『#01 黒崎冴子、完璧と秘密のはじまり』 《後編:静》…完璧な進行と静かな余韻

『#01 黒崎冴子、完璧と秘密のはじまり』

《後編:静》…完璧な進行と静かな余韻



すべての出品が終了した。


会場に軽く拍手が起きる。

形式的なものだ。それでも、そこに込められたのは確かな“敬意”だった。


冴子は微笑ひとつ見せず、舞台から静かに去った。

その姿を、客たちは名残惜しそうに見送る。

まるで舞台から退場するプリマのように――


 

「……お疲れさまでした、黒崎さん!」


 

控室に戻った冴子を迎えたのは、スタッフたちの拍手だった。

その中には、映像担当の佐伯の姿もあった。


 

「あっ、黒崎さん、後半のモニター切り替え、少し遅れました。申し訳ありません」


 

冴子は視線を向ける。


 

「落札に支障は出なかったわ。次から注意すればいい。……以上です」


 

ぴしゃりと、無駄なく、終わる会話。

スタッフの佐伯は深々と頭を下げる。


 

「はい、ありがとうございます……!」


 

その一部始終を後ろから見ていた茜が、ふふっと笑った。


 

「ほんと、ブレないわね。冴子ちゃん」


 

「ブレる理由がないわ。今日の結果は、想定通り」


 

淡々と、冴子は会場を去る準備を進める。

すべてが「完璧」であることを当然とする姿に、周囲の誰もが圧倒されていた。


 

茜がふと笑みを浮かべる。


 

「……でもさ。ほんとにそれだけ? 今日は“いつも以上”にすごかったと思うけど?」


 

冴子は少しだけ間を置いてから、肩をすくめた。


 

「そうかしら」


 

その返答の仕方さえ、演技のようだった。

だが、茜はそれ以上は何も言わない。

それが彼女の“間合い”であり、“信頼”でもある。


 

そしてその隅に、やや場違いな存在――


見学者バッジを胸に下げた若い男性が、緊張した面持ちで控室の一角に立っていた。


 

「……本郷修也さん」


 

名札を手にした茜が小声で確認する。


 

彼は姿勢を正して頷いた。


 

「はい。本日より内定者研修の見学でお世話になります。ご挨拶できず、申し訳ありません」


 

「硬いなあ、見学だしそんなに気張らなくて大丈夫よ。ね? 冴子ちゃん」


 

冴子はほんの少しだけ、本郷に視線を向けた。


 

「……よろしくお願いします」


 

それだけを言って、再び無表情に戻る。


 

(あれが“黒崎冴子”……本物の)


 

本郷は、ただ黙ってその背中を見ていた。

まだ、この時の彼には想像もつかなかった――

この完璧な女性が、後に自分にとってどんな存在になるのかを。


 


 

帰りの電車内。

冴子はつり革につかまりながら、スマートフォンの画面をそっと開く。


 

【夜空しずく☆配信待機中!/コメント:今日は神回になる予感……!】


 

その通知を見て、一瞬だけ口元が緩んだ。


 

それは、誰にも気づかれないほどのわずかな笑み。


 

(……ふふ、“今日のご褒美”ですね)


 

車窓に映った自分の姿は、まだ完璧な“嬢王”だった。

だがその奥では、もうひとつのスイッチが――

静かに、確実に、入りはじめていた。


 

(つづく)

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