子へと近寄ると、今は肩に流すようにして下ろしている髪を花子が髪をかき上げる仕草に合わせて補助するようにふぁっさーと流してみせた。ついでに扇で仰ぐおまけつきである。

 おかげで花子のつややかな水色の髪はきらきらと日の光を反射しながら美しく広がり、そして肩へと流れた。

 完璧である。

 CMのように完璧な髪の動きであった。

「え、あ、ああ……、努力する……」

 ロランの反応はいまいちだった。

 花子は不満げに唇をとがらせる。

「なんだそれは。努力しないとだめなのか?」

「いや、努力は大事だろう」

 花子の問いに彼はその澄んだ水色の瞳でまっすぐにこちらを見た。

「良好な関係を築くには、お互い相手を理解する努力をしなくては」

 ごもっともである。

 花子は組んでいた足をほどいた。

「では、そのためにはどうしようか?」

 こてん、と首をかしげてみせる。それにロランは言葉を詰まらせると、頬を赤らめ、

「そ、そうだな……」

 と意を決したように口にした。

「まずは手紙の交換から始めよう!」

「……手紙」

「ああ!」

「手紙ってあの手紙?」

「ああ! 手紙だ!」

 花子はしばし考え込む。

「話せる距離にいるのに?」

「は、話すだけだと伝わらないこともあるだろう!? こう、ちゃんと内容を整理して、伝えたいことを伝えるには文字のほうが……っ!」

「なるほど」

 花子はひとつうなずいた。

 それは確かに一理ある。

 しかしそれ以上に花子の前世の記憶を刺激し、彷彿とさせるなにかがあった。それは……、

「交換日記みたいだな」

 女子中学生とかがよくやるあれである。

「交換日記とはなんだ?」

 ロランは無邪気に尋ねてくる。

「ノート……、白紙の本にお互いに一ページずつ書きたいことを毎日交換しながら書いていくんだ。内容はその名の通り日記でもいいし自己紹介でもいい。あと相手への質問とかも書くことがある」

「それはいいな、ぜひそうしよう」

「まじかー」

 不覚にもこの『交換日記』はエリスフィアにて大流行することとなる。 これが花子がエリスフィア、ひいてはアゼリア王国に持ち込んだ日本の知識第一号となった。

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