函館怪談 ~こちら駅前あやかし探偵社~
南野 雪花
第1話 酔いどれ女と濡れ女 1
しかも即日解雇だ。
荷物をまとめろ二度とくるな、と、きたもんだ。
普通だったら、労働基準監督署とかに駆け込むような案件である。
「ゆーて、都会ならともかく、田舎じゃそんなもんがまともに機能してるはずもなしってね」
偏見に満ち満ちたことを、さすがに小声で呟きながら私が向かったのは
さてみなさんこんにちは。
これからちょっと、無職のヨッパライ女にランクアップしようと思って、夕刻の
風流なさすらい人というわけだ。
ちょっと違うかもしれない。
普段ならちょっと足を踏み入れるのをためらってしまう
あとになって分析してみれば、これもなんだか私らしくない行動である。
一人呑みなんかしたことないのに怪しさ満点の店に突撃なんて、ちょっとありえない。
クビになってむしゃくしゃしていた、というだけでは、ちょっと説明がつかないだろう。
「そっかそっか。大変だったねえ」
「意味わかんないよね。病気休暇を使わせようとしたら上から怒られるとか」
「ブラック滅びろー!」
「滅びちまえー!」
こうしてカウンター席で隣り合わせただけの相手と差しつ差されつ呑むなんてのも、普段からは考えられない行動だ。
いくら女性同士とはいえ。
私の務めていた(過去形!)会社にはいくつかの福利厚生があり、法定の有給休暇の他にも休暇が設けられていた。
家族が病気になったときにも使えるってお題目だったんだ。
だから、後輩の親が病気だって聞いたとき、それを使って休んだらどうかって勧めたんだよね。
そしたら上司に怒られました!
余計な知恵をつけんなって!
「使われたら困るような制度なら設定しなきゃいいのに」
隣の席のお姉さんがクスクスと笑う。
つややかな黒髪と濡れたような黒い瞳が色っぽい。思わずを伸ばして触れたくなるような容姿、という表現がぴったり当てはまる。
「福利厚生が充実してるのは良い会社ってイメージだからね」
私は肩をすくめてみせた。
社員は集めたい。だからいろんな福利厚生がありますよとアピールする。だけど会社として損はしたくないから、サービスは使わせないようにする。
日本の企業がすべてそうだとはいわない。私の務めていた会社がそうだったというだけの話だ。
「で、ふざけるなって噛みついてクビになったと。熱いハートを持ってるねー」
「いわないでよぅ」
おちょこに注がれた日本酒をくいっと飲み干す。
熱いというか若いというか青いというか。
後輩のために上司に抗議するなんて、他人がやったらバカとしか思えない。
あげく逆鱗に触れて解雇だからね。
「労基にチクっちゃえば?」
「無駄っしょ」
「あ、やっぱり」
「せめて予告手当くらいはもらいたいけどね」
空いた私のおちょこにお姉さんがお酒を注ぐ。
くいっと飲み干す。
すごく飲みやすくて美味しい。
いくらでも飲めちゃいそうだけど、懐にも限界があるからなぁ。
無職になったし。つーか今月の給料、ちゃんと振り込んでもらえるんだろうか?
「大丈夫。そのへんはうちが上手くやってあげるから。茉那は安心して飲んで」
表情を読んだのがお姉さんが笑った。
んーと、私いつ名乗ったっけ?
「ありがてぇ、ありがてぇ」
ま、いっかぁ。
私は良い調子で飲み続ける。
ふと気がつくと、私はベンチに座ってぼーっと月光仮面を見上げていた。
菊水小路からほど近い、グリーンベルトの一角である。
なんでこんな場所に月光仮面の像が建っているかというと、原作者の
なんとこの方、函館出身なのである。
「あれ……なんで私……」
ふらっと入った呑み屋できれいなお姉さんと呑んでいて……!
はっとして持ち物をチェックする。
バッグはある。中身も……財布やカードケース、スマホもなくなってない。
「むむむ……?」
「なにがむむむよ。少しは良くなってきたみたいね」
唸っているとお姉さんがやってきた。
手に提げたビニール袋からはミネラルウォーターのペットボトルが覗いている。たぶん近くのコンビニで買ってきたのだろう。
「巾着切りだとでも思ったのかい?」
スリの、ものすごく古い言い回しである。
「そそそそそそんなことはないよ」
「せめて目を見て否定しなって」
はい、と、キャップを切ったペットボトルを手渡された。
一口飲めば、冷えた水が火照った身体に染み渡る。
「会計も済ませてきたから」
至れり尽くせりだ。
でも、さすがにそれはまずいだろう。社会人として。
いくら無職とはいえ。
「私も出すって」
「いいのいいの」
かぶせるように言って横に座る。
ちょっと近くない?
「給料も、解雇予告手当も、いっそ今後の生活費だって、どーんとうちに任せてくれて良いから」
「いやいや、なにをいって」
思わず彼女を見た私。
目が合った。
黒かったような気がする瞳が、いまは紫がかって見える。
吸い込まれそう。
「その上司に復讐だってしてあげるよ」
右手と右手が絡み合う。
しっとりと、まるで溶け合うように。
なんだろう。とてもとても、それは魅力的な提案に思えた……。
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