ノアの方舟 搭乗員1名
梅色加那
第1話 レコード
二度寝したい朝ほど目覚ましに悩まされることはない……あの特徴的な甲高い音…
『ピリリリ!ピリリリ!』
──うるさい。今私は眠っているの。
『ピリリリ!ピリリリ!』
「あー!うるさいなぁもう!」
枕元に置いてあるはずのスマホを手に取ろうとするけど、なかなか見つからない。身体を動かして探ろうとした瞬間、浮いたような感覚がした。
「ぐえっ!」
勢い余ってベッドから転げ落ちてしまった。フローリングの冷たさを感じていると、脇腹にロボット掃除機が当たってきた。さっきまで聞こえていなかった音がわあっと頭の中へ入ってくる。
──今日は休日だったっけ?ヒロが早起きして掃除機かけてくれたのかな…
「うう…ねむい…」
掃除機の音に紛れて、何か呼びかける声が聞こえてくる。
顔を上げてみるとそこには夫のヒロ……ではなく、空中に浮かぶバスケットボール大のロボットがいた。白いバスケットボールは液晶の目をニッコリとさせた。コイツがさっきから目覚まし音を鳴らしていた正体だ。
『ご主人様ご主人様。就寝してから5年が経ちました。そろそろ起きた方がいいですよ』
──そうだった。もう……
ゆっくりと立ち上がり、狭い寝室を見渡す。ビジネスホテルのように部屋のほとんどを占めるベッド。細い通路には申し訳程度の机がついている。その脇にあるカーテンを開けると、目に飛び込んできたのは一面の星空だった。
星空には境目なんてない。上も下も、左も右も、黒いキャンバスを輝く点が覆い尽くしている。そう、ここは地球ではない。宇宙の中を突き進む、方舟の中なのだ。
眠りこけて忘れていたけど、全部思い出した。指示待ちをしているバスケットボール…1号に命令をする。
「1号。現在位置を見せなさい」
『はいご主人様』
1号は空中に光の地図を浮かばせる。
地図を見てみると現在、方舟は天の川銀河をとっくに脱出していた。
──たった5年寝ていただけなのに、ここまで進むなんて素晴らしい性能の宇宙船ね。
『あと5万年後には目的地に到着する予定です』
「はあ?ならあと1000年は寝かせてよ!私は今、大好きな人類が滅んで心が弱ってるわけ!」
『そういうわけにはいきません。重大な出来事が発生したのです。あなたが5年眠っている間に』
──重大な出来事…!?まさか、動力源に何か問題が…
『人類が遥か昔に打ち上げたという人工衛星を発見・回収いたしました』
「なんだ。人工衛星か……って、マジ?」
『マジです。なのでさっさと身支度をしてください』
1号はそう言って、下部から小さなアームを出した。いくつものアームが身体を掴み、洗面所へと連れて行く。
洗面所の鏡に久々に自分の姿が映った。薄い青の長髪はボサボサで、真っ赤なルビーの瞳の周りには埃がついている。
1号のアームはとエアアイロンをとって髪の毛を整えてくれる。
『私は人間を管理するために生まれたのですから、悪魔基準ではなく人間基準で日々を過ごしてください』
「ええ…」
『はい、今のうちに歯を磨いてください』
「私、お口の中に雑菌なんて繁殖しないし歯磨きは必要ないんだけど」
『早くしろ』
──お世話ロボットのくせに口達者だ。おしゃべり機能とってやったろかな…
身支度を整え、使い古された白衣を着た。
狭い寝室の扉に近づくと、少し低い音とともに自動で開く。その先には無機質な白い壁と青い床の廊下が広がっていた。自分がいた寝室と同じ扉がいくつも並んでいる。
ここはノアの方舟。太陽系のエネルギーを全て利用できるほどまでに発展した人類は戦争で滅びてしまった。この私を乗せている方舟は、人類が第二の故郷へ行くために作り出した希望の舟。数万人が乗れるほどに大きく、そして永遠に飛べる人類の夢。
「まあ、乗ってるのは私ひとりなんだけどね!しかも私は人間じゃないし!なはは!」
廊下に自分の声が虚しく響き渡った。私は人間ではない。悪魔という種族の女だ。遠い、遠い世界からやってきた。寿命はなく、食事も呼吸も必要のない生命であるかすらあやふやな種族。だから人間が戦争で滅んだ後でも生き残れた。
悪魔だから人間と敵対していたわけじゃない。むしろ人間のことが大好きで、彼らのことを研究し、時には結婚してみたこともあった。
『ご主人様。早くいきますよ。時間は有限ですから』
「…思い出を振り返るのを邪魔しないでくれる〜?」
──まあ、その人工衛星ってのも気になるしさっさと行くか……
*
居住エリアを抜け、研究スペースへとやってきた。回収されたという人工衛星はすでに方舟内部に運び込まれており、整備ロボットたちによって厳重に管理されているようだった。
研究室の入り口を少し大きめの警備アンドロイド2体が守っているくらいだ。
「はいはーい。侵入する不審者なんていないんだから解散しなさ〜い」
手をパンパンと叩くと、アンドロイド達はさっさとその場を去っていき、いつもの警備に戻っていった。
1号は扉の前に立ち、電子音を鳴らして鍵を開けた。
『どうぞお入りください。5年間、厳重に保管してきました』
「ありがとね〜」
扉を潜ると、無機質な白い部屋が現れた。部屋のど真ん中に大きな台が置かれており、その上にパラボラアンテナのついた人工衛星が横たえられていた。
「あ、懐かしい!これ数万年前に人類が打ち上げたやつだよ。ずっと宇宙を彷徨ってたんだ!」
──コイツはロボットと会話している私と違って、ずっとひとりぼっちだったんだ。
人工衛星に近づき、骨董品を扱うよりも優しく撫でる。冷たい金属の感触が少しずつ自身の熱で温まっていく。
「あ、そういえば。確かゴールデンレコードを積んでいたんだっけ」
宇宙人に地球に文明があるということを伝えるために積まれたレコード。まさか拾ったのが地球から来た生命体になるとは当時の人たちは思いもしなかっただろう。
「1号。この人工衛星の中にあるゴールデンレコードを取り出しなさい」
『そういうと思ってすでに取り出しておきました』
「おお、気が利きすぎるロボット。やっぱりおしゃべり機能は残しておこう」
1号は真っ二つに分かれ、アームに持っているゴールデンレコードを間に挟み込んだ。すると空中にたくさんの写真が浮かび上がり、同時に様々な音が鳴り始める。波の音や雷の音などの自然音、著名な音楽やあらゆる言語。
潰えてしまった人類の記憶。夢の跡。
「人類の夢って何なんだろう」
生き残ること…はすでに滅亡しているから叶えられない。
記憶を引き継ぐこと…これはできる。このノアの方舟にはこのゴールデンレコード以上に様々な人類の記憶が載せられている。その夢を叶えることができるのは…
──私だけ。
この方舟が向かう先は人類が居住可能とされた惑星セカンド。そこに降り立った私は何をするべきか…
「……もし、惑星セカンドに別の知的生命体がいたとしたら。この宇宙船に乗せられた記憶を引き継がせた方が……いいのかな?」
──惑星セカンド到達まであと5万年。このことについてはゆっくり考えよーっと。
空中に浮かんでいる写真が消え、1号からゴールデンレコードが離れた。レコードはフカフカの緩衝材が詰められた箱に詰められる。
「あ、もっと聞きたかったのに」
『ダメです。ゴールデンレコードはとても貴重なもの。これ以上すり減らすわけにはいきません』
「ええ〜!!」
『ですが、今のでコピーを取っておきました。ミュージックボックスに保存しています』
「いや、マジで君、気が利くね!!今年の新卒は優秀だなあ」
『ははっ…ご主人様、面白いですよ』
ボケに対して愛想笑いで返されてしまった。ちょっと許せない。面白くないなら無視してくれた方がマシだった。
とりあえず、文句を言ってやろう。
「面白くないならハッキリ言ってくんない?あとご主人様じゃなくて、ファウストって呼んで?」
『わかりました。ファウスト様』
1号は液晶画面に^_^と浮かべて名前を呼んでくれた。
最初は乗り気じゃなかったけど、人工衛星を目の当たりにしてやる気が湧いてきた。そういえば、人類が滅亡したことに不貞腐れてずっと眠っていたからこの宇宙船の設備を全然確認できていない。何があるのか、すこし探索してみよう。
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