怪異喰らいとチョコレート

桐山飛鳥

紫苑と真帆

一、紫苑と真帆

 墓標みたいだ。

 

 紫苑しおんは飛んでくる罵声を流しながら、うずたかく積み上がった車を見ていた。

 川崎港のはずれにある自動車解体場ヤードだ。場内には潮のにおいが充満し、すでに死んだ自動車はさらに傷ついていく。

 ひしめく車からは悲鳴すら聞こえてくるようだった。

 

 紫苑は好みの車がないか、中古車販売店に来たときのように視線をはしらせた。


「チョーシこいてんじゃねえぞっ!」

 薄雲のかかった夜空に、低い怒鳴り声がひびく。

 十人ほどの男に取り囲まれているが、紫苑はそれでも意識を向けられずいた。

 

 タイヤの落ちたシビック、ボンネットの潰れたボルボ、ドアの凹んだヴェゼル、土色に変色したトゥインゴ……

 めいめい武器を持ってまなじりを決した男たちより、積み上がった車の方がよほど興味をそそった。

 廃業したわけでもないのに、これほど車が放置されているのはどうしてだろう。一瞬だけ考えたがすぐに思いあたった。

 

 管理人がケチだからだ。

 

 給料をちょろまかすせいで職員はやる気をなくし、あとには車の死骸が堆く積み上がる。土下座して頼み込んできた男の顔は、たしかに金に汚そうだった。

 だが、妥当な判断でもあった。解体して得られる金より、出て行く金の方が多いくらいだろう。

 加えて、盗難まで行われたとなっては――


「よそ見してんじゃねぇ!」

 ひとりの男が鉄パイプを振りかぶって突っ込んできた。

 身長は紫苑よりも低く、百七十センチほど。車でたとえるならシビックあたりだろうか。細身で動きは速い。でも、それだけだ。


 紫苑はうんざりしていた。


 振り下ろされる鉄パイプは躱さなかった。もろに頭にもらっても目眩すら起きず、血も流れない。鉄パイプはぐにゃりと曲がっていた。

「な……!」

 動きを止めたシビック野郎の腹を蹴り上げる。

 あまりにも軽く、紫苑の予想の倍は吹っ飛んでいった。一台の車に頭をぶつけて血を流し、動かなくなった。


「なんだ、こいつ!」

 ニヤついていた男たちに緊張が走った。警戒心を強めたのか、ひとところに集まってきた。

 端からボルボ、ヴェゼル、トゥインゴ、あとは軽自動車とコンパクトカー。

 猛獣を見るような目で、じりじりと近づいてくる。なかには腰の引けている者もいた。


 つい溜め息が漏れる。

 彼らはいわゆる半グレだった。腕っ節の強さを認められ、盗難車の違法売買に携わっているはずだ。

 それが、このていたらく。


「――アンタら、ふざけてんのか?」

 紫苑は挑発するでもなく言った。期待していたわけではないが、多少なりとも失望があった。

「もういい。まとめてかかってこい」

 紫苑が顎をしゃくると、男たちは口々に騒ぎ始める。


「スカしてんじゃねぇぞボケがっ!」

 雄叫びを上げながら、一斉に襲いかかってきた。釘バットや鉄パイプや、メリケンサック。中にはコンバットナイフを振りかぶる者もあった。

 紫苑はスカジャンのポケットに手を突っ込んだまま、男たちを待った。


「死ねやぁクソ女ッ!」

 酒樽のような巨体をした、ヴェゼル男が一番のりだった。


 一八三センチの紫苑よりも頭ひとつぶん身長が高い。きっとその巨体で裏社会を鳴らしてきたのだろう、繰り出される一撃には自信が満ちあふれていた。

 ガンッ、とけたたましい音が響く。紫苑の脳天にコンバットナイフが突き刺さったのだ。ヴェゼル男は勝利を確信したようにほくそ笑んでいた。


 しかし、すぐにその笑顔が凍りつく。


 確かに突き刺したはずのコンバットナイフが、根元からへし折れたのだ。カラカラと軽い音を立て、欠けた刃がコンクリートを滑っていった。

 紫苑は小さく舌打ちをした。ヴェゼル男は、本能的な恐怖を感じたのか距離を取った。


 後続の男たちは、まだ何も知らなかった。

 だからそうすれば殺せると信じて疑わず、紫苑に釘バットをフルスイングし、鉄パイプを叩きつけ、メリケンサックで殴りつけた。


 ガンッガンッガンッと激しい音が連続してひびく。

 どの男の顔にも嗜虐的な笑いが浮かんでいた。

 そして、紫苑が倒れておらず、そればかりか自分の武器が壊れていることを認めると、絶望の顔に変わる。

 紫苑はそんな彼らを、醒めた気持ちで見ていた。


「なんなんだよ……なんだよ、おまえ……!」

 悲痛な声が上がる。焼き回しをしたように、いつも同じだ。嘲笑、激昂、油断、絶望、そして命乞い。

 これまで相手にした人間となにひとつ変わらない。


「別にさあ」

「ひっ……!」

 紫苑が一歩踏み出すと、彼らはその場にへたり込んだ。

「アンタらの命とかどうでもいいんだよね」

「ば、ばけもの……たすけ――」


 最後までは聞かなかった。紫苑はやはりポケットに手を突っ込んだまま、足だけで男たちを蹂躙していく。

 ゾウがアリを踏み潰すがごとく、ある男の腕をへし折り、ある男の首を捻り、ある男の股間を潰した。


 血の海が広がり、鉄錆の臭いがたち上る。

 紫苑はひとりひとりを壊しながら、まだ車を気にかけていた。

 こんなやつらを車に喩えるなんて馬鹿げていた。こいつらはただのアリだ。武器を使っているくせ、私に傷ひとつ付けられないなんて。


 それとも、もういないのだろうか。

 私と対等に渡り合えるものなんて、もう――


「――ふっざけんじゃねェ!」

 怒鳴り声と、金属のすれ合う音。

 ヴェゼル男が尻餅をついたまま、トカレフを向けていた。

「最初から出せよ」

 紫苑は男に向かって一歩踏み出した。


 脅しではなかったようで、パン、と乾いた音が鳴る。銃弾は少しのブレもなく、紫苑の左胸に命中した。

「ふーっ、ふーっ」

 決死の一撃だったのだろう、勝機を見たのだろう、男のくちびるは昏いよろこびを湛えていた。

 

 だが、それもすぐに歪んだ。

「ひっ……」

 紫苑の左胸に当たった鉛玉はへしゃげて、くずおれるように転がった。スカジャンに穴が開いたが、それだけだった。


「……これ、気に入ってたんだけどなあ」

「うわぁぁぁああッ!」

 男は半狂乱になった。紫苑はゆっくりと近づいていく。パン、パン、パンとつづけて銃声が響いた。しかし、今度はかすりもしない。

「ちゃんと狙えよ」

「来るなッ、来るなよぉ!」


 紫苑は大口を開けてあくびをした。

 男たちが死のうが生きようが心底どうでもいい。解体ころしたところで一円の価値もないという点においては、やはり車と同じだった。


「あぁ……、あっ、ぁ……」

 弾切れを起こしたのか、カチッと音が鳴ったきりトカレフは沈黙した。紫苑は男の前に立ち、首をかしげた。

「アンタらが貯めた金があるはずだよな。どこ?」

「えっ……? か、金なら金庫に……で、でも鍵がかかってて――」

「いいよ、別に。で。どこ?」


 男は涙目になりながら、一台の車を指さした。

 大型のバンだ。解体待ちではなく、彼らの乗ってきたものらしい、ナンバー偽装テンプラだった。


 スライドドアを引き剥がす。なかには黒塗りの手持ち金庫があった。ダイヤルロックは堅牢そうだ。

 紫苑は指でつまむと、紙でも破るようにこじ開けて中身を取りだした。大した金額は入っていなかった。

「しけてんなあ」

 無造作にポケットに突っ込み、背を向けた。

これが欲しかっただけだから。アンタはもう好きにしなよ」


「な、なあ。あんた……」

 震える声で呼び止められ、紫苑は振り返った。

「なに」

「あんた、福光の手先だろ。なんであいつに協力してる」

 福光というのはここのオーナーのことだ。車をパクっていく半グレをなんとかしてくれと、先日紫苑に土下座して頼み込んできたのだ。


「あの人は前にホットドッグを奢ってくれたんだ。その義理返しだよ。アンタらの稼いだ金も持ってっていいって言われたしな」

 男はわけがわからないという顔をしたが、紫苑はもう口をきかなかった。

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