7 へたくそ
とうとう合わせ練習当日。
壁一面鏡で囲まれているスタジオは一名を除き、落ち着いている者はいない。
こんなにも早くお姉ちゃんの曲をできると思っていなかったこと。メンバーがやる気に溢れていること。これなら、あの曲を超えることができる。私の願いは実現しようとしている。
針ヶ谷は何もお姉ちゃんを分かっていない。私が一番の理解者なんだ。
それを、証明するんだ。
「みんなで写真撮ろうよ!」
「そんなの撮ってる場合じゃない。もう練習するわよ」
「一瞬だけだから!それにQ.E.D.もMVに練習風景の写真とか入れてたし!」
「……じゃあ撮ろうか。スマホ貸して」
「お前がセンターだろ!」
肩を組まれカメラの中心に無理矢理させられる。
こういうのは顔が良い子がセンターを務めるべきだ。撮る係になっている
「先輩、そんな不満ありげな顔しないで笑ってください」
「
「いいから!あの姉ちゃんと一緒の写真みたいに!」
「じゃあ、撮るよー!はい、ちーず!」
撮れた写真の三人は、アルバムに写っていたお姉ちゃんの笑顔と似ていた。全員表情が一緒というわけじゃない。
でも、なぜかお姉ちゃんの笑顔に似ている。
「まぁ、及第点ってとこね」
「良く撮れてる……って、
「笑ってるよ。口角上がってんもん」
「上がってるかも怪しいけどね……」
「練習しよ。ね、
「うわ、話逸らしやがった」
部屋に置いてあったマイクを手に取る。
マイクなんてカラオケのでしか使ったことがない。一応路上ライブ用にお姉ちゃんの部屋にマイクはあるが、家で使うわけにもいかず部屋の装飾品の一部となっている。
それだからか、普段とは少し違うマイクを持つだけで緊張感が発生する。
「最初は私と先輩で合わせます」
「分かった。それで、このパソコンは?」
「これは、この曲で使う楽器の音を打ち込んでおいたパソコンです。まずはこのパソコンに打ち込んだベースとドラム、私と先輩で合わせるんです」
私が何十回も睨めっこしたパソコンに音を打ち込むということを使いこなしている
「昨日打ち込みに完成したので、後でこれは送ります。自主練にでも役立てください」
「色々ありがとう
「いえ別に。これくらいなら」
「
「よっ!天才!」
「二人は死ぬほど練習して上手くなって」
いつも通り厳しい言葉を二人にかけた後、真っ黒のギターストラップをぶら下げる。準備はもう万端みたいだ。
「じゃあ先輩、いきましょうか」
「うん」
合図と共に演奏が始まる。
前走の主役はギターとドラム。
Q.E.D.の曲は最高な曲を除きどれもギターが激しい。最初から激しく飛ばすことで、お姉ちゃんの理想に近しい曲にできているはずだ。
「君が残した方程式 僕はまだ解き明かし中だよ」
何十回、何百回、何千回、考えては書き出してはダメにした歌詞も、やっと相応しいものが完成した。
もちろん、お姉ちゃんの歌詞のセンスの方があるのは当然。でも、お姉ちゃんが伝えたい想いはちゃんと分かっている。
それを、私なりに歌詞にできた。残された私の役目は完璧に歌い上げることだ。
「さぁ 僕と君の公式を 世界中に示そうじゃないか」
お姉ちゃん。
「馬鹿な大人は笑うけれど いつか正しくなるその日まで」
きっとじゃない。お姉ちゃんはこの曲で聴いている人が笑顔になる曲を作るんだ。背中を押したかった。
ちゃんと私は分かったよ。
「あぁ まだ諦めるわけにはいかないだろ!」
「はぁ、はぁ……」
一分少々歌っただけなのにもう疲れているのは単純に体力が無いせいだ。
息切れをしていると、
「カラオケの時より感情込もってましたね。サビ、自分の世界に入りすぎでした」
「ご、ごめん」
「あと、まだ二時間あるのに疲れ過ぎです。鍛えてください」
「えっと、腹筋します」
「そういう問題では無いだろ」
「でも
的確な注意には頷き改善するよう努力するしかない。次は自分の世界に入らないでちゃんと歌い、帰ったら腹筋ローラーを注文しよう。
「それ以外は良いです」
「本当?」
「私が、好きな先輩の歌声です」
「
「
「お前は
「……早く二人は位置に着いて。練習するから」
二人のからかいも表情一つ変えなかった。私の歌声が好きなら素直に言っても良いと思うが。でも彼女のプライドがそれを許さないなら仕方のないことだ。
「あたしの合図で始めるでいいんだな?」
「そう。私からだと、あんたタイミングずれそうだから」
「おっしゃる通りでーす……」
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫」
「じゃあ、始めましょうか」
横には俯いている
こんなこと始める前に言ってはいけないが、上手くいく気配はしない。
「いくぞ。ワン、ツー、スリー!」
結果から言うならば三十点くらいの演奏だ。
結果、私もちゃんと歌えず、失敗といった。
最初の合わせだから一般的には上手くいった方なのかもしれない。が、うちの天才様がそんな甘いこと言うはずはない。
「下手くそな演奏だったわね」
予想通り、そのままの感想だ。
「ご、ごめん、なさい……」
「ドラム、不安定すぎ。あんたが安定しないと全体に迷惑がかかる」
「ごめん……」
「ベース、一回つまずいたのに気を取られて最後までダメだった」
「ごめんなさい。本当に……」
「最初だし微妙な演奏になるとは思ってたけど、予想以上だった」
言語化できているが、その言葉は鋭い。特に
「一言でまとめるなら、下手くそ」
「……か、
「は?」
淡々とダメだった点を挙げていた彼女の声は冷静さを失った。演奏が上手くいかなかったイラつきは怒りに変わる。
「
「ま、間違ってはない。けど、こっちだって何十時間も練習してる。
「……練習したから?同情しろとでも言いたいの?練習して上手くなきゃ何も意味もないの。練習した時間は求めてない」
「でも」
「私に文句言いたいなら上手くなってから言ってくれる?演奏に何か言っていいのは上手い人だけ」
早口で怒りと共に正しいことを言う
重い空気が漂っているが、こんなのは何十回も体験してきた。なんなら、こんなの重い空気の中ではなく軽いほうだろう。
しかし、三人の空気は最悪だ。
「れ、練習しましょう!次はさっきよりは良く演奏します!」
「
「まだ時間あるし、やろうか」
「……そうですね先輩」
場を和ませるため紅葉ちゃんは明るく振る舞うが、二人の表情は暗いままだった。
最初よりは合うようになったものの、重苦しい空気は最後まで漂った。
いつもとは違う、
後味は悪くなったが、バンドとしては前進した。私にとっては悪くない結果だと思う。
帰り道には重い足取りの三人と、いつも通り歩く一人の影が伸びていた。
「お疲れ様です先輩」
階段には一人
いつも購買でパンを何個か買う彼女は最後にやって来ることが多い。だから最初に来ているのは少し新鮮だ。
「珍しいね。先に来てるなんて」
「あの曲がラスサビ手前まで完成したので、聴いて欲しかったんです」
「え、早いね」
「二番は一番と大体同じですので」
「そうだけど、凄いよ
大袈裟だと笑う彼女は小さな笑みをこぼしていた。
イヤホンの片方を彼女に渡される。
傷一つない真っ白なこのイヤホンは値に万は確実についていた気がする。さすが天才。音楽周りにはこだわっているのだろう。
「流しますね」
「うん。楽しみ」
当たり前のように良いと答えようと思っていた時にラスサビ前となる場所がやってきた。
「え」
「どうしました先輩、音止まりました?」
「いや、音はちゃんと流れてる。今、終わったけど」
じっと私の瞳を除く
でも、ラスサビ前はこのメロディーじゃない。この曲はずっと明るいままのメロディーでいい。なのに、どうして暗くしたんだろうか。私は天才じゃないから分からない。
いや、お姉ちゃんなら明るいままいく。私がお姉ちゃんを一番分かっている。
しかし、この天才に下手な指摘をしてもいいのだろうか。もし、言葉選びを間違えてやる気を失わせてしまったら、計画が全部台無しだ。
考えろ、考えろ、考えろ私。
「先輩?」
「あ、ごめん」
「感想を聞きたいんですけど」
慎重に言葉を選ぶんだ私。失敗は許されない。
「なんで、これになったの?」
「え」
「
彼女の顔を見ようとした時、そこにはいなかった。
瞳孔が開き、口を震わせている。そこには、いつもの堂々たる天才は消えていた。
そして同時に言葉選びを間違えたのも理解する。
「あっ、ごめん。言葉選びが悪かった。二番の部分は良かったよ。でも、ラスサビ前の部分は、違うなって」
「す、すみません!作り直しますから。完璧に、作りますから」
その発言に安心し、肩をなでおろす。天才の気を悪くしてしまったのでは無いかと不安になったが、軌道修正が上手くできたみたいだ。
「
「そ、そうですよね。任せてください」
お姉ちゃんを除いて、私が出逢ってきた中で一番の音楽の天才である彼女なら大丈夫だろう。
「遅れてごめん!」
「係の説明が長くなってよー」
走って来たのか、二人でお揃いのボサボサ髪にしながらの登場だ。
「文化祭の係?」
「うん。保険委員だから文化祭当日は指定の時間になったら体育館に行かなきゃ行けないの」
「それで、体調不良の人がでたら保健室まで案内って感じだな」
「……大変だね」
二人が話しているのは明日の文化祭のことだ。
合わせ練習は失敗という形で終わり、その次の週にもう一度やろうとなったものの文化祭の準備が入り結局出来ず、文化祭が終わるまでは自身練習期間となっている。
「
「クラスで必ず何か委員会か係はやれって言われてんだろ?その時サボってたから強制的に余り物のこれになった」
「あーそゆこと」
「
「うん。クラスにプリント運ぶ係」
「雑用じゃねぇか」
クラスに居場所がない私は雑用で当然だ。むしろ、下手に委員会とかに入らされる方が面倒くさいからありがたい。
「まぁ、サボろうと思ってたけど紅葉いるし。仕方なく」
「私も
「じゃあ二人は文化祭行くんだね」
「まあな。って、お前まさか」
「行かないよ」
「えぇーーー!?!?」
紅葉ちゃんの驚く声が一面に広がる。驚く表情よ声もお手本のようで、映画のワンシーンと言って見せても誰も疑いはしなさそうだ。
目線を反らし、無理矢理にでも話を終わらそうとするも紅葉ちゃんは阻止をしてくる。それほど文化祭が楽しみで期待でもしているのだろうか。
「
「うん。行く意味ないし」
「……そうですね。その時間練習したほうがいいです」
ぽつりと
「じゃあ、
「文化祭より何億倍もそっちに行きたいんですけど、母が……」
ぽんぽんと
「私、この四人で文化祭回りたいです!」
目をうるうると輝かせながら紅葉ちゃんは言う。男はこのような表紙に弱いのだろうが、残念ながら私には無効化だ。
「
「先輩、行きましょう」
「……いいよ」
「やったーー!!」
喜んでもらえて何よりだ。私の気持ちは憂鬱だが。
「なんやかんや、このメンバーで行ったら楽しいから。な!」
「クラスTシャツ着たくない」
「着なければいいじゃないですか」
「文化祭は強制」
「それが嫌で行きたくないんですか?」
「……まぁ、そんな感じ」
クラスTシャツを着たくないのは三番目の理由。二番目の理由はクラスの人といたくない。でも二番目とは比べられいくらいなのが一番の理由。
それは、演奏するあいつらと一緒の空間にいたくないから。
これを言ったら聴かなければいいと思うかもしれない。私もそう思う。でも、自分が拒否反応を示してしまうんだ。
「じゃあ、あたしのクラス集合な。机と椅子あるし。多分誰も来ない」
「そんなことあるの?」
「だって端の教室で冷えたたい焼き売るだけだぜ?しかも、学校の近くでいつでも買えるやつ」
お姉ちゃんの時に行った文化祭でも、やる気が無く全く人がないクラスというのは存在したいた記憶がぼんやりある。
「確かに。来たとしても長居はしないね」
「だろ?で、あたしは最初の一時間くらい売る担当だから適当にくつろぜ」
「あ、私も最初の店番です。終わったらすぐ行きますね」
「じゃあ
「なんだか楽しみになってきたな!」
八重歯を見せて鈴芽ちゃんは笑う。紅葉ちゃんは文化祭の出し物表一覧をだし、今から計画を立てる気満々だ。残念ながら私は全くワクワクする気持ちはない。
でも、三人がいるなら少なくとも苦痛の時間は過ごさないから許すことにしよう。
文化祭当日。ありがちなデザインのクラスTシャツをまとい、人気の無い端のクラスに少しばかり重い足取りで到着する。
「来たよ」
「おっ!ちゃんと来たな!」
「うん。ガラガラだね」
十分程度で作れそうな看板と気持ち程度の飾りもの。いつも使う授業机をくっつけ、四個で一塊を等間隔で並べてある。本気をだせば一時間で準備が終わってしまうのではないかと思うくらい手が抜かれている。
「おう!
「私が言うのもあれだけど、酷すぎるね」
「あたし達にとってはラッキーってことで!空いてる席座ってくれ」
「空いてる席しかないけどね」
週五日は腰を掛ける椅子に腰を下ろす。あまりにも文化祭らしくない風景は逆に私を不思議な気持ちにさせる。
「たい焼き一つちょうだい」
「まいどあり!」
「え、お金とるの」
「そりゃ、商売だからな」
満面に嫌そうな顔をしながら財布を出す。
私が文化祭に行くことを知り喜んだ両親が四千円も渡して来た。予想もしていなかった臨時収入から出す数百円でも、こんな手抜きたい焼き屋にお金を出すのかと思うと胸が痛い。
「札かよ。めんどいなー」
「お母さんとお父さんがくれたのが札だったからしょうがないよ」
「
「そう?普通だよ」
「はぁ……まぁいっか」
髪を乱暴だと言えるくらいの強さで撫でられた後にたい焼きとお釣りを受け取る。
たい焼きは前に学校後に買ったものと同じ、袋に入ったものを渡される。工夫なんて文字はこのクラスに存在しないらしい。
「うん。美味しい」
「そのままだからな」
二口目に入ろうとした時に
「に、似合ってねー……」
「私だって着たくないわよ」
「それクラスTシャツなの?」
「はい。カジノなので、これになったらしいですよ」
納得できるようで少し腑に落ちない回答をされる。このTシャツのデザインを考えた人の意見を直接聞きたいくらいだ。
「てか哉子、目の下黒すぎね?」
「うるさいわね。別に良いでしょ」
「でも結構黒いよ。大丈夫?」
前にも目の下を真っ黒にし、私たちを心配させたことは何回かある。彼女のたまにある癖なんだろう。
でも今回は追加でイライラもプラスされており機嫌が悪く見える。
「もしかして楽しみすぎて?」
「違う。そんな浅はかな理由じゃない」
「ほんとかー?」
「……はぁ、不良はめんどいわね。たい焼き五つ」
「まいどありって、は!?」
「ほら千円。早く」
食い意地もいつもより倍増している。
すると受け取ったたい焼きを二つに重ねる。まさかと思って見ていたらそれをペロリと口におさめてしまった。
「え……」
「マジかよ……」
「うん!満足」
数口でもう二匹の鯛は
「あと三つちょうだい」
「だ、大丈夫なのかよ……」
「流石にゆっくり食べるわよ」
「た、食べる?私の食べかけだけど」
「ありがとうございます。いただきます」
「それにしてもガラガラですね」
「うん。さっきからずっと座って話してる」
「暇になりませんか?」
「話題は話してたら無くなると思うよ」
「ですよね!」
「そこで喜ぶ人お前だけだろ。どうなってんだ」
私の隣の椅子に
「うちのクラスのトランプ持ってきたので、三人でブラックジャックやりましょうよ」
「いいじゃん!やろやろ!あたし妹とよくやるよ!」
「あんたの妹小学生よね……」
ブラックジャックとはカジノとかでよく使われるカードゲーム。ローカルルールはあるが、根本的な内容としてはカードの合計数が21以上にならず、誰が一番大きい数字かを競うシンプルなゲームだ。
小学生の時にお母さんとお父さんの三人でやったことがあるが、私のボロ負けで機嫌が悪くなりやめた記憶がある。あれから私も成長したし、流石にボロ負けということはないだろう。
「いいよ。暇だし」
「まっ!負けねーけど。あっ、
「泣くわけないでしょ。あんたを徹底的に潰す」
「潰すゲームではないだろ。まぁ、楽しもうぜ」
所詮は数字が大きいかを争うゲーム。そこまで白熱はしないだろう。暇潰し程度に、三人でゆっくりやれればいい。
「あたし二十!悪いなあんたら!」
「チッ!三回連続あんたの勝ちだなんて、イカサマしてんじゃないの!?」
「
「くそーー!!」
「先輩流石です!……私は五回連続負けですけど!」
数十分前の私。前言撤回だ。数字が大きいかを争うゲームがこんなに楽しいなんて思ってもいなかった。
悪い時は連続で手札が悪いものの、急に形成逆転のチャンスを起こすエースの登場。もう満足だと思う数字でも更に高みを目指しかけるギャンブル。それで勝つ喜びは更にギャンブル精神をくすぐるのだ。
「えっと、皆さん……?」
「次は何か賭けちゃう?」
「
「いや、ここは金でしょ」
「私、お小遣い今日たくさん貰ったからあるよ」
「あたしも貯めてた貯金多めに持ってきた。勝てばいいんだろ!」
「ちょ、ダメダメー!日本は賭博ダメー!」
文化祭が始まり、
まるで哀れなような人を見る目で私たちを見る紅葉ちゃんは怖かった。
「廊下まで聞こえてたよ。みんなの声」
「マジ?」
「うん。競馬場とかボートレース場にいるおじさんみたいな声だった」
それは世間では哀れな目で見られる大人たちということではないだろうか。なんだか心に傷を追った気がする。
「……三人はギャンブルやっちゃダメだね。身を滅ぼすよ」
「やるわけないでしょ。それに、やったとしてもハマらないわ」
「うん。そんなのに熱中するなんて人生損だよ」
「可哀想な大人がやる趣味だよな」
「さっきの三人は、その人たちと瓜二つだったよ……」
ギャンブルにハマらないの当たり前として、勝った時の心の高まり方と優越感は凄まじい。きっと、
「
「えー文化祭回ろうよ」
「午後もあるし、ちょっとだけだから!な!」
「こっちの方が何億倍も楽しいわ」
「完全に危ないのに誘う言い方だよ……ちょっとだけだからね!」
「はい。二十。私の勝ちだね」
あれから数十回はやっただろう。もちろん、一番大きい数が一人だけではなく勝ちが二人の場合もある。その場合を無しとしても、紅葉ちゃんは感覚的に七割は勝っているはずだ。
「つ、強すぎだろ……」
「や、やばいね……」
「私これで何連敗……」
これはいわゆる完全な運ゲーのはずなのに勝ち負けがはっきりとしすぎているのには何かコツがあるんじゃないかと疑ってしまう。あと
「お、おい。
何か化け物でも見てしまったのかのように怯えた声で耳打ちされる。
目の前にはいつもの可愛い紅葉ちゃんはいなかった。悪のボスかのように不気味に笑い、瞳孔がガン開きになっている瞳はキマッている目だ。この恐怖をも覚える姿のにはライオンや狼などの肉食動物をも目があっただけで倒れてしまうだろう。
「楽しいね。ブラックジャック。こんな快感サッカーぶりだよ」
「そ、それは良かった……」
「……ちょっとくらいなら何か賭けてもいいと思うんだよね」
「え、
「お金じゃないよ!そうだなー」
「もしかして……臓器……?」
今の
怯える私とヤンキーの前で、急に天才が立ち上がり後ろに椅子を蹴飛ばした。
「……受けてたとうじゃない。臓器の一つや二つくらい賭けたほうが盛り上がるわ」
「ダメに決まってんだろ!
「それに
「勝負はそれくらい本気じゃないと楽しくないよね!」
開き切った目でトランプを切り始める彼女を止められる人はいなかった。
おかしくなった二人を遠い目で見ていると鈴芽ちゃんのスマホが鳴り出す。
「あ、
「え!もうそんな時間か!」
いつもの可愛らしい
先程まではきっとギャンブル中毒者の霊が取り憑いていたのだろう。ちゃんと抜けてくれて良かった。
「じゃあ、私たちはここで待ってるね」
「先輩、ブラックジャックの続きやりましょ」
「もーう!ゆみりんは可愛いんだからー!」
「こうへいがかっこいいからだよー!ちゅー……」
突如入ってきた熱烈な接吻を交わす三秒前のカップルと目が合う。先程まで目をうるうるとさせ腕を絡めあいイチャついてきたカップルは直立していた。
気まずい沈黙が数十秒もの間漂い続ける。
「
「お、お疲れ様でした……」
その場に留まるにはお互いのためにもよそうと教室からは出てしまった。
機嫌を損なった
「先輩、一階にあるたこ焼き食べに行きましょ。気分を害したのでやけ食いです」
「分かった。じゃあ、二人ともまたね」
「えっ、たこ焼きなら体育館の傍の階段降りたらすぐですよ」
「……軽音部の演奏聴きたくないから」
私は全ての音楽が好きなわけじゃない。むしろ、嫌いな音楽のほうが多い。
クズな男とそれに引っかかる女をいかにもロマンチックに書いてる曲。自分を悲劇のヒロインだと思い引かれる行為をしてしまう自分が可哀想だと思う被害者ソング。
私は汚くて気持ち悪い曲が大嫌いだ。軽音部の奴らはそういう音楽に泥を塗るような曲が好きだ。聴いているだけで反吐がでる。
それだけじゃない。私の悪口やいじめ一歩手前をしてくる奴らの演奏を聴きたいわけがない。
とにかく、数秒でも私は耳にしたくない。
「軽音部なら午後からなので大丈夫ですよ」
「そうなんだ」
「やばい!もう行くぞ!」
万が一の可能性も考えて遠回りしたかったが、みんなが走り出してしまったのでついていくしかない。
妙な胸騒ぎが全身に広がるのは無視できない。
「なんか、人多くない?」
体育館前には人だかりができており、みんなざわついている。そのざわめきは、どこか私の嫌な予感を掻き立てる。
「結構目玉の発表だしな」
「……哉子ちゃん早くたこ焼き食べに行こ」
一刻もこの場から離れろと本能が言っている。それに従い哉子ちゃんの手首を掴もうとした時には人の波が襲い、私たちは体育館の中へ入ってしまった。
出口は少し遠い。人は寄せ合い、普通に出るのは不可能だ。ここは走って、ぶつかってでもここから出るのが一番の正解だと思う。
あとでみんなに謝ればいい。ここは私一人でいいから、早く出るべきだ。
なんで、こんなに出たいのか分からない。心臓がおかしいくらい早く鼓動して、どこからともなく冷や汗が流れてくる。
自分に軽音部の演奏は午後からだと言い聞かせても全く信じてくれないんだ。
「あれって……」
「演劇部の主役の子がお腹壊したらしいぞ!」
「聞いた聞いた。三年だからどうしても出させてあげたいって理由で軽音部と時間変わったんだってな!」
知らない男子二人の会話には私の万が一の予想が当たっていると知らせてくれた。
「糸透!こっから出」
「みんなー!聞こえてるー!私たち、軽音部でーす!」
もう、遅かったみたいだ。
最悪のサービスはまだ用意されている。今ステージに立っているのは私の悪口を言う主犯格だ。
「私たち今とっても緊張してて、みんな手拍子とかして盛り上げてくれると嬉しいです!」
どうせ、しょうもない気持ち悪い曲を歌うんだろう。そんな曲を歌うあいつらなんて見たくなかった。
あの時に無理矢理にでも遠回りしておけば良かったと、もうどうすることもできない後悔が私を包む。
「この曲は今ネットで超バズってて、ポップな感じが私の超お気に入りなのでみんな知ってると嬉しいです!」
やっぱり、あいつらならしょうもない曲を歌うと思った。最悪な予想ほど当たってしまうんだ。
「それでは聴いてください!蜘蛛の羽!」
「……は?」
今あの女はなんて言った。
私の、お姉ちゃんの曲の名前を言った。私の最愛の人の歌の名前を言った。
私がどんなに辛くて、挫けそうな時も傍にいてくれた曲の名前を言った。
「これ、ネットでアレンジされた蜘蛛の羽だ……こんなの、こんなの蜘蛛の羽じゃないのに……」
「……い、
「ふざけんな」
「え」
「ふざけんな!!!」
周囲の人が私の方を向き、不審な眼でこちらを見てくる。そんなのどうでもいい。
今すぐあいつらを止めなければいけない。お姉ちゃんを汚すあいつらを、最低な連中にこれ以上蜘蛛の羽をやらせちゃいけない。
なんとしてでも止めないと。お姉ちゃんの歌を守らないと。
ステージまで走ろうとした私を
「離して!あいつらの演奏を止めなきゃ!」
そんなことしたら大問題だ!」
「じゃあなに!?ここで黙ってあいつらの、ゴミの演奏を聴いてろって言うの!?そんなのおかしいでしょ!あの歌は!あの歌は!」
叫び、心を踏みつけられた私は次第に力が抜けしゃがんでしまう。その時も私を離そうとしない鈴芽ちゃんの腹にほぼ力の入っていない手で数回殴る。
「あの歌は、私の大切な歌なの……ずっと、ずっと、私の味方で、私を支えてくれた歌なの……!私の、お姉ちゃんの大切な歌なの……」
「
「だから、今すぐ止めさせて……お願いだから……」
神に祈るように私はお願いをした。
そんな私の様子を見て、
「へったくそですね。この演奏」
ずっと黙っていた
「ドラムは弱い。ベースはミスばっつか。今あっ、ので四回目。ギターはそもそもチューニングがずれてる」
「
「ボーカルは低い声が出せなくて誤魔化してる。こんな、へたくそで聴いてられない演奏良くできますね」
「じゃあ」
「でも、私たちより上手です。この演奏」
「え……」
「先輩」
ずっとステージの方を見ていた哉子ちゃんは私と同じ目線に座る。私を真っ直ぐ見つめる瞳は暗い体育館でもしっかりと確認できる。
「演奏を止めていいのは、その演奏より上手い人だけですよ」
「
「私、今死ぬほど気分が悪いです。こんな奴らよりも下手だなんて、まっ、個人で見るなら違いますけど」
彼女も悔しくて、辛くて、でも今はどうしようもできない怒りを自分にぶつけるしかできなかったんだ。
「私も、物凄く悔しい。もっと、自分に実力があれば」
「……あたしも」
「先輩も、悔しいですよね?」
悔しくないわけがない。こんなにも、反論が見つからない自分が情けない。
「死ぬほど悔しい」
「この悔しさを晴らす方法が一つあります……先輩、私から提案があります」
「……言って、
「あの曲を発表する路上ライブで蜘蛛の羽をやりましょう」
真剣な目つきで提案をする彼女は、何か覚悟を決めた顔をしていた。
「元々、何か一曲くらいは路上ライブでやらきゃなと思ってたんです。今日のこの悔しさを晴らすためにも、先輩の想いも考えて蜘蛛の羽が相応しい」
「でも、今あの曲で手一杯だぞ」
「……しばらく三人は蜘蛛の羽と、あの曲の今できてる所を完璧にして」
私の両手を哉子ちゃんは強く握りしめる。いつの間にか血は拭かれていたが、皮膚には爪が喰いこんだ跡しっかりと残っていた。
私の瞳をじっと見つめ、数秒何かを秒躊躇い迷った彼女も一呼吸して覚悟を決めたように口を開ける。
「先輩。私に八月まで時間をください」
「え」
「あの曲を、先輩の理想通りの完璧な曲に仕上げてきます」
「
「私の全てをかけて、あの曲を完成させます」
力強く言い切る彼女の提案を断れるわけがなかった。
「……分かった。信じるね」
「ありがとうございます」
「私も!もっと練習して
「あたしも!今のままの自分嫌だし!」
「
「……うん。絶対ね」
へたくそな私たちには上手くなる道しかない。その道に従い、真っ直ぐと進むことしかできない。でも、きっと目的地にこの四人なら行けるはずだ。
お姉ちゃんにみたいに羽がない私は飛んで進むことはできない。それでも、一歩を私は強く踏み進める。
あのゴミを越えるために、
待っていて、最愛の人。
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