第11話 さらに深くへ
どうやら俺はエリーに感謝を伝えなければならないらしい。
あのダンジョン実習を超えて、リアンとファスタフはその仲をずいぶん進展させたようで、俺が本編で見ていたくらいの距離感になっているのである。
俺がダンジョン実習で何もやらないのについていって、何あいつとひそひそ話をされた甲斐があったというものだ。
しかし、同時にひとつ問題が出てきた。
ダンジョン実習が一回こっきりというわけではないということだ。あれから何度か同じようにダンジョンに潜る機会があったのだが、一度決めたグループはしばらく継続するというか、そうそう変わることがないため、俺は毎回リアンとファスタフに何食わぬ顔をしてついていくしかないのである。
もうね、とっても気まずい。俺は二人の五歩くらい後ろをついていって、腕を組んで嫌味を飛ばす係なのだ。ひそひそ話だって最初の頃はギリギリ聞こえていたのだが、向こうも慣れてきたのかどんどん声が小さくなっていってこっちにはほとんど聞こえないので、何を言われているのかと気が気ではない。
いや、それで二人が仲良くなってくれるのなら願ったり叶ったりなんだが、何を言われているか気になるのが俺という人間である。
しかし、そんな後方腕組嫌味面も今日で終わりだろう。
ダンジョン入り口の大広間で、グードベルグ顧問がこう言ったからだ。
「よーし、みんなそろそろダンジョンの空気に慣れてきた頃合いだからな。今日からは第二階層に行ってもらうぞ」
ついに来たか、とも思う。
第二階層ではチュートリアルボスが登場するのだ。物語の進展とリアン最初の見せ場が出てくるのだ。図らずも彼ら二人とともにダンジョンに潜れることになったので、チュートリアルの活躍をこの目で見られるのは素直に嬉しい。
大広間の端、グードベルグ顧問が壁に手をつくと、ガコンと音を立てて壁のくぼみが沈み込んだ。ズズズ、と鈍い音を鳴らしながらその壁ごと後ろに沈んでいき、やがて真っ暗な通路がその口を見せた。
火のついたたいまつを通路入り口の燭台にかざすと、ぼうぼうと火が揺れるたびに奥の、そのまた奥の燭台へと火が灯されていく。そこにあったのは階段で、その奥からはひゅうと生ぬるい風とともに粘つくような魔力が吹き上がった。
思わず顔をしかめる。
うへぇ、心してなかったら気分が悪くなりそうだ。
横を見ると、何人かの生徒はうっと口元を抑えていた。その気持ちはよくわかる。お腹いっぱいのときにこの魔力を浴びたていたら全部出していただろう。
この魔力からわかる通り、第一階層と第二階層ではその凶悪さが子供と大人くらい変わる。さっきまでいた第一階層は目をつむってスキップしてでも安全なくらいだが、第二階層ではそうもいかない。魔物の数も比べ物にならないくらい多いし、下手をすると大怪我をしかねないくらいの魔物だって出て来るのだ。
「いいか、第二階層にもここと同じように大広間がある。大広間には魔物が入れないよう結界が張ってあるから、そこは安全だ」
グードベルグ顧問が皆を引率しながら、階段を下っていく。その間に、第二階層へと踏み入るための心構えを告げる。
「だが、大広間を過ぎれば第一階層は比べ物にならないくらい危ない場所だ。そろそろダンジョンに慣れてきて、みなも気が大きくなっているかもしれないが……バニコーンやスライムのように簡単な相手ばかりではない。そうだな、まず最初の関門はゴブリンだろう。次いで、オークだ。オークがもしも二体以上いたらちょっかいをかけるなよ。危ないからな」
第二階層の大広間にたどり着いたところで、グードベルグ顧問が全員の顔をしげしげと見回す。
「初めて戦う魔物相手には必ず魔物が一体であることを確認しろ。それから、勝てないと思えば大声で助けを求めろ。これを守れないなら……」
声を低く、続ける。
「今見た顔のいくつかは、帰る頃にはないだろうな」
その脅しは覿面だったようで、皆の背筋がピンと伸びている。
まあ、今さらゴブリンやオークに手こずるようなことは俺にはないので、いつも通り腕組嫌味面である。
実力からすればリアンやファスタフにもそう心配はいるまい。とはいえ、ここで順当にレベルアップしないとゲームではステータス的には結構辛い相手だったような気もする。なので、用心するにこしたことはないだろう。
「ま、何かあったときには俺たちがなんとかするから、魔石を一人につき三つ、頑張って手に入れてこい!」
パンパン、とグードベルグ顧問が手を叩いたのに合わせて、リアンとファスタフが歩き出したので俺もそれに続いた。
第二階層は、事前に聞かされていたよりもいたって平穏な静けさの中にあった。生徒たちを十分に脅すために色々と言っていたのであって、実際には教師が日々このダンジョンの魔物を間引いて出来る限りの安全を確保しているのだから。そのあたりは設定でも語られていたが、本編の中でも学園外のダンジョンに入ったときに主人公一行が気付くシーンがある。
俺たちは、正確にはリアンとファスタフは少し困った事態に立ち会っていた。それは視線の先、通路の奥で少し開けた場所に三体のオークがフゴフゴと鼻を鳴らしている姿を見つけたことだった。どうやら食事中のようで、座り込んで何かの肉を骨ごと食らっているようだ。ダンジョンで魔物が魔物を倒すと、どうやらその血肉を食らうことができるらしい。あれはゴブリンの足をかみ砕いている。
ここに来るまでで、リアンが一体、ファスタフが一体のオークを倒して、戦利品としてその魔石を拾っている。
二人はその実力がオークを倒すのに十分であることを確認できている。しかし、果たしてこれまでの通り俺という何もしないだけの男を率いて三体のオークに挑んでいいのかを悩んでいるのだ。
リアンが俺を窺うように見た。
「オーレウス君」
「なんだ?」
「今回は、手伝ってほしいかなって」
後方腕組嫌味面から前衛武器持ち嫌味面へとクラスチェンジする時が来た。
「ギルドの肝入り、なんて言ってもその程度か。まあ、いいだろう」
「助かるよ」
剣を抜き放つ。
不思議なことに、リアンはここまで身体強化以外に魔法を使っていない。ファスタフへの遠慮だろうか。
「リアン・ストルカート、どうして魔法を使わないんだ?」
「え」
きょとん、と困惑を見せた。
「いや、いいの……?」
「何がだ」
「……君の機嫌を損ねるかと思ってさ」
逡巡ののちにそう言う。
「なんで?」
おっと、
しかし、俺がそんなことで機嫌を損ねるような奴に見えるか?
……。
見えるな。
こうなったら誤魔化しにかかるしかない。
「ふん、俺より出来るようになってから言え」
身体強化して、一足でオークの眼前へと跳躍する。
まず一体。
胴から頭が離れたオークが仰向けに転がった。切っ先の血を振り払う。魔物が消えれば綺麗になるが、すぐさま消えるわけではない。オークの硬い外皮に血糊がべったりついた刃では滑りかねないのだ。
突然倒れた仲間に動揺したオークが、武器を手に取るよりも素早くもう一閃。
再び首が転がる。
しかし、最後のオークは立ち上がって人間ほどの大きさのこん棒を握りしめて、咆哮した。
上背は見上げるほど高く、思い切り剣を振り上げてもその首を断つのは難しい。
仲間が倒された怒り、というよりは食事を邪魔された苛立ちだろうか。伏したオークを足蹴にして、こちらに蹴り飛ばしてきた。
ごう、と空気を押しつぶすような音とともに豪速で肉の塊が迫る。しかし、狙いが上過ぎだ。身をかがめてそれを躱すと、ドタドタと走り寄ってきたオークが目に入る。
その手に持ったこん棒が叩きつけられた。
地面へと。
打ち付けられたこん棒の先には頭大の石があり、それが粉々に砕け散って礫が俺に襲い掛かった。広範囲に撒き散らされた礫は、オークの皮膚には痛痒も与えていない様だったが、俺には脅威だった。
すかさず顔を腕で覆いながら後ろに飛び跳ねて、距離をとった。
こいつ、やけに上手いな……。オークはもっと頭が足りてないと思っていたんだが……。
この距離を詰めようともせず、俺を見据えるオークは獣の本能を理性で抑え込んでいるように見える。
しかし、頭が足りないのは頭が足りない様だ。
ストン、と音もなく真っ黒な棒が三本、オークの横っ腹に突き刺さった。リアンが放った魔法ダークアローだ。
オークは自分の体を見下ろすと、そのままぐらりと倒れこんだ。
俺にばかり目を奪われて、リアンやファスタフのことは目もくれていなかったらしい。
なるほど。オークをダークアロー三発で倒せるくらいの育ち具合か。まあ、普通にやってたらそんなもんだよなって感じだ。
「手こずっているみたいだったから……余計なお世話だったかな?」
こちらに近付いて来ていたリアンがそう尋ねてきた。
うーん、絶妙に嫌味を言いづらい。いいタイミングで攻撃してくれたから、ここで何を言っても負け惜しみにしか聞こえさなさそうだ。
「……平民にしては頑張ったほうだろう」
しかし、と言いながらファスタフを見る。
「えっと……私は、出番、なかったね。あはは」
「そうだな」
愛想笑いがひくりと止まりかけた。
ファスタフの前にリアンが立って、彼女をかばう。
「君だって、これまでずっと出番がなかったじゃないか」
「必要がなさそうだったからな」
「最初からいなければ、今必要になることもなかったんだけどね」
あのくらい二人でも片付けられたよ、とリアンが言う。
「そうか? 一人でも、の間違いじゃないのか」
俺の言葉に、いよいよファスタフが表情を歪めて、リアンの目が鋭さを増した。
リアンは一歩こちらに詰め寄って、まくし立てる。
「君、なんでそんなことしか言えないんだい? 僕たちだって我慢の限界だよ。グードベルグ先生のお願いだったから、これまでのことも我慢してきてあげたけどさ……」
い、いいぞ。二人の仲がだいぶ良くなってる……!
「最初からずっとそういう態度! 悪い奴じゃない、なんて言われてたけど、はん、とんだお笑い草だね」
じりじりと詰め寄ってくるリアンに、俺はじりじりと後ろに下がるしかない。
物凄い剣幕なので、言葉を挟む隙もない。
「僕はまだいいさ。でも、そのファスタフへの態度は許せない……そういう目をしながら、君は何がしたいんだよ」
「何が、か」
俺がしたいことは(リアンが)魔神を倒して世界の滅びを回避することだ。
それを言うわけにもいかないので、ここは意味深に口をつぐんでおくか……いや、ちょっと待て、
「おい、リアン」
「急に気安いじゃないか」
「そんなことはどうでもいい。ファスタフはどこに行った」
「え?」
俺とリアンは顔を見合わせる。
いくら何でもファスタフが一人でふらっとどこかに行くなどとは考えられない。
これはあれだろう。
魔神教団がファスタフを攫うイベントだ。
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