第13話 提案
「とりあえず、この国での身分を整えるべきですな」
そう助言したのは灰色の髪を後ろになでつけ、綺麗に口ひげを整えたロランの執事レスターだった。
「はぁ……」
目の前のテーブルに並ぶお茶菓子のどれを食べようかと目線をさまよわせていたエレノアはその言葉に仕方なく視線をレスターへと向けた。
エレノアがロラン邸に滞在するようになって一週間ほどが経過していた。というのも、「何か仕事がしたい」と挙手して告げたエレノアに、
「いや、まずは療養が先だろう」
と一体何を馬鹿げたことを言っているんだこいつは、という目をしながらロランが冷静に突っ込んだからである。
彼は若干引いた目をしていた。
それにより、エレノアによる『エリスフィア改造計画』は一週間の延期を余儀なくされてしまったのである。
そして本日、なぜかロランに時間的な余裕がある時には必ず開催される午後のお茶会の時間に、エレノアは再び挙手して「何か仕事がしたい」と希望し、返ってきた言葉がそれであった。
「『身分』か……」
「ええ。申し訳ありませんが、エレノア様は以前は隣国の聖女にして伯爵令嬢であったかも知れませんが、今は何の身分もない治癒術の使える少女にすぎません」
「そうだね」
「それではあまり良い職につくことは難しいでしょうし、下手をすれば労働力を買いたたかれる恐れもあります」
エレノアはこてん、と首をかしげる。
「まぁ、別にわたしはそれでもかまわないけれどね?」
エレノアは医療従事者として働ければそれでいい。治療院の下働きでもさせてもらえればおんの字だろう。
(いや待て、そうすると『エリスフィア改造計画』が……)
言ってしまってから困ることに気づく。確かにいままでは『聖女』という身分があったからリジェル王国の改革も行えたのだ。ただの何の身分もないエレノアでは誰も言うことを聞いてくれないだろう。
「いや、やっぱり困る。なにか身分が欲しい」
「いやそんな、玩具かなにかをほしがるように言ってもな……」
その物言いにエレノアの向かいに座るロランは呆れたようにそう言った。しかしそんな主人にはかまわず、その隣に控えるように立つ執事のレスターはもっともらしく「そうでございましょう」とうなずいてみせる。
「そこでどうでしょう。我が主人ロラン様とご婚姻を結ばれるというのは」
そして澄ました顔で爆弾を落とした。
「はぁ……っ!?」
これにはたまらずロランは目を見開くと声を上げて立ち上がる。
「おやまぁ」
エレノアもその意外な提案に目をぱちぱちと瞬いた。
「おまえな! 一体何を言い出すかと思ったら……っ!!」
「ロラン様、ロラン様は今年でおいくつでしたでしょうか?」
指を差して抗議する主人に、レスターは静かにそう問いかけた。その決して声を荒げないが、圧のある問いかけにロランは思わず口を閉ざす。
「おいくつでしたでしょうか?」
しかし逃げることを許さず、レスターは再び問い詰めた。
「さ、三十二歳……」
「ええ、そうです。三十二歳。三十二歳にもかかわらず! ロラン様は未婚である上に婚約者すらおられません!」
「うっ」
レスターの指摘にロランは胸を押さえてうめく。しかしなんとか弱々しい声で
「い、いや、しかし……、それはこれまで重病を患っていたからで……」
と反論を試みた。しかしそれは、
「病気にかかられる前は『戦争が始まるかも知れないのにそれどころではない』とおっしゃっておられましたね」
という言葉にはたき落とされた。
「うぐっ」
「それ以前は『槍術や魔術の修行に集中したい』と」
「ううう……っ」
「それ以前はなんだったでしょうか。ああ、『そういうことはまだ早い』とあまり深く考えてはおられないご様子でしたね」
「うぐぐぐぐぐっ」
「とにかく、あなた様はおそらくいつまでたっても! 誰かがせっつかない限りなにかしらの理由をつけて先延ばしになさるに決まっているのです。ならば病が快癒した今! 今この時に決めてしまわなくては!!」
うめくロランに拳を握って力説するレスター。エレノアは「おー」と間抜けな声を上げながらぱちぱちと拍手をした。
「そしてそんな時に現れてくださったネギをしょったカモ! ……いや、麗しい女性! しかもその女性はなんと先の戦争で我が国の兵士達とロラン様を助けてくださった恩人の少女! これは運命です! ええ、このチャンスを逃してはなりません!」
レスターはきらり、と目元に涙を光らせた。
「私は生きている間にロラン様のお子の姿が見たい!!」
「完全に私情だろう……」
なんとかダメージから立ち直り、机に手をついてほうほうのていで椅子に座り直しながらロランは言葉を返す。
「第一彼女がそれを承知すると思うのか?」
「いや、わたしは別にかまわないよ」
それにエレノアは返事をした。彼は勢いよくエレノアの方を振り返る。そして言った。
「え」
それにエレノアはしっかりとうなずいてみせた。
「いいよ」
「え」
「かまわないよ」
「え」
しばし二人は無言で見つめ合う。その背後で大きな拍手の音が響いた。レスターだ。
「素晴らしい! 決まりですね!」
「いやいやいやまて! どういうことだ! 俺には状況がわからない!!」
「なんだロラン。きみはわたしのことが嫌いかい?」
「き、きら……っ!? 嫌いじゃない! 嫌いじゃないが……っ」
ロランの顔が真っ赤に染まる。
「そ、そういう問題では……っ」
「ではどういう問題だ?」
エレノアは机に身を乗り出すとロランへと顔を近づけて微笑んだ。
「わたしは了承していてきみもわたしのことを嫌いではない。なにも問題などないのでは?」
「そ、それは……っ」
たじろぎつつも顔を引くこともできない様子でロランは硬直していた。その鼻先をエレノアは人差し指でちょんとつつく。
「う……っ」
「まぁ、冗談はともかくとして」
そして身を引くと仕切り直すように手を一つ叩いた。ロランはテーブルにへばりつくようにして崩れ落ちる。
「『冗談』……っ!!」
そのまま拳をテーブルをたたきつけて嘆くロランにエレノアはその頭をよしよしと撫でた。
「『冗談』というのは語弊だったな。『茶番』と言うべきだった」
「なにが違うんだそれは……」
「言ったことは本当さ。しかしそれぞれの細かい事情をすべて話しているわけではないだろう。お互いに」
にこり、とエレノアはレスターに笑いかけた。レスターも苦笑するように口の端を上げてみせる。
「わたしの意志としてはかまわないと思っている。しかし細かい条件を話し合ってから決定でも遅くはないだろう」
「おっしゃる通りでございます。エレノア様」
彼はうやうやしくエレノアへと礼をした。
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