第二話:暴かれる仮面

 


「森田駿の家に、脅迫状が届いた」


 その噂が、教室に出回るのに時間はかからなかった。火種は、誰かが昼休みに見たという“母親が職員室で怒鳴っていた”という話。


 あっという間にそれは歪んだ尾ひれをつけて、まるで僕が何か問題を起こしたかのように広がっていく。


「いやさ、逆に森田の方が黒幕なんじゃね?」


「だってさ、加藤もいなくなったし、まじでタイミング良すぎ」


 笑いながら話す声が、壁越しに聞こえてくる。


 誰も僕の正面には立たない。ただ背中越しに、陰口と憶測だけが飛び交う。


 僕は黙って、机に視線を落とす。


 もう、感情を表に出す気力すらなかった。


 


 

 

 放課後、誰もいない美術準備室で、西村と会った。


「……脅迫状、見たよ。おばさん、かなりパニクってた」


 彼の声は、いつもと違っていた。やけに低く、抑えたような響き。


「で、写真……本物なの?」


「……違うよ。僕じゃない」


 僕は短く答えるしかなかった。信じてくれ、という言葉は飲み込んだ。


「俺はさ、駿の味方だよ。でも、ちゃんと正面から言ってくれなきゃ、俺、動けない」


 彼の言葉は優しかった。でも、同時にどこか“見極めている”ような目だった。


 僕を見ているというよりも、僕の“中身”を探っているような――そんな目。


「……ありがとう」


 そう言うのが精一杯だった。


 


 


 家に帰ると、母は目も合わせなかった。


 スマホを握ったまま、ずっと誰かとLINEでやり取りをしている。


「ねぇ、さっきまで教育委員会の人と話してたの。先生って本当に信用できないのね。あの担任も、前に問題あったみたいじゃない」


 母は僕に言っているようで、どこか上の空だった。


「あなた、何か隠してない?」


「……ないよ」


「ほんとうに? だったら、なんで家に“カッター”があったの?」


 カッター。確かに、引き出しの奥に一本、使っていないのがあった。


 だけどそれは、僕が使ったわけじゃない。もしかしたら、誰かが――


「……俺じゃない」


 その一言しか出なかった。


 母はため息をつき、部屋から出て行った。


 僕は、その背中にすら、もはや敵意を感じた。


 


 


 翌日、山下真央が僕に話しかけてきた。


「森田くん、放課後、ちょっとだけ……話せる?」


 彼女の声は震えていた。何かに怯えているような、それでいて何かを伝えたいような。


「……うん」


 その日は、教室の空気がどこかいつもと違った。


 担任の榊原が珍しく生徒に説教していた。


「SNSはな、匿名だからって何を書いてもいいってもんじゃない。正義を語る前に、自分の言葉に責任を持て」


 誰に向けて言っているのか、名指しはしなかったが、空気がぴりついた。


 西村が何か言いかけたが、すぐに口をつぐんだのを、僕は見逃さなかった。


 


 


 放課後、旧校舎の裏の自販機前で、山下と会った。


「……あのね、私、知ってるの。あのアカウント、“暴く者”のこと」


 僕は息を呑んだ。

 

「西村くん……あの人、たぶんあのアカウントに関わってる」


「え?」


「前にスマホ貸してって言われたの。ほんのちょっと。でも、あの時間、ちょうどアカウントが更新されてたの」


 それだけじゃない、と彼女は続ける。


「加藤くんが消えた日の前、彼、職員室の前で“盗み聞き”してた。偶然かもしれないけど……それからなんだ。急に彼、変わったの」


 西村が?


 味方だった彼が?


 そんなわけがない――でも。


 そのとき、僕のスマホにまた通知が届いた。


 


《次は、お前の番かもしれない》


 送信者不明。差出人欄には何もない。


 僕はスマホを握る手に力が入りすぎて、爪が食い込んだ。


 


 


 夜、家の郵便受けに、一枚の紙切れが入っていた。


 “被害者のふりは、そろそろ終わりだ”


 書かれていたのは、それだけだった。


 乱雑な文字。コピー用紙。封筒なし。


 


 それを手にした僕は、なぜか――


 ほんの少しだけ、笑いそうになっていた。


 


 でもそれは、怖さでも、怒りでもない。


 なんというか――懐かしさに、近い感情だった。


 


 


――第2話・完――

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