『共犯者』

あなたの蕎麦

第一話:正義の味方


「……おい、誰だよ、また机に落書きしてんの」


 教室に響く女子の声に、誰も反応しない。聞こえているはずなのに、誰一人、顔を上げない。


 僕の机には、油性ペンで書かれた黒い文字がいくつも残っていた。


 


「死ね」

「ゴミが学校来んな」

「親の顔が見てみたい」


 


 きっと誰かが朝早く来て書いたのだろう。毎日、違う内容で、丁寧に。


 隣の席の山下真央が、ちらりと僕を見た。


 目が合った瞬間、彼女はそっと視線を外し、手帳に何かを書き始めた。たぶん、担任に言う気も、止める気もない。


「森田、これで何度目だ?」


 担任の榊原が、プリントを配りながら呟いた。


「先生、俺じゃないです」


「そういうのは、証拠を出してから言おうな」


 事なかれ主義の教師は、加害者には何も言わず、被害者だけを「トラブルメーカー」として扱う。


 これが、いつもの日常だった。


 


 


 僕が唯一、救われていると思えるのは――西村恭平の存在だった。


 成績は学年トップ、運動神経も良く、教師や生徒からの信頼も厚い。


 でも彼は、そんな自分の立場を利用せず、僕のような“底辺”にすら目を向けてくれる。


「なあ、駿。帰りにファミレスでも行かない?おごるよ」


「……うん。ありがとう」


 今日も、彼の言葉に救われた気がした。


 僕には、もう居場所がない。でも、西村がいれば、まだ、ギリギリで呼吸できる。


 


 


 昼休み、スマホを開くと、また例のアカウントが更新されていた。


「暴く者@正義の味方」


《クラスでまたいじめ。森田くんの机が狙われてる。教師は知らん顔。#見て見ぬふり #黒板の裏側》


 “誰が書いているのか”は不明だが、ここに書かれたことはすべて事実。


 ただの傍観者なのか、それとも僕の味方なのか。


「このアカウント、マジで気味悪いよな」


 加藤翔太が、笑いながら周囲に話している。彼はリーダー格で、いじめの中心人物だ。


「そろそろ誰か、晒してやろーぜ。正義の味方気取りの匿名くん」


 僕をちらりと見た。けれど、僕は視線を逸らすしかなかった。


 怖いんだ。関わるのが。


 


 


 放課後、西村と一緒に帰る途中、彼が言った。


「翔太、調子に乗りすぎだよな。あいつ、昔も問題起こしてるし」


「……問題?」


「ああ。中学のときに暴力事件で停学になったんだって。知ってた?」


 僕は知らなかった。


「それにさ……山下さんも、ずっと何か知ってる感じ、しない?」


 たしかに、山下はいつも僕を見ている。助けるわけでもなく、離れるわけでもない。距離感が妙に中途半端だ。


「駿、さ……オレ、あのアカウントの中の人、知ってるかも」


「……え?」


「いや、ごめん。気のせいかも。忘れて」


 彼は笑っていたけど、そこには何か、言いかけてやめた気配があった。


 僕はその笑顔を、信じたかった。


 でも、それがどこか、歪んで見えたのは――ただの、気のせいだったのだろうか。


 


 


 その夜。僕の家に、一通の封筒が届いた。


 宛名は、僕の母親。


 中には、クラスのいじめの現場を撮影した写真と、僕が“仕返し”しているように見える捏造画像が同封されていた。


「駿……アンタ、こんなことしてたの!?」


 母が怒鳴る。僕が言い訳する暇もなく、彼女は電話を取り、学校に連絡を入れ始めた。


 


 僕は混乱した。


 誰が、何のために?


 こんなこと……誰が得する?


 


 そして、翌朝。


 教室に入ると、加藤翔太の机が、空席になっていた。


 担任が一言。


「……加藤は、しばらく来れません。理由は言えませんが、察してください」


 教室がざわつく。


 誰かが囁く。


「マジで?あいつ、やったってこと?」


「暴く者の投稿、ホントだったんじゃね?」


 


 そのとき、僕のスマホが震えた。


 通知は、たった一行。


《共犯者が一人、消えた》


 


 僕は、震える指でスマホを閉じた。


 けれど、心の中では――


 その言葉の意味を、誰よりも、正確に理解していた。


 


 


――第1話・完――

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