第3話 平安京は《高貴な町》
■■ 平安京は《高貴な町》 ■■
月が雲の切れ間から顔を出して、庭の白砂を照らしとる。
庭には、背の低い松が一本、斜めに生えてて、その影が砂をなめるように伸びとった。
風呂を浴びおわったウチは、まだ寝るには早く、なんとなく、早苗と一緒におった。
ウチは、早苗に『平安京』のことを、詳しく尋ねることにした。
「暗くて、ようわからんのやけど……『平安京』って、《巨大な屋敷》なんか?
ウチは今、どこにおるの?」
「田舎もんには、京都の街は、ようわからんやろうな。
きちんと教えといたる」
「田舎もんいうな。ウチも今日から、京都の女や」
「あはは、そうやな」
早苗が小声で笑う。
そして、さっと、紙と硯(すずり)を持ってきた。
「字は読めるよな?」
「もちろんや」
早苗は、《京都(※)》、《平安京》、《邸》と、綺麗な文字と□の図で、つらつら書いた。
――――――
※注 … 平安時代に『京都』という言葉はありません。本作品は、歴史的な用語の厳密さより、《概念》を正確に伝えることに重きを置いたフィクションです。
――――――
「ええか。まず『平安京』という《住居区》がある。その周辺に《京都》がある。
『平安京』というのは、姫様や、うちら女房が住んどる《住居区》のことを意味するんや。建物ではないよ。《住居区》や」
「なるほど。『京都』と『平安京』が、ウチはごっちゃになっとった」
「ええか? まず、『平安京』がある。その周辺にできたのが、《京都》なんよ」
「そうなんか?」
「そうや。京都の人間が、平安京をつくったわけやない。
逆なんよ。『平安京』が、京都民を育てたんよ。
京都民は、平安京を作るために、なんもしとらん」
「ふうむ」
難波生まれウチには、まだよくわからん。
「ええか、初音ちゃん。
《全国の有力な貴族》が、天皇がお住まいになる場所として、金や人を出して『平安京』を作った。
その、『平安京』のまわりに、わらわら集まってきたのが京都民や。
普通の商売人や。
京都は、口ばっかりの、商売根性だけの人間もようけおるで。
乞食も多い」
「厳しいこと言うなあ」
「『平安京』ができると、周辺で、貴族相手に、色んな商売ができるやろ?
それでな、貴族が京に来たときに泊まるための、ちょっと立派な屋敷を貸す家や、
炊事や接待を任せられる人材を揃えた家が出てきた。
それが京の都の《おもてなし商売》や。
で、できるだけ平安京に近い方が商売がやりやすい。
だから、外部の人間が、《商売しやすい場所》に入ってこれんよう、でたらめな事を言って意地悪する。それが、京都の《乞食商売》や。
《おもてなし商売》と《乞食商売》は、両方とも京都の文化やけど、全然違う。
しかし、《ほんまの京都民》は、地方を嫌うわけない」
「ふうむ」
「ええか、《平安京》に住む《良家の姫様》は、《全国の地方》から来とるんやもん。
なんで地方の人間を馬鹿にしたり追い出すの。そんなわけあらへん」
「そういうことか」
「《ほんまの、京都の商売人》やったら、《地方の貴族》が、一番のお得意様や。
『平安京』におるのも、地方の貴族。京都でお金を使うのも、地方の貴族。
だから、地方の貴族に感謝するはずや。地方を馬鹿にする理由がない。
だから、初音ちゃん。平安京では、絶対に、地方を馬鹿にしたらいかんよ」
「わかったわ。危なかったわ。ウチ、京に入って浮かれとったから、うっかり冗談で、地方のヤツ、馬鹿にするところやったわ」
■■ 京都の町文化は、多層的 ■■
「京都は、町や村やなくて《都》なんよ。大都会。
だから、普通の地方とは考え方が、だいぶ違う」
早苗は、そう言った。
(京都って変な町やよな……)
ウチは、しっかり早苗の話を聞いて、京都を理解しようと思った。
「《町》や《村》は、よそ者を排除して、田畑や井戸を守るやろ?
でも《都(みやこ)》は、地方からの色んな人々を歓迎する場所なんよ。
京都は発展しとるから、《都》《町》《村》が全部ある。
平安京は《都》 地方の貴族を歓迎する。
京都の《町》や《村》は、よそもんを追い出す。
だから、《京都》と言っても、多層的なんや」
「めっちゃ複雑やな……びっくりしたわ。
しかし、なんや。京都も、《商売人と乞食の街》なんか。
難波と一緒やないか」
「ははは。そうや。京都も難波も、成り立ちは商人の街や。
ただ、客層が違うだけや。
《難波》は、庶民相手の商売やろ?
《京都》は、貴族相手の商売や。
《平安京》は、商売なんてやらへん。
《平安京》の人間は、《全国の税金》で暮らしとる。公的な執務をやる場所。
考え方も、《平安京》と《京都民》では、全く違う」
「なるほどな」
■■ 京都は《地元愛》やなくて《格式愛》 ■■
早苗は、酒を舐め始めた。そして饒舌になる。
「京都の中の、立派な《住居区》が『平安京』や。
平安京は《壁》に囲まれとる。
初音ちゃんは、よく行商で『平安京』の中に入っとったよね。
だから、意識せんかったかもしれんけど、普通の人は中に入れんのよ」
「そうなんか」
「《京都民》と、《平安京民》は、はっきり区別されとる。一緒やない。
地方の人でも、貴族は入れる。難波の人でも、初音ちゃんは入れる。
でも、 《ただ京都に住んでる人》なんて、『平安京』では門前払いや」
「あはは」
ウチは笑った。今度から、京都民を憎まずにすみそうや。
ウチのほうが、格式が上やったわ。
「田舎では《地元民》を大切にするやろ? 難波もそうやない?」
「まあ、難波は地元民を大切にするな。田舎いわれたくないけど」
「『平安京』では《格式、貴族》を重んずる。
《地元愛》がなくて《格式愛》があるのよ。それが、『平安京』の文化」
「うわあ、いやみやわ」
「その『格式愛』の考え方が、《平安京の周辺の京都民》にも乗り移って、京都民同士でも《格式》を競ったりする。
それが広がって、お客さんに対しても《格式》で、区別・差別する。そういうところある」
「うわあ……苦しいな。ウチ、商人の娘やし」
「出世せんと、『平安京』で生活するのは苦しいやろな。
でも、桐子様は、かなり《格式が上》やから。
桐子様に気に入られとる初音ちゃんも、上等な扱いされるよ」
……『平安京』は辛いな。難波のときは、みんなで仲良くやってんのに。そうはいかんみたいや。
しかし、『京都』と『平安京』の区別はややこしいな。
こんがらがってしまう。
ウチは、質問した。
「ウチは、『平安京』に頻繁に出入りしとったから、まだ、『京都』と『平安京』の区別がついとらんのよ」
「そうやろうな。『平安京』は広い。《小さな町》ぐらいあるしな。
よう知らんけど、難波ぐらいの大きさあると思うよ」
「えええ! ホンマに?」
「だから、どこが『平安京』で、どこが『京都』なのかは、外の人間にはわかりにくい。
まあ、《京都という国》の中の、《高貴な町》が『平安京』と思うと、理解しやすいかもな」
「わかった」
――――――
・《平安京》……貴族と姫様のための、特別な高貴な町
・《京都》……平安京の周辺の、貴族相手の商売の町。金目当ての乞食も多い。
・《難波》……庶民の商売の町
――――――
【平安京は《天皇の子作りのための町》】
「初音ちゃん、次の説明いこか」
「おねがいします」
早苗が、また紙に、色々書き始めて、説明を始めた。
《邸》、《母屋》、《対屋》
「ええか。『平安京』の中には、たくさんの姫様が住んどる。
姫様が住んどる家を《邸》という」
「《高貴な町》に、姫様がたくさん住んどるんやな。どれぐらいおるんや?」
「知らんけど、一〇〇人ぐらいおるんやないか。テキトーやけど」
「えええ!? 姫様って、そんなにおるん?」
「そらそうや。上位の役人、地方の役人、色んな家が、天皇の血縁となりたがっとる。 そういう人らがみんな、娘を『平安京』に住まわせるんやよ」
「天皇は《『平安京』の中におる娘》、全員とセックスできるんか」
「あはは。そうやな。《天皇との子作り》を嫌がる女は、『平安京』にはおらんよ」
「はあ」
ウチは、頭がくらくらした。
(天皇はん、農民から税金を中抜きして。
こんな《セックス三昧の街づくり》なんてしとったら、いつか暴動が起こるで。
大丈夫なんか……)
色々思うことはあったが、《郷に入れば郷に従え》や。
西の賢者も、そう言うとる。しばらく黙っとこう。
■■ 貴族の男も平安京で子作りする ■■
「初音ちゃん、平安京は、ええところの娘さんがたくさんおる。
可愛い子が揃っとる。
だから、天皇だけやなくて、貴族も『平安京』で子作りするんよ」
「あ、そういうことか!
《天皇のために集めた女》を転用して、自分達の家の結婚に利用するのか」
「そういうこっちゃ」
早苗は笑った。
早苗の話を、ウチは自分なりに整理する。
「『平安京の人間』は、《自分の家の娘》を、《良い家柄》に嫁がせて、《自分の利権》を拡大したい。これが目的。
だから、《天皇のため》という《口実》で、貴族は協力して『平安京』という《貴族同士で子作りしやすい街》を作ったんやな?」
早苗は頷いた。
「そうや。貴族は《天皇の幸せ》を願っとるわけやない。
《自分の幸せ》を願って、天皇に仕えとる。
天皇は人間やなくて《神》やもん。《生きとる神様》が天皇なんよ。
天皇は《自分が幸せになるため》やなくて、《人間を幸せにするため》に、この世にいらっしゃるんよ。
それで、《人間》は、《神》にお供え物して、《自分が幸せになりたい》のよ」
「うわあ、利己的や」
「そりゃそうや。それが貴族や」
早苗は頷く。
早苗は、酒を飲みながら、苦笑して続ける。
「ほんま、貴族って凄いよな。地方の税金を、自分の息子や娘の子作りのために使うわけやからね。《日本のためや!》言うて、娘差し出して」
ウチも『平安京』が心配になるわ。
「好き勝手やって、大丈夫なんかな。平安京の貴族の連中。
いつか、怒った人々に、殺されてしまうんやないかな」
「でも、地方の国が、《天皇の子作り》や《自分の家族の子作り》のために、『平安京』でお金を使うから、戦争が起きんのよ。
もし、地方の国が、《自分の国を強くするため》に税金を使って大きくなったら、国同士で戦争になってしまう」
「じゃあ、やっぱ、天皇が京都におって、セックスしとるほうが平安なんか」
「そうや」
早苗は『平安京』に納得しとるみたいやけど、ウチは、納得できへんかった。
早苗は答えた。
「天皇は《神》や。もし、《神》が、全国に《良い娘を出せ!》って暴れまわったら、全国の民が、みんな死んでしまう」
「ああ、そういう昔話、ようけあるな。《娘を出せ! 娘の肉を食わせろ》って暴れまわる神様」
「そうや。だから、京都におる《天皇》ちゅー《化け物》が暴れんように、貴族は《娘》を《生贄》として差し出す。それで、国を守っとるっちゅーわけや」
「モノは言いようやな。娘を差し出して、天皇に媚びを売ってるだけやのに」
「違うんよ。そういう見方もできるけど、逆の見方もできる。
《天皇》という《神=化け物》を、貴族が集まって、この平安京に《閉じ込めとる》っていう考え方もできるんよ」
「ああ、《天皇=化け物》は、《優秀な貴族》に封印されとるってことか!?」
ウチは、そんな考え方、したことなかった。
《貴族》は、天皇のそばにいて、《天皇の力》を封印しとるんか?
「そうや。古来から、貴族は《神=化け物》と戦ったり、封印するやろ? ヤマタノオロチとかさ」
「そうやな」
「貴族は、スサノオみたいな勇者なんよ。それで、勇者同士で協力して、大変な思いをして、《天皇=化け物》を封印する。その、勇者の仲間同士で、息子と娘を結婚させる。
それで、より強い力を持って、さらに、天皇を強く封印する」
「ようできとるな、平安京。賢すぎるな。めっちゃ屁理屈やん」
「あはは。そら、上流の貴族が集まる平安京やもん。
頭ええ人が、頭使って、屁理屈で『平安京』をこんな発展させたんよ」
「なるほどな。でも、ズルいよな。京都民の商売と変わらんやん。
《高貴な人》とか言っとったけど、貴族だって、天皇のセックスを利用して、金を稼いどるだけやん。
・平安京を利用して金を稼ぐ京都民
・天皇を利用して金を稼ぐ貴族
どっちも同じやん!」
「あはは、そうやな。気づかんかった」
……早苗、酔いはじめてご機嫌や。
こんな話、天皇や貴族に知られたら、追放されてしまうな。
■■ 《夜這い》の相手は、姫様が采配する ■■
ウチも、早苗に酒を注いでもらって、一杯いただく。
そして、酒の席の勢いで、ウチは、いよいよ、核心を尋ねることにした。
「なあ……早苗」
「なんや、初音ちゃん」
「《夜這い》のこと、教えてや。ドキドキして、眠れんわ。
いきなり襲われたら、どうなってしまうかわからん」
早苗は、笑った。
「大丈夫や。『平安京』の《夜這い》は、むしろ安全やよ」
「どういうことや?」
「説明したるわ」
早苗は、また紙に筆で、すらすらと何かを書いた。
・《邸》 … 姫様の家
・《母屋》 … 姫様が夜這いの采配
・《対屋》 … 女房らが住む
「ええか、姫様の住んどる敷地と建物全体を《邸》という。
《邸》の敷地の中に、ウチら女房が住む『対屋(たいのや)』がある。
で、姫様が住んどるのが『母屋(おもや)』や。
桐子様みたいなお姫様は、『母屋』で寝ておる」
「ほう。今、ウチと早苗と話しとるこの部屋は、『対屋』というんやな?」
「そうや。『対屋』にいる女房は、姫様を守る。
そして、『母屋』にいる姫様も、女房を守るのよ」
「どういうこと?」
ウチは、わけわからんくなった。
姫様と女房は、お互いにお互いを守るのか??
「ムラムラして《夜這い》に来る貴族の男は、姫様のいる《母屋》にご挨拶にいくのよ」
「ええ!? 泥棒みたいに忍び込んでくるんやないの?」
「違う違う。それは、大昔の平安京の話や。泥棒みたいな夜這いは、大騒ぎになるから今は禁止になっとる。知人の《夜這い》なのか、本当の殺人・強盗なのか、区別つかんもん」
「そっか」
「今の平安京では、《夜這い》は三種類あるんよ」
「三種類!?」
「うん。姫様が管理する《一、紹介夜這い》、女房と男が恋愛して、姫様の《邸》の中でセックスすることを許可する《二、恋愛夜這い》、あとは、泥棒みたいな《三、無許可夜這い》」
「へえ!」
「《一、紹介夜這い》を説明したるな。これが一番、奇妙な習慣や。
貴族の男は、姫様に《誰かとセックスさせてください》ってお願いするんよ。
そうすると姫様が、それとなく《ああ、あの部屋から、よいお香の匂いがしますな》とか言う。
それが、《あの女房とセックスしてええよ》っていう合図なのよ」
「ええええええッ!」
ウチはたまげた。
早苗が、続ける。
「姫様は偉い人やから。《自分の女房》や《貴族の男の家柄》も、よく知っとる。
だから、《この男と、この女房やぴったりや》と思ったら、夜這いを許可する」
「そうなんか」
「そうや。姫様は、平安京の情報を、よく知っとるんよ。
姫様は、自分の子作りや結婚のために、男の情報を調べまくる。
だから、男と女房を《引き合わせる》ことができるんよ」
「ああ、そうか! 姫様のまんこのターゲットは、天皇だけやない。
他の男も含めて、誰と《子作り》するかを自分自身で決めないといかん。
だから、《平安京の男》のことを、全部調べまくっとるのか」
「そうや。平安京に住む男について、《どこの家系で、どれぐらい財産を持っていて、どれぐらい教養がある》かを、姫様は、全部知っとる。
日中、女房は、姫様や平安京のために働くけど。
一方、姫様は、色んな人とお話して、情報を集めとるんよ。
それが姫様の仕事みたいなもんやな。
姫様と仲良くすれば、女房も、ええ男を紹介してもらえる」
「はへえ、《夜這い》って、泥棒とは違うんやな。ちゃんとスジを通しとんのか。
知らんかったわ」
「そう。ただ、
そのほうが、カッコええやろ?」
「あはは。そうなんか」
「そらそうや。姫様にお願いして、《セックスの相手を見繕ってもらう》なんて、男としてはダサいやん」
「じゃあ、今は、突然やってくる男はおらんの?」
「たまに、おるよ」
「え!?」
ウチは絶句した。
「普通の貴族の男は、運動もしとらんし、泥棒みたいなすばしっこい真似できんよ。
でも、若い男や、地方から出てきたばかりの男、武術をやっとる男なんかは、足も早い」
「怖いな……」
「そういう《自信のある男》は、《母屋》を通らず、いきなり、女房のところに襲ってくる。
女房は、《姫様が通した男》やと思って、安心してセックスするやろ。
ところが、翌朝、男から《手紙》が届かんわけよ。
普通の男からは、セックス終わった次の日は、《させてもらいました》って《お礼の挨拶の和歌》が届く。《後朝の歌》っていうんやけど。
それが届かんと、《あれは誰やったんや》ってことで、姫様の《邸》は大騒ぎや。
つまり、《ヤリ捨て》なわけよ。
それで妊娠しても、男は全然、責任とってくれん」
「なんやそれ! 怖すぎや」
「そういう、《忍びの夜這い》に成功した男は、貴族の男の中で《勇者》やよ。
《女房をヤリ捨てして、凄いな!》って、評価があがる。
そんかわり、バレたら、もちろん、平安京を追放される。出世もなくなる」
「めちゃくちゃやな……平安京、ワイルドすぎるで」
「貴族の男同士でも、見えの張り合いがある。
ちゃんと、姫様に挨拶して《普通の夜這い》をしても、普通過ぎて、自慢にならんのよ。
だから、《俺は忍びで夜這い成功させたことある》って、嘘ついたりな」
「最悪や……」
「そうやよ。男は最悪や。でも、どの男が最悪なのか、ウチら女房にはわからん。
だから、姫様に《男選び》をお任せするんよ」
「なるほど」
「姫様は、評判悪い男のことも、よく知っとる。
だから、《優しい姫様》が選んだ男とやって孕んで、不幸せになることは、あらへんと思うよ」
「ふーん」
ウチは、イマイチ、腑に落ちんかった。
「怖いな……」
「なして?」
「だって、姫様が勝手に男決めたり、変な男が忍び込んで、急に孕むんやろ?」
「まあでも、この『平安京』の中にいる男は、みんな貴族の金持ちや。
もし、男が認知してくれんくても、産んだ子は、乳母に預ければ、なんとかなるんよ」
「どういうこと?」
「農村にくれてやったり、あるいは、お寺の坊主にしたり」
「えええええええッ!」
「殺すのは殺生やろ。仏教で厳しく禁止されとる。
幽霊になってしまうからな。
だから、子供は、ある程度の年齢まで、乳母が立派に育てる。
それから、働き手がほしい家に、育てた子供を渡すんよ」
「娘の場合はどうするんや?」
「そら、嫁を欲しがっとる農家の家に渡すんよ。
変な家やのうて、立派な農家のところに渡すんやよ。
いくら認知されんくても、貴族の血をひく娘やもん。
大事にしてくれる家に渡すよ」
「でも、そんなのわからんやん。
その娘、農家の男に、めちゃくちゃに犯されて、殺されてしまうかもしれん」
「まあ、そうやな。そこまではわからん。
農家に行った娘のことなんて、誰も調べんからな」
早苗は、そう言った。
ウチは、怖くて震えてしまった。
早苗は、一瞬だけ黙って、目を逸らして言った。
「……ほんまは、ウチも『平安京』から消えた子供のこと、気になるけどな。
けど、ウチらにはどうにもならんこともあるんよ」
ウチも、もう、親に《認知されん子供》については、尋ねんようにしようと思った。
もし、ウチに子ができて、認知されんでも、ウチは難波の実家に送ればええ。
よその家のことは、ウチが口出すもんやない。
……
■■ 《六条御息所》の呪い ■■
早苗から色々話を聞くうちに、ウチは、『平安京』のことが、本当に怖くなってきた。
……呪われとるやろ、京都。
汚れすぎや、京都。
すると、ウチが怖がっとるのを見透かしてか、酒に酔った早苗は、もっと怖い話をしてきた。
「そういや、あの木の先、別の《邸》があるやろ?」
「ん? うん、よう見えんけど、かなり大きな家が建っとるな」
「……あそこ、《六条の御息所》が住んどるとこやで」
「なんやそれ。場所の名前か?」
「違う。《六条の御息所》は、姫様の名前や。えろう美人の姫様や。
初音ちゃんも美人やけど、六条さんは、もっと美人やで」
「へえ、見てみたいな」
「絶対に、《邸》から出て来んよ。めったに姿は見れん」
早苗が、低い声で言った。
「え? なんで」
「六条はんは、《ある男》を恨んどるのよ。
どんより暗い顔してな。だから、出歩かん」
「……ほーん。なんで恨んどるんや?」
「相手の男と愛しあっとったのに、急に来んくなったから」
「せつないなあ。六条はんって女は、フラれたんか」
「そうや。それで、六条はんは、毎晩毎晩、呪いの儀式をやっとるのよ。《陰陽術》で神に祈って。それで、術で疲れとるから、日中は外に出て来んのよ」
「ええええッ!? そんな疲れるぐらい、本格的にやっとんの?
《呪い》って、冗談やなくて、マジの呪い?」
「マジの呪い」
「うおおおッ」
マジで怖くなってきた。なんや、それ。
そんな変な女が、近所におるの? ホラーやん!
「《六条の御息所》は、めっちゃ高貴で、めっちゃ頭ええ人やからさ。
そら、本気で術使ったら、《呪いの力》は桁違いなんよ。
男の《お気に入りの娘》の《お香》を、誰かに盗ませてな。
それを使って、その娘に呪いをかけとったら、その娘が死んだんや」
「えええええ、ちょ、ちょ、ちょい待ち! ホンマに?」
「ホンマやよ。大騒ぎやったんや。《六条の呪いや!》って言って。
でも、証拠なんてあらへん。
刃物や毒やなくて、《呪いの病》で死ぬんやから」
「めっちゃ怖いやん」
「で、《六条御息所》をフッた男には、他にも、ようさん女がおるわけよ。
えろうモテるからな、その男」
「そうなんや。女を悦ばせる達人なんやな、その男」
「そうや。で、《六条御息所》は、今は、別の女に、ずーっと呪いをかけとるちゅー噂や」
「えええええええええッ!? 男は、どうしとんのや? 女を守れるんか?」
「『平安京』は、天皇が守っとるから、そんな簡単に《陰陽の呪い》は効かんらしいのよ。
死んだのは、『平安京』の外におる《町娘》やったらしいわ。
《夕顔》っていう名前の若い娘やったらしいんやけど」
「『平安京』の外に住んどったから、呪い殺されてしまったんか」
「そうや。男の《夜這い》より、女の《呪い》のほうが怖いよ。
めっちゃ苦しんで死ぬらしいで、《六条の呪い》」
「ええええ……」
「だから、初音ちゃん。《自分が調合した香》は、絶対に盗まれたらあかんよ。
盗まれると、《陰陽の術》で、誰に何されるかわからん。
あと、『平安京』の外で泊まったらあかんよ。
『平安京』の外へ出るときは、ここを去る時や。
ちゃんと、祈祷師にお祓いしてもらってから出ていかんと、女の呪いで殺されるで」
「わかったわ……」
ウチはほんまに、泣きたくなった。
なんでウチ、こんなとこ来てしもたんや……
怖いわ、京都。最悪や。
■■ 最後の自慰 ■■
早苗と話し疲れて、畳の上に敷かれた布団に、ウチはそっと横になった。
天井の梁が高い。けど、息苦しい。
京の空気は、なんや、重たい。
「初音ちゃん、おやすみなさい」
「ありがとな、早苗。おやすみなさい」
早苗が灯を消すと、部屋はすぐに真っ暗になった。
……しん、と、音が消える。
風の音もない。
虫の音も、遠く。
しばらくして――
「……っ、ふ……んっ」
かすかな、女の声が、隣の部屋から漏れてきた。
(え?)
「あっ……ふ、ん……んっ……」
押し殺した声。
でも、わかる。
(セックスの声や……)
男の吐息と、女の喉の奥から漏れる声。
ウチが寝てる布団の、敷居一枚の向こう。
灯りがわずかにある。
誰かの影が、誰かの上で、動いてる。
(ほんまに……やっとるんや)
胸が、ざわついた。
(けど……こんな、すぐ隣で……)
肌の表面に、さぁっと汗がにじむ。
絹の下着が、やけに熱く感じる。
(……ウチも、ああなるんやろか)
名前も知らん貴族の男に、知らんまま、上に乗られて。
声も出せんまま、下で震えて。
そのまま、次の朝になって。
(……いやや。こわい)
でも、もし――
もし、あの男が、ウチの香を「ええ匂い」と言うたら。
もし、背中を撫でながら「ええ身体や」言うたら。
もし、そのあと、「また来る」言うてくれたら。
それは、嬉しいんやろか?
それとも、悲しいんやろか?
ようわからん。
(……ウチ、下品な声、出してまうかもしれん)
隣の女房の声は、上品で色っぽい声や。
ウチも、ああいう声、出せるんやろうか?
(事前練習……しとこかな……)
ウチが《処女》でいられる時間も、多分長くないんやろうな。
そんなこと思いながら、ウチは、自分のおまんこに、中指を伸ばした。
これが、ウチが処女の間にする、《最後の自慰》になるかもしれんな……
(……濡れとるわ)
気づくと、もう片方の部屋からも、男と女が会話する声が聞こえ始めた。
囁くような男の声。
何を言っとるのかまでは、聞き取れん。
(あっ!)
女の声は、誰かわかった。
(早苗や)
さっきまで話とった早苗が、これからセックスする。
めちゃくちゃドキドキしてきた。
セックスがどういうもんなんかは、ようわからん。
自分にとってはまだ、全部、おとぎ話や。
でも、ホントに、平安京は、そういうところなんや。
だんだん、実感が湧いてきた。
子作り。
(……ええ男が抱いてくれたら嬉しいな、ウチのこと)
指先は、自分の身体をゆっくりとなぞる。
指の腹が、おなかの下をすべって、太ももの内側へ。
さっき湯屋で流したはずの熱が、また、じわじわ戻ってくる。
(あかん……あかんて……)
いつもより、全然感じる。
お香のせいやろか……
軽くするだけのつもりやったのに、手遊びが止まらんくなってく。
絹の肌着が、汗といっしょにぴったり張りつく。
指先が熱く濡れる。
そこへ、夜這いの女の声が、またひとつ、加わった。
(早苗がしとる……!)
もはや、他人事ではあらへん。
ウチも、今夜から、この輪の中の女房のひとりや。
早苗が喘ぐたびに、ウチの身体も、少しだけ熱を帯びていく。
(ウチも、同じようにされるんや…)
布団の中で、こっそりと足を広げてみる。
柔らかい布が、ひざ裏に触れる感覚。
身体の奥が、じわっと締めつけられるような感じがした。
(ほんまに、ここへ男が入るんか……)
今までも、なんとなく触っとったけど……
隣でしとる音を聞くと、ほんまに、される日が近いんや思って、震えてしまう。
深くまでは入れない。
けど、ちょっとだけ、外側をなぞって。
濡れてる場所に、そっと触れたとき――
腰が、ふわっと浮いた。
(……んっ)
小さな声が漏れた……かもしれん。
誰にも聞こえへんように、唇をかみしめた。
自分の息と、隣の女房の喘ぎ声が、重なる。
なんか、自分でしとるような気分になってしまう。
どうなるんや、ウチ……
「はっ……っは」
心臓が、どくん、と鳴る。
強い高まりがある。
びクッ
びクッ
……
(イってもうた……)
周囲の夜這いに飲まれるように、ウチの体が小さな痙攣を続ける。
ウチの身体が、《女》になっていくような気がした。
仕切りの向こう、隣で、男が笑ってる。
そっちは終わったんかな?
でも、別の部屋では、早苗が、かなり激しく鳴いとる。
(あかん、あかん、あかんよ、早苗……)
耳を澄ますと、ぱん、ぱん、ぱんと、振動する音が鳴ってる。
けど、ウチの身体は、もう、歩き続けた疲れや、自慰の事後の心地よさで、眠りに沈んでいく感じやった。
(――疲れた)
結局、なにがあっても、最後に思うことは、いつも、その程度のことや。
隣のセックスの声も、しばらく生活したら、慣れるんかもしれん。
……
そして、ウチは、夢の中に落ちていった。
まだ何も書かれてへん、白い紙の中へ。
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