第4話 桐子様
■■ 桐子様 ■■
薄紅の小袖。
水のように揺れる黒髪。
(都の姫、というのは、こういうもんなんやな……)
ウチは、桐子様を見て、ぼんやりとそう思った。
京について、翌日の朝。
朝食前、身支度を整えて、母屋に挨拶に伺った。
顔はCランク。
しかし、母屋で会う桐子様は、凄い威厳があった。
行商に来て会ったときと、全然、気配が違う。
(行商のウチとお話するときは、《気》を抑えてらしたんやろうな)
女は顔だけやないんやと痛感した。
桐子様は、ウチを見てふわりと笑った。
「よう来てくれはったな」
「お呼びいただき、ありがとうございます」
ウチは、慌てて膝を正し、礼をする。
周囲の女房を見て、見真似の正座。
(こんなん、生活できんよ……)
大変な生活になりそうだなと思った。
ところが……
「別に、正座せんでもええよ。ウチの前では」
「そうなんですか?」
「できるよう、練習はしとかんといかんけどな。
正座しながらのほうが、やりやすい仕事もあるしな。
でも、話すときは、べつに、ウチは正座は強制せんよ
姿勢崩すと、着物は傷みやすいけどな。
まあ、でも、仕事でどうせ痛むしな」
「じゃあ、ちょっと姿勢崩させてもらいます」
ウチは、足を伸ばした。
「初音ちゃん。ほんま綺麗になったな。髪もええ感じや。
もう、あっという間にモテモテになってしまうで」
「そうですか。なんか照れます。
早苗さんが、丁寧に髪をとかしてくれました」
しかし、桐子様は不思議や。
女房が、自分より目だったり綺麗になることを、全く気にせんのかな。
周囲の女房も、ええ香りがする。
顔はBランクぐらいやけど、なんか、楽しそうやし、賢そうや。
朝食の準備や、朝の掃除も、さわやかにやっとる。
昨夜のセックスのイメージが強すぎて、このさわやかな朝に、ウチは気持ちが付いていかん。
早苗なんて、もう、めちゃくちゃテキパキと働いとる。
なんやあいつ。
桐子様は、ウチを見ながら、にこりと笑って言った。
「……ほな、初音ちゃんの歓迎のために、まず一句、詠みましょか。」
その場に、ぴりっとした空気が走った。
周囲の女房たちが、一斉に、小さく身を正す。
(な、なんや。)
ウチは固まった。
女房が、ササっと、短冊と硯を準備する。
桐子様は、左手に短冊を持ち、右手に筆を持って、さらさらと、なんか書いておる。
(短冊って、持って書くんやな……)
ウチは、文字なんて、地面や板を、棒でひっかいて書くことがほとんどや。
《筆》なんて、ほとんど持ったことあらへん。
(なんや、凄いカッコええな……)
ウチはもう、桐子様の、筆を持つ姿だけで惚れてしまった。
なんかを書き終わった桐子様が、言葉を詠みあげた。
春霞(はるがすみ)
たなびく山の 桜花
散りかうほどに 君を待ちけり
…… ? ?
聞いてウチは、何をすればいいのか、さっぱりわからなかった。
(……なんや、これ?)
何か返さなあかんのか?
お礼を言うんか?
感想を言うんか?
混乱して固まってるウチを見て、周囲の女房たちが、くすくす、くすくすと笑い出した。
(ああ、バカにされとる……!)
ウチ、《教育係》として、ここへ来たんやったな。
しかし、これはどうすればええんや。
他の女房は、こんなの返せるんか?
女房が、桐子様が書いた短冊を、ウチの前に置いた。
ううむ……
ウチは、《難波の天才》、初音や。
字も読めるよ。歌の意味もわかるよ。
しかし、これ、どうするんや?
(考えろ、考えろ初音!)
でも――
ウチは、ふっと思った。
(ええわ。ウチは、言葉を並べるんは得意や。
ウチには、ウチにしかない言葉がある。
挨拶なら、それをぶつけとけばええやろ)
「筆、貸してもろうてもええか?」
「ええよ。歌、詠めるんか、アンタ」
女房が、驚いた顔をする。
「書けいわれたら書く。
読めいわれたら読む。
それだけですわ。女は度胸や」
ウチは啖呵を切ってやった。
周囲の女房も大喜びや。
ウチは、震える手で筆を持つ。
(こんなんで、どうやって字を書くんや。
棒貸してよ、棒!)
いっそのこと、筆の軸で書いてやろうかと思ったが、それはやめた。
(なんか、とりあえず、カッコええこと言えばええんやろ)
ウチには、《偉い坊さん直伝》から仕込まれた説法と、南蛮から仕入れた知識がある。
床に短冊を置き、震える手で文字を書く。
生れてはじめて、筆で書いた文字。
めちゃくちゃ汚いやん!
まあええわ。
「さー、ふぇらー、さむ」
大声で、詠んでやった。
女房らが、混乱した。
まあ、そらそうやろう。
しかし、この場の主役は桐子様や。
女房らが、ウチに文句を言うことはできん。
桐子様は、決して笑わず、ウチに尋ねた。
「南蛮の言葉か?」
「そうです」
「朝鮮の言葉か?」
「違います」
「見せてくれ」
「はい」
ウチは、汚い文字が書かれた短冊を、桐子様にお見せした。
Si fallor, sum
「これは、なんや?」
「ラテン語でございます」
女房たちが、ざわざわと囁き合った。
■■ ラテン語の修辞学 ■■
「な、なんやそれ……」
「陰陽とも違うんか?」
「……異国の言葉……?」
ウチが見せたラテン語の言葉で、場が盛り上がっとる。
桐子様が手で、場を静めた。
「初音ちゃん。この言葉、どういう意味や」
「はい。
《たとえ私が間違っていても、私は存在する》」
その瞬間、桐子様がピシっとした目をした。
しばらく考えたあと、こう言った。
「凄い言葉やな……。『無常』も、『無我』も超えてしまう気か」
「そうです」
「誰の言葉や。アンタの言葉やないやろ?」
「トマス・アクィナスという、西の賢者です」
「ほう。とんでもない賢者がおるんやな……」
桐子様は、腕を組んで、静かに考え始めてしまった。
周囲の女房が困って、桐子様に声をかける。
「桐子様、なんか、そんな凄い言葉なんか?」
「うーむ……。やっぱり初音ちゃんは、凄いで」
「なにがですか?」
女房は、興味津々や。
桐子様は、全部わかって、解釈しとるようやった。
ウチも、桐子様の解釈を聞くのが楽しみやった。
ウチも、考え込む桐子様の真似をして、腕を組んで見せた。
すると、桐子様は、笑った。
そして、講釈を始めた。
「Si fallor, sum
さー、ふぇらー、さむ
初音ちゃん、この読みで、ええんか?」
「ウチも正確な発音は知らんのですわ」
「まあええわ。そこは問題やない。
《たとえ私が間違っていても、私は存在する》
これは、今、この場で、二つの意味がある。
ひとつは、初音ちゃんが『和歌』を知らん事に対する、自虐や。
《ウチは、間違っとるかもしれませんけど、ここにおりますよ》
そういう意味やな?」
「はい、そのとおりです」
桐子様は、自分の歌と、ウチの下手くそな字の短冊を並べて置いた。
――――――
春霞(はるがすみ)
たなびく山の 桜花
散りかうほどに 君を待ちけり
《花が散るまで、私はずっと、あなたを待っていたよ》
Si fallor, sum
《たとえ私が間違っていても、私は存在する》
――――――
そして、桐子様が、講釈を続ける。
「ウチの歌は、《花が散るまで待っていた》という、時間の経過を示しとる。
それと、花びらが散る美しい様子で、初音ちゃんが来たことを《お祝い》しとる。
ただ、ここに《春霞》《桜》《散る》という、はかないイメージがある。
つまり、この歌は、《別れの悲しい歌》としても解釈できる。
お祝いと別れの、両方を同時に歌っとる。
《ずっと待っていたが、あなたは来なかった。
私の代わりに、桜が花を散らして泣いている》
出会いは別れと表裏一体じゃ。
《あらたな出会い》とは、《あらたな別れ》の始まりでもある。
それを重ね合わせたのが、ウチの歌じゃ」
講釈を聞いて、女房がどよめいた。
「やっぱ凄いな、桐子様は」
「もう、姫様やなくて、歌仙やわ」
「もう、この京に、桐子様より凄い歌人はおらんやろ……」
桐子様は、どよめく女房を手で制し、再び講釈する。
「その、《二重の意味》をもつウチの歌に、初音ちゃんは、こう返信した。
《たとえ私が間違っていても、私は存在する》
この返答は、ウチの歌の《二重の意味》に対して、どちらにも呼応する。
【解釈一】 『明るい話』
= 和歌も知らん私ですけど、来ましたよ。よろしくね!
【解釈二】『せつない話』
呼《ずっと待っていたが、あなたは来なかった。
私の代わりに、桜が花を散らして泣いている》
= あなたを捨てた私は間違っている。
その罪を背負って、私は、これからも生き続けなくてはいけないのだろう。
【解釈一】やと、難波の初音ちゃんらしい、《楽しい冗談》や。
【解釈二】やと、男女のせつない、ラブロマンスや。
初音ちゃんは、ウチの歌への返答を、南蛮の短い一言で、《解決》してしまったんや」
桐子様がそう講釈すると、再び、女房が大きくどよめいた。
「なんや、なんや、えええ?」
「桐子様、それ、考え過ぎやろ」
「それ、ちょっと、大げさや」
「こんな小さい娘が、なんでラブロマンスなんや」
桐子様は、騒ぐ女房を手で制す。
「初音ちゃん、ウチの解釈、あってるか?」
「あってます」
ウチが答えると、女房は一斉に息を飲んだ。
……そして、全員が拍手した。
「凄いな、あの子」
「頭、どうなっとるんや」
桐子様は、ウチの顔を、興味深そうに覗く。
「初音ちゃん、どうして、こんな言葉、思いついたんや?」
「違うんですわ。それは桐子様が凄いんです。
うちがやったことは、ズルですわ」
「どういうことや」
ウチは《教育係》の最初の仕事として、女房らにも、しっかりわかるよう、姿勢を正して説明した。
「この、《Si fallor, sum》というのは、南蛮の宗教である《景教》の言葉や。
西の賢者、トマス・アクィナスは《景教》を学び、自分で問答しながら《究極の答え》を探しとったんです」
「禅問答する、坊さんみたいな感じか?」
桐子様が尋ねる。
「おっしゃる通りです。《景教》にも、問答があるんですよ。
そして、この言葉は、トマス・アクィナスが発見した、《究極の真実》のひとつや。
《たとえ私が間違っていても、私は存在する》
この言葉は、人間の、いついかなる時にも、《絶対に正しい》んですわ。
どんなときに、絶対に当てはまる。
色んな《景教》の学者が、何百年確かめても、やっぱり《絶対に正しい》」
「凄いな」
桐子様が、感心する。
「そやから、桐子様の詠んだ歌が、例え、どんな意味だったとしても、この言葉は返答として、対応するんよ。
《たとえ私が間違っていても、私は存在する》
ウチは、桐子様の詠んだ歌が、どういう意味を含むのか、正確にはわからんかった。
でも、ひとつやなくて、いくつかの意味があることはわかりました。
ここが重要なんですけど、『複数の意味』を持たせた言葉は、別の『複数の意味』を持たせた言葉と、一対一で対応するんよ。
だから、《なんか、複数の意味を持つ言葉が来たな》と思うたら、こっちも、なんでもええから『複数の意味を持つ言葉』を返しとけば、それで成立してしまうんです」
女房は、当惑しとる。
桐子様は、目を見開いて、仰天しとる。
「ちょっと待て。そんなこと言ったら、《歌の世界》が破綻してしまう」
桐子様が、慌てる。
「そうですな。さっきの桐子様の歌、もっと雑に解釈してもええんですよ。
やってみましょうか」
春霞(はるがすみ)
たなびく山の 桜花
散りかうほどに 君を待ちけり
= 人生色々あるよね。
「ここでいう『色々』とは、《楽しいことも、哀しいことも両方ある》という、両義的な意味でしょう。庶民的な、雑な言葉や。
ところが、桐子様の歌と、ぴったりとくっついてしまう。
桐子様は、頑張って、ひとつの歌に《色々な意味》を持たせようとしたやろ。
けど、《色々な意味》を持たせようと欲張ってしまうと、逆に、《色々ある》という、単純なことしか、表現できなくなるんです。
これは、ラテン語の《修辞学》つー理屈ですわ」
「たまげたわ」
桐子様が、苦笑した。
「理解できたで。ウチが色々工夫して、色々なことを歌に込めようとすると、逆に《色々ある》という《ひとつの意味》しか、伝わらんってことか」
「そうなんです。《色々伝えよう》と思うと、《色々》しか伝わらんのです」
「初音ちゃん、アンタは凄い。桁違いに賢いわ」
桐子様は、ウチに向かって拍手した。
女房も、よくわからんといった顔で、また拍手した。
「しかしな、初音ちゃん……」
桐子様が、声を低くして言った。
「初音ちゃんの考え方は、『平安京』ではダメなんよ」
「え?」
今度は、ウチが困惑する番やった。
■■ 雅 ■■
「ウチがダメって、どういうことですか?
ラテン語やからいかんのですか?」
「いや、ダメとか、そういうことやない。
ただ、《雅(みやび)》やないのよ。
だから、京では通用せんと言っとる」
「ほう……《雅》ですか」
ウチの知らん概念や。
桐子様が、負け惜しみだとかで、デタラメなこと言うわけない。
「勉強させてもらえますか」
ウチは、教えを乞うた。
「初音ちゃんの考え方は、論理的や。
真面目に《真実》を追求しとる。
これは素晴らしいのよ」
「はい」
「でもな、考え方が、『平安京』の文化と、逆向きなんよ」
「逆向き?」
「初音ちゃんから見ると、《この世》はわくわくするもの。
しかし、浮かれ過ぎんように、《この世》を厳しく見つめて、《真実》を探そうとしとる。
おそらく、《景教》というのは、《金持ちの、貴族の男》の《宗教》と違うか?」
ウチは、桐子様の解釈の凄さに仰天した。
「どうして、そんなことわかるんですか!?
トマス・アクィナスは、大貴族の男です」
「そうやろ。力があって、豊かやからこそ、戒めようと考える。
それが自然な考え方や。
ウチも仏教を学ぶけどな。ウチが姫様で、《豊かやから、仏教を学ぶ》のよ。
豊かやと、自分を《戒め》たくなるんよ。出家する女も、そうやと思うで」
「そうなんですか」
「ところがな、《歌》は《か弱い女の心》が原点なのよ。
ウチも、そこが理解できるまで、歌が書けんかった」
「そうなんですか! 歌って、賢い人が、言葉を工夫して書くものじゃないんですか?」
「違うんよ。女には、弱い心がある。寂しい心がある。
その弱さや、寂しさを大切にしながら、でも、そこに花を咲かせたり、月の光を当てる。
そうすることで、少しだけ《美しく》なれる。これが《雅》なんよ」
ウチは、桐子様の話を聞いて、鼻血が出た。
(歌って、そんな……深い話やったんか……カッコええ、カッコええわ、雅)
「百人一首とかやっとると、《歌》はゲームやパズルに思えてしまう。
しかし、違うんや。
《歌》の目的は、《己の弱さ》を知り、そこに《美しさ》を添えること。
だって、女やもん。真実なんて知りたくないわ。
《女の真実》なんて、《皺くちゃのババアになって死にます》ってだけやん。
そんなもん知って、どうすんのよ。女は、美しくなりたいんよ。
小野小町の歌、知っとるやろ?」
ウチは頷いた。
「花の色は移りにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに」
「そうや。《皺くちゃのババアになって死にます》って、《真実》を言うだけなら簡単や。
そうやなくてな、
《花を眺めて、せつなく思う乙女の気持ちは、一生変わりません》
小野小町の、この、いじらしさの発見こそが、《歌の心》なんよ。
だから、初音ちゃん。
《真実を暴いて、ドヤりたい》
そういう気持ちは、『平安京』では捨てなあかん。
例え、初音ちゃんが、論理的に正しくても、『平安京』では、それはダメや。
求められるのは、『正しさ』やないんや。『美しさ』なんよ。
まあ、もしかしたら、『平安京』がダメなんかもしれんけどな」
ウチは、桐子様の講釈を聞いて泣いた。
女房らも泣いとった。
桐子様は、《自らが美しくなりたい》《世の中を美しくしたい》という気持ちを込めて、歌っとったんや。
だけど、ウチは《世の中を暴いてやりたい》と思っとった。
ウチは、無粋やった。
ウチは無粋、心のブスや。
桐子様は、雅。心の美人や。
ウチと桐子様では、心のスレ違いがあった。
しかし、桐子様は、そのスレ違ったウチを、優しく受け止めてくれたんや。
なんてええ、姫様や……
ウチ、心を入れ替えます!
雅になります!
雅! 雅! 雅! みやびーッ!
「初音ちゃん。
じゃあ、初音ちゃんの教えてくれた言葉を、ウチが歌ってみようか」
「お願いします、桐子様」
「よし、ええか」
《Si fallor, sum》
たとえ私が間違っていても、私は存在する。
桐子様が、ウチの書いた短冊を見つめ、それから、新たな短冊に、さらさらっと歌を筆で書く。
桐子様が詠みあげる。
――――――
夢ならば 夢と知りつつ 咲く花を
恋とぞ呼ばむ 春のまぼろし
――――――
なんて、なんて、なんて美しい。
神々し過ぎます、桐子様!
雅! 雅! 雅! みやびーッ!
ウチは、女房らと一緒に、しみじみと泣いた。
そして、腹が減ったので、昼飯を一緒に食べた。
話が長引いて、朝食がすっかり冷めてしまって、それを無理やり食べた。
早苗はめちゃくちゃ怒っとった。
――――――
注:
夢ならば 夢と知りつつ 咲く花を
恋とぞ呼ばむ 春のまぼろし
【意訳】《夢の中》だとわかっていても、それでも懸命に咲こうとする花こそが、まぎれもなく恋である。そして、それは人生の春にみる幻である。
【解説】句の冒頭の《夢》と、文末の《まぼろし》が接続して、《夢幻》に循環し、読めば読むほど、反響する。それによって、一体、なにが存在するのか、わからない空間が形成される。その空間内に、ただ《恋する気持ち》だけが存在することが表現されている。
「夢ならば夢と知りつつ咲く花」=知性
「恋とぞ呼ばむ春のまぼろし」=感情
真実を知ってなお、《夢》を信じたい気持ちを“恋”と呼ぶ。
初音と桐子の、二つの知性の美しい融合である。
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