目指せ! 普通女子(前編)

 ああ……今日がこんなにも暑いなんて……


 なんたる不覚。

 どうしましょう……頭がクラクラしてきました。


 やはり三十路を迎えると体力も落ちるのか、待ち合わせの一時間前に意気揚々と到着したけど、この日差しが中々身体に堪えているようで……

 

 でも頑張るのです、真白。

 彼……遠藤秀一えんどうしゅういちさんとの待ち合わせまで後二十分です。

 最高の笑顔と振る舞いにてお迎えせねば。


 私はバッグからジャスミンティーの水筒を取り出すと口に含みました。

 今日こそは……きっと。

 ううん、失敗するはずがないのです。


 私はバッグから取り出した「真白メモ」を取り出して、すっかり内容を覚え込んでいる中身に再度目を通しました。

 

 秀一さんの様々な情報に加えて、これまでの失敗の原因を昴と加奈子さんが書いてくれた十数ページに及ぶ記録。

 

 それを元にして、今回は普通の白のワンピースに髪型も美容院ではなく自分でセット。

 プレゼントも自分の髪の毛入りペンダントは止めにして、いつも行っている叔母様との夜の食事会から、次回の実家での顔合わせまでの調整も無し。


 こんな誠意の無いことで大丈夫なのでしょうか……


 秀一さん、軽く扱われているとご不快にならなければいいけど……と心配でなりませんが、昴によると「それで丁度良い。姉さんの場合は冷めてるくらいで丁度良いから」と。

 さすがにそれは……

 でも、気持ちはまさにわらにも縋る思い。


 今度こそは……


 遠藤秀一さん。

 私の叔母様が講師をしているバイオリン教室の生徒さん。

 某電機メーカーにお勤めで、お仕事の傍ら毎週二回もレッスンを受講していると言う熱心な方。


 そんな秀一さんとの出会いは二月前。

 レッスン中の叔母様へ忘れ物を届けに行ったとき、丁度レッスンが終わった所で叔母様と生徒さんの楽しそうな笑い声が聞こえてきました。


 どうしようと部屋の前をウロウロしてたら突然ドアが開き、中から顔を除かせたのが秀一さん。

 ビックリして慌てている私にニッコリと笑いかけてくださり、叔母様も声をかけてくれたので中へ。

 

 そこで……ああ、何と不注意なのでしょうか……

 

 私は、部屋に入ったときに譜面台に載せてあった、バイオリンを演奏するために必要な馬の毛の着いた「弓」と言う細長い棒に腕が当たり、跳ね上がった弓が私の身体に!


 弓は大層高価と聞きます。

 そんな物を……

 慌てる私に秀一さんは顔を引きつらせて……言ったのです。


「大丈夫ですか! ケガはありませんか?」と。


 そう……高価な弓では無く私の事を……


「大丈夫です……でも、弓が……申し訳……」


「そんなのはどうでもいいです。今の顔近くに当たりましたよね? ケガは無いですか?」


 その時から……私は彼から目を離すことが出来ませんでした。

 何というか……その優しさに、お気遣いに……私の胸の中で小さな灯火を感じたのです。


 夜になっても秀一さんの顔が浮かび、叔母様に頼んでバイオリン教室に通い始め、秀一さんのレッスンの前後に、出来るだけ入れて頂きました。


 その甲斐あって色々とお話し出来るようになり、ついに……今日! 二人っきりでお出かけを!

 長かった……

 叔母様も気を利かせてくださり、三人で話しているとき「ねえ、秀君。良かったら真白に良い感じの初心者向けの楽器や楽譜を教えてあげてくれない? 私、忙しくて~」と。


 ああ……持つべき者は身内です。

 秀一さんも二つ返事で引き受けてくださり、今日という晴れの日を迎える事が出来ました。

 

 お出かけが決定して以降、体調を崩さないために毎日二時間ほど半身浴を行い身体を温め、寝る前に念のために、と風邪薬を毎夜欠かさず飲み。

 叔母様から秀一さんのお好きな献立やスイーツ、ご友人の特徴。

 毎日の日課や好きなインターネットのサイト。

 子供時代の思い出やお仕事のキャリアのプラン。


 そして……結婚式は神前式が夢であることや、子供は五人欲しいと言う情報まで聞けたのです!

 さすが叔母様!


(私が興味ある、って感じで聞いといたわよ~。だから安心して)と。


 感謝致します……ただ……


(しかしね~いいの、真白ちゃん? 秀君、別にそんなにイケメンじゃないわよ~。背も低いし……真白ちゃんの今までの方とは全然違うけど)


 と、何たる失礼な事を!


(叔母様。私、今まで男性の方を容姿で見た事なんてありません。容姿なんて頭蓋骨を覆う筋肉に過ぎません。見た目は数日で飽きますが、心は長くご一緒するほどに輝きます。心の奥に『ポッ』と灯が灯るような温もりは容姿などでは分かりません。いくら叔母様でも聞き捨てなりません。秀一さんに失礼です)


(ごめんね~、叔母さんが悪かったわ。真白ちゃん、恋愛には本当に潔癖だもんね~)


 と、そのようなやり取りがありましたが……ううん、この事は不問と致しましょう。

 それにしても……ふふっ。

 心が浮き立ちます。

 まさに……これは恋ではありませんか!


「神前式がお望みとは何たる運命……和装は大得意。秀一さん、あなたの好きなお色の和服はもう見繕ってます。最高の花嫁としてあなたの前に。そして……お子が五人! ふわあ……ええ、大丈夫ですとも。私、頑張ります……って、ひゃああ……恥ずかしい」


「あの……春日部さん?」


「そうだった……子供たちには何を習わせようか確認しないとでした。パパがバイオリンを習ってるならやはり……ああ、でも一緒にお話しも書きたいな……童話とか。うん、ここはぜひ今夜のディナーの席でゆっくりじっくりと相談を……何せ五人いるので、私たちのすり合わせが大事……」


 ん?

 今、気のせいか秀一さんの声が……


「春日部さん……大丈夫……ですか?」


 へえ!?

 弾かれたように後ろを見ると、そこには秀一さんが!

 えええっ!?


「あ……ああっ!! お、おはよう! じゃない……おはようございますです!」


 頭の中が真っ白になりながら何とか返事をした私をキョトンとした表情で見た秀一さんは、すぐに可笑しそうに吹き出しました。


「おはようございます。すいません、いきなり声かけて驚かせちゃって。でも……ごめんなさい、ちょっとだけ面白かったかもです。今の」


「へ……へえ!? ああ……すいません。何というお恥ずかしい……」


「いやいや、今のは僕が悪かったので気にしないでください。大丈夫です? 待ちました?」


「い、いえ! 全然です、数分前に来たばかりなので……」


 そう言うと、秀一さんは優しく微笑んで言いました。


「いやいや、顔真っ赤だし結構汗が……ごめんなさい。かなり早くから来られてましたよね? ラインくれれば良かったのに……そしたら僕も早めに……」


「いいえ! とんでもないです! 私なんかのためにそんなそんな。あの……その……お気になさらず」


 ああ……何たる値千金の笑顔。

 もうこれだけで今日の目的は果たされたも同然。

 ううん、ダメダメ。

 今日こそは……絶対に夢にまで見た……彼女になるんだ!


 ああ……そう思うと心臓が破裂しそうに鳴り響き……

 冷静に冷静に……

 散々練習したでしょ?

 今こそ練習の成果を……


 そう! 今日こそは昴や加奈子さんと練り上げたプラン「普通の女性になるぞ! 計画」を。

 

 えっと……でも、どうしましょう。

 さっきの驚きに加えて、教室の外で見る秀一さんの新鮮なお姿への動揺で、イメトレの内容が全て吹き飛んでしまいました。

 せっかく22時まで練習したというのに……とほ。


「大丈夫ですか? 楽器店に行く前にどこかカフェで休んでいきましょうか? 顔も真っ赤ですし……」


「あ……はい、有り難うございます。ではお言葉に甘えて……」


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 一緒に入ったカフェは女子の間で人気のパフェがあるお店で、店内は女子で賑わっていました。

 そんな所を選んでくださるなんてお優しい……ああ……真白、自分の想いを再確認しました。

 好きです、秀一さん。


「ここ、妹が前に入ってパフェが美味しかった、って言ってたので。パフェ……大丈夫でした? 僕、男のくせにパフェ大好きなんで、ついここにしちゃいましたけど」


「遠藤さんがお好きなら、この瞬間から大好物になります。好きです、パフェ」


「え!? いやいやいや、無理なさらないで。ダメなら別のを……」


「そんな、とんでもないです! だって、この先パフェをご一緒できる機会なんて、週一回だとしても一年でたったの五十二回しかないです。五十年ご一緒したとしてもたった二千六百回ですし……だから、大切に……」


「二千……何か……凄いですね、春日部さん……何て言うか……」


 はっ!

 これって……嫌な……予感。

 ああ……また……


 泣きそうになっている私に秀一さんは言いました。


「何か……ユニークですね。個性的な魅力で凄く良い感じじゃないですか。僕、好きだな」


 へ……はへ……へええっ!!


 お、叔母様……昴……加奈子さん。

 私……春日部真白……今度こそ、幸せになります!

 このお方と!

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