02 無愛想な常連の正体



「文官ですか? しかも王宮の?」


 鸚鵡返しする私の動揺を楽しむように、マーサさんは目を細める。

 王宮勤めなんて、この国のほとんどの人間が憧れる世界だ。例え下働きだって、平民街では一目置かれる。王宮に品物を卸しているお店は王宮御用達の箔が付いて一生安泰と言われるし、メイドや料理人、文官は選りすぐりのエリートのみが就ける、名誉ある職業。この国が誇る財産だ。


(そんなひとが、こんなところに……?)


 お客さんはみんな大切なので分け隔てなく接したいけれど、文官と聞くと途端に緊張してしまう。貴族令嬢時代に一通りの教育は受けているから、目立った粗相はしてないと思うけれど、対人間なので絶対とは言い難い。


「マーサさん、よくご存知でしたね」

「偶然よ。長く生きてるとそれなりに顔が広くなるから」


 お客さん……もとい、ウィンストンさんの辣腕ぶりは王立学園にいたころから有名だったらしく、いまもその才能を遺憾なく発揮しているとか。

 どうしてそんなことを知っているのか。


(マーサさん、何者? 王宮内の事情に精通してる平民って普通にいるものなの……?)


 首を捻ったところで次のお客さんが来たので話は中断した。どちらにせよマダムの情報網すごい。

 ……それにしても、あのひと文官だったのか。言われてみればいつも本を読んでいるし、知的な雰囲気も相俟って、たしかに文官っぽい。

 色々訊いてみたいことはあるけれど、あまり話すのは好きじゃなさそうだから、今日聞いたことは胸の中にしまっておこう。下手に訊くと彼の足が遠のいてしまうしれない。常連さんが来てくれなくなるのは寂しい。

 好奇心を振り切るように仕事に没頭していたら、あっという間に日が暮れていた。


 ーーそして翌日も、時間ぴったりにベルが鳴る。


「おはようございます」


 寡黙な青年、ウィンストンさんは今日もぺこりと頭を下げドアを閉めると、いつもの席に座った。私も掃除の手を止め、ティーポットとティーカップを取り出す。


 我が“ヴィオリの小窓”は、カウンター5席とテーブル席5席の、この辺りでは平均的な規模のカフェだ。カウンターキッチンなのでお客さんの様子を見ながらお茶や軽食の用意ができる。一応キッチンの奥に小さな個室はあるけれど、ほぼ在庫置き場になっているので在庫点検や補充以外で入ることはあまり無い。

 大通りから外れているものの、それがかえって心地よくゆったり心をほぐしたいときにぴったりの場所だと思ってここを選んだ。


(なにより決め手だったのは、窓)


 飲食店としての明るさはほしいけれど、大きな窓は絶対に阻止したかった。うちの最大の特徴は壁一面にある大きな本棚と、そこに並んでいる本。貴族と違って平民にはまだそこまで読書という文化が浸透していないので、ぜひ物語の世界に没入する楽しさにはまってほしいと思い、ブックカフェにしたのだ。いわゆる趣味と実益を兼ねた布教活動である。

 窓が大きすぎるとこの本たちが日に焼けてしまうし、読書中に強すぎる光は目が痛くなる。

 等間隔に並んだ細く長い窓は程よく日光や風を取り入れて、外の風景も楽しめる。ここを紹介してもらったとき、即決した。


「お待たせいたしました」

「……」


 お茶を提供した数分後に、しっかり焼き目の入ったクロックムッシュも提供して、カウンターの椅子に座る。

 仕込みも掃除も大体終わった私が取り出したのは、昨日から読みだした本。朝起きられる自信がなかったからやむなく中断した続きが気になっていたのだ。いまのうちに読み進めさせてもらおう。本を開いて文字列に目を走らせる。


「あの」


 控えめな声で我に返る。

 顔を挙げると、ウィンストンさんが申し訳なさそうな顔で立っていた。


「あ、すみません! お帰りですね!」


 慌てて本を置き、レジへ向かう。テンパって受け取ったお代を落としそうになったけれどなんとか耐えた。仕事中なのに没頭してしまってお恥ずかしい。

 熱くなった頬を冷ましながら「すみません」と頭を下げる。


「いえ……それ、面白いですよね」

「! ご存知なんですか?」

「はい。以前読みました」


 大好きな作家さんが手がけた初めての冒険譚。見たことのない場所を旅するわくわく感が新鮮で、読み進めながら、この類の本をそれまで読んでこなかったのを猛烈に後悔した。これはまだ2冊目だけれど、シリーズとしては6冊まで出ている。


「最近読みだしたんですよ。作家買いしたもののなかなか読む機会が無くて…でも、なぜ読まなかったのかと後悔してます」

「ふふ」


 私は驚いて固まった。

 笑っている。あのウィンストンさんが。


(いつもあんなに無表情なのに……!)


 まあ、こちらから特に干渉しなかったし、向こうからも何も無かったので当たり前といえば当たり前なのだけれど、いやでも他のお客さんは世間話や何気ないやり取りのなかで結構色んな表情を見せてくれるなかで彼だけが唯一そういうのが無かったから動揺もそりゃあひとしおで……!!


「……失礼。では」

「あ、」


 目を見開いてぽかんと口を開けた私に気づいたウィンストンさんは、ごほんと空咳をしたあと足早にお店を去ってしまった。弁解の余地どころか呼び止める間すら無く、しばらく立ち尽くした私はようやく我に返って頭を抱える。


(もうすこし自然に対応すればよかった!!)


 いつもの無愛想さからは考えられないほど、なんというか、無邪気な笑顔だった。彼にあんな一面があるとは。

 ネイビーブルーの目がきゅっと細くなって口角が上がると、いつもの冷淡な印象が一気に幼くなって、見た瞬間に心臓が跳ね上がった。

 まだ落ち着かない心臓のあたりを押さえ、珍しいものを見た高揚感と、次回への不安で深い息を吐く。


 ……彼はまた来てくれるだろうか。

 

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