光の都と、春告げのティーカップ

ちえる

01 春告げ花



 からん、とベルが鳴りドアが開く。


「いらっしゃいませ」


 ブックカフェ"ヴィオリの小窓"の朝は早い。

 太陽が顔を出したころに開店して、ぽつりぽつりと訪れるお客さんに合わせたお茶や軽食を提供する。繁盛しているほどではないけれど、ほどよい静けさのなかで、みんなそれぞれ自由に時間を過ごしていただいている、と思っている。

 そして今日も、その青年は現れた。


「……」


 ぺこり、と軽く頭を下げた彼は、無言のままいつもの席に座り本を開く。無愛想だけれど食器の扱いは丁寧だし、食べ方も美しい。


(悪いひとではないと思うんだよなあ)


 私ーーリディア・エヴァレットはそんなことを考えながら、ティーポットとカップにお湯を注ぐ。


 ここ、ルミナシエールは別名"光の都"と言われるほど美しく活気がある街である。王宮を中心に貴族街があり、その周囲にはさまざまな店舗が立ち並ぶ。私たちが住む場所はそこからさらに離れた平民街。

 私は窓から王宮を眺める。白磁の壁に朝日が差してとてもきれいだ。


(幼いころは、特別にあのお城に入れるデビュタントの日を心待ちにしてたっけ)


 数年前まで、私はあの貴族街の屋敷に住んでいた。といっても、貴族令嬢とは名ばかりのはりぼてだったけれど。


 伯爵家だった我が家は男女合わせて6人の子供がいて、私は上から5番目。長男と次男が跡継ぎとスペアを勤め、長女と次女は他家へ婚姻済み、末っ子の妹はいまもあの家で溺愛されているだろう。

 上4人が貴族としての責務をある程度全うしてくれたおかげで、私は両親から自由を授かった。


『リディア、本当に大丈夫なの?』

『無理して出て行くことは無いんだぞ。お前1人を養うことくらい何の心配もいらないのだから』


 不安げな両親の愛を感じつつ、あっさりと貴族籍から抜け出してカフェを開いたのが3年前。色々あったけれど、よくやく軌道に乗ってきた。


(それまで学んできたことが案外カフェ経営にも反映できたのよねえ。接客も好きだし、向いてたのかも)


 幼いころから紅茶を淹れるのが好きで、侍女やメイドの真似事をしては家庭教師にこっぴどく怒られるような子供時代だった。しかし、やがて呆れられたのか何も言われなくなった。

 調子に乗った私は、こっそり侍女とお茶会を開いていたけれど、いま思えばバレバレだっただろう。おままごとのようなそれに、みんな快く付き合ってくれた。そのおかげでいまの私があるので、彼女たちには感謝でいっぱいである。


「お待たせしました」


 トレイに乗っているのは、紅茶が入ったティーポットと温めたティーカップ、それから砂時計。彼は本から視線を戻し、またぺこりと頭を下げた。


「お食事はもうすこしお待ちくださいね」


 ちらりと振り返ると、トースターのなかでクロックムッシュがほんのりきつね色になっている。

 こちらは通り沿いのパン屋さんから毎朝配達してもらっているふわふわの食パンにお手製のホワイトソースを塗り、ハムとチーズを挟んで焼いたものだ。サンドイッチに並ぶ、当店の人気フードである。こちらのお客さんは焼き色がしっかり付いたものを好むから、あと2分ほどで出せるだろう。

 本を閉じた青年は砂時計の砂が落ち切るのを待ってカップに紅茶を注ぎ、音もなく啜って、ほうと息を吐いた。


(……よし。今日もばっちり)


 基本的に表情を変えないひとだけれど、一口目の紅茶だけは違う。湯気の向こうで目元が緩み、ふわっと柔らかな雰囲気になるのだ。まるであたたかい春の陽だまりに包まれたように。

 お客さんとして毎朝通ってくれるおかげで、些細な変化にやっと気付けるようになった。

 無愛想な常連の十分な反応に満足した私は、トースターを覗き、いい色に焼き上がったクロックムッシュを取り出してお皿に乗せる。


「こちらもお待たせしました」


 ひとしきり紅茶を味わった彼は、あつあつのクロックムッシュにさっそくナイフを入れ、とろけたチーズが溢れるそれを黙々と食べ進める。相変わらず表情は読めないけれど、やっぱり所作が美しい。もしかしてどこかの貴族なのだろうか。


 からん、とベルが鳴った。


「リディアさん、おはよう」

「マーサさん! いらっしゃいませ」

「今日もいただけるかしら?」

「ええ、もちろんです。どうぞおかけください」


 こちらも常連のマダム。総白髪が美しいお客さまである。私は新しくティーポットとティーカップを取り出し、温めるためにお湯をなみなみと注いだ。


 春の訪れを知らせる春告げ花(フィオーレ・ヴェント)を使用した紅茶は、当店だけの特別製。


 カップに注いだ瞬間から広がる花の香りは爽やかなのにほんのりと甘い。雪解けを思わせる澄んだ味や、桃色がかった色味が、近所でも評判だ。飲んだら心が落ち着くとお褒めの言葉をいただく。うちにいらっしゃるお客さんのほとんどはこの紅茶目当てである。

 もちろん、そこの青年も。


「ありがとうございました」


 立ち上がった彼に気付きレジに向かう。お代を受け取り、釣り銭を渡そうと顔を上げた瞬間、目が合った。

 前髪の隙間から覗くネイビーブルーの瞳は夜の海に似ている。静かで深い水面のように穏やかな色。


「……ごちそうさまでした」


 なめらかな中低音は耳あたりがよく、小さな声でもよく通る。


「またお待ちしてますね」


 にこやかに返すと、彼は店を出ていった。

 一体どんなひとなんだろう。所作も身なりも整っているのに、こんな平民街の片隅にあるようなカフェに足繁く通うなんて。たしかに味と居心地には自負があるけれど、それにしたって不思議だ。


「あの子、よほどここが気に入ったのね」

「マーサさん、ご存知なんですか?」


 カップを置いたマーサさんは「知ってるってほどじゃないけど」と笑い、閉まった扉を見つめながらそっと教えてくれた。


「……名前は、アレン・ウィンストン」


 続く言葉に私は息を飲む。

 やはり彼は、この場所には異質なひとだったらしい。


「王宮に勤める文官よ」

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