第27話 キミと共にここまで

 戦場から数十キロ離れた森の中。


 木々の隙間から漏れる淡い陽光に照らされながら、カインたちは目的の場所へと到着した。


 数十キロとはいえ、フランメヴィントの速さだと、ものの三十分ほど走っただけで辿り着けた。


 戦争が起こるという情報を手に入れてから、カインがそこまで辿りつくのにかかった時間が二日だったのに比べると、やや涙の出る結果ではあった。


 徒歩との差ではあるものの、それでも一介の魔導師のように移動に魔法が使えないのは痛手でもある。


 だがそれも、今回で解消出来たのは幸運だっだ。


 大凡、森林の中心部。


 許可された者以外は、ここへ辿りつくことは出来ないよう魔法が張ってある。


 迷いの森、見知らぬ人であれば近づくことも出来ず、ただ外へ抜けていることだろう。


 誰も自分が誘導されていることにすら気が付けない、高度な結界でもあった。


 目の前に見えてきたのは、小さな山小屋ロッジだった。


 外の音を聞きつけたのだろうか。


 扉が開き、中から一人の女性が現れた。


「シ――」


「カーくん、その人どうしたの! まさか攫ってきたの!?」


 カインの言葉を遮り、シーア・クラインは眠っているリデアに目をやった。


「んな訳ないだろ! 見ての通り衰弱している。看病してやってくれないか?」


 カインは、リデアを降ろしながらシーアに頼んだ。


 先の冗談とは裏腹に、シーアはカインに言われる前に既に行動に移っていた。


 リデアの顔を覗き込み、症状を伺う。


「大分弱ってるね。呼吸も弱いし……カーくん。とりあえず、中に運んで」


「分かった」


 カインは、リデアを抱えながら山小屋ロッジへと入って行く。


 シーアの隣を過ぎた折、不意に声をかけられた。


「……お帰り、カイン」


 振り返ってシーアの背中を見ながら、カインはこう応えた。


「ああ――やっと終わったよ」


 その言葉を聞いて、シーアは振り返りながらこう言った。


 カインが一番好きな表情で、そう言ってくれたんだ。


「貴方が無事で本当に嬉しい。お疲れ様、カーくん!」


 目の端に小さな涙を溜めながら、満面の笑顔を浮かべていた。


 それだけで、カインは帰ってこられた幸せを実感して、頬を濡らした。





 周りには何もない。ただ自分が存在するだけの真っ黒な世界。


 馴染みのある感触であった。


「ここは……」


 孤独な自分。


 光さえない世界に、ふっと種火が灯った。


 それは急激に肥大していくと、真っ黒な世界を赤い火炎で埋め尽くしてしまった。


「な……あ……ああ…………」


 襲いかかる炎に恐怖する。


 火炎の中から、フードを被った一人の魔導師が歩いてくる。


 手に持つスタッフが向けられたその時、火炎が一斉に迫ってきた。


「きゃああああああ!!」


 勢いよく飛び起きた。


 心臓が激しく鼓動している。


 ここには、光がある。火炎の景色はなく、スタッフを向けてきた魔導師もいない。


「どうなったの……」


 周りを見渡すと、そこは部屋の一室のようだった。


 そこでようやく、自分がベッドに寝かされていたことに気がついた。


 身につけていた衣服は、カジュアルなパジャマに変わっていた。


 一体自分がどうなったのか。


 途方に暮れていると、扉の向こうからノックが聞こえた。


 恐る恐る返事をすると、一人の女性が部屋へと入ってきた。


 自分よりは背が低いだろうか。


 とても女性的で優しさを感じられる人であった。


 きっと、それが彼女の人柄なのだろう。


「目が覚めて良かったよ。声が聞こえてきたからね。準備していた卵粥持ってきたんだけど、食べられそう?」


 見た目とは裏腹の砕けた口調に少々驚きながらも、首を縦に振った。


「あーん、ってした方がいいかな? いいよね? あれ、やってみたかったの!」


 こちらの返答を聞かない内に、彼女はスプーンで掬った卵粥を口元に差し出してくる。


「へえっ!? だ、大丈夫です!  自分でやれるからっ!」


 慌てて手を前に突き出して、彼女の行動を止める。


 すると、入口からまた声が聞こえてきた。


「シーア、暴走し過ぎだ。まったく、見に来たらこれだよ……」


 所々に包帯を巻きつけている青年。


 彼は、眉間に皺を寄せながら、彼女に苦言を呈した。


「えー、カーくんには分からないの? この優しさが、患者としての本懐が」


「いや、分からないから。と言うより、初対面でよくやろうとしたな……度胸だけは相変わらずだよ。それよりアンタ、体の方はどうなんだ?」


 二人のやり取りに翻弄されて、咄嗟に答えることが出来なかった。


「あ、えと……平気……」


 そこで思い出した。


「あ……貴方は……あの戦場にいた…………」


「ふぅ、やっとお目覚めか。そうだ。アンタが目の前で倒れたんで連れてきた。礼はいらないが、言いたいのならフランメヴィントに言ってやれ」


 彼が顔を向けた窓の先では、辺りを歩き回っている巨大な馬が見えた。


「あの馬が、フランメヴィントって言うの?」


「ああ。アンタ、アイツに二回も助けられてるんだぜ。後で顔を見せてやるくらいしてもいいと思うけどな」


 一方的な会話でもあったが、黙って頷いた。


「そう言えば、ちゃんと自己紹介してなかったね。ウチは、シーア。シーア・クライン。彼は、カイン・シュベルト。あなたの名前は?」


「私は……リデア・エーデルハイトです」


「リデア。じゃあよろしくね、リデアちゃん」


「ん……リデアちゃん!?」


 言われ慣れない呼び方に、思わず声を出してしまった。


「ああ、いきなり馴れ馴れしかったかな……でも、変える気はないよ」


 あはは、と笑いながら言うシーアに、リデアは首を振った。


「そんなことは……ないわ。そういう呼称はされたことがなくて……新鮮で……」


 友人を呼ぶようで――嬉しかったとリデアは感じていた。


 気恥ずかしさで目線を落としたリデアは、ふとシーアの違和感に気がついた。


 ケープがかかった左腕から下が、存在しなかったのだ。


 視線から察したのか、シーアは左腕を摩りながら静かに語った。


「これはね……大切な人がウチに未来をくれた証なの。ウチはね、腕の代わりに大切なものを貰ったんだよ」


 優しく微笑むシーアの背後で、リデアはカインが浮かない表情をしているのに気が付いた。


 それ以上踏み込んではいけないと察して、本題を口にした。


「それで、貴方たちは一体何者なの……特に……」


 リデアは、カインに目をやった。


 その時、無情にもリデアの意志とは関係なく――――お腹が鳴った。


「…………はぅ」


 赤面するリデアに、二人から笑みが零れた。


「オヒメサマは空腹のご様子だ。シーア、そろそろ食べさせてやったらどうだ? きっと勢いよく喰いついて来るぞ」


「もっちろん! さあ口を開けるのだ、リデアちゃん。おかわりの準備も万端だよ」


「ええ!?」


「それに、服も着替えた方がいいな。シーアのは些か……アンタには大き過ぎるようだ」


 そう言い残して、カインは部屋を離れた。


 リデアは首を傾げつつ、やや緩い服を眺める。


 それからシーアへと目を移して、更に下へと視線を動かしていき、カインが言った意味を理解した。


 豊満な胸を押し出して、スプーンを差し出すシーア。


 異性であったならば、この誘惑に敵う者はいないだろう。


「ん、どうしたの? ああ、カーくんが言ったこと? リデアちゃんは大きい方がいいの?」


 その問に、どう答えていいか分からず、リデアは俯いた。


 だが、次にシーアから発せられた言葉に驚愕することとなる。


「ウチはリデアちゃんの方が羨ましいけどなー。だってリデアちゃん、とても綺麗だったし」


「……え?」


「余りにも汚れてたからね。治療ついでに体をパパっと拭いたんだよ。だから、リデアちゃんは気にする必要なんてないよ。ウチ、カーくんに言ってくるよ。リデアちゃんは、美――」


 シーアが言葉を言い終えるより前に、リデアは叫んでいた。


「クラインさん!! お粥、食べさせて下さい!!」


「ふぇ……うん!」


 一瞬、面食らったシーアであったが、直ぐに笑顔を返した。


 そうして、リデアはシーアに卵粥を食べさせて貰うことになった。


「はい、あーん」


「……は……む」


 生まれて初めてされるこの行為に、リデアは恥ずかしくて死にそうになっていた。


 それでも、口に含んだ卵粥の味が幾らか気持ちを和らげてくれたのだった。






「…………ごちそうさまでした」


 最後の一口を食べ終えると、リデアはシーアに礼を言う。


「うん!」


 終始ご機嫌な様子のシーアは、事を為した自分に満足しているようだった。


 お腹も膨れたので、リデアは先ほど醜態を晒してしまい、言いそびれたことをシーアに聞いた。


「その……それで、貴方たちは一体何者なの?」


 リデアの問いに、空になった食器をトレイに載せながら、シーアは少しだけ躊躇う素振りを見せた。


「リデアちゃんって、審問会の人だよね……」


 既にシーアは、カインからリデアが属している組織を聞かされていた。


 犯罪者に対しては、一切の慈悲無く処断する組織。


 それが異端審問協会だと誰もが認識している。


 だからこそ――


「あなたも……同じなのかな?」


 リデアは、自分の配慮の無さに気がついた。


 質問に込められた想いに、シーアに悲しい顔をさせてしまったと後悔した。


(彼女は見ず知らずの私に、他の人とは違い打算なく親切に看病してくれたことは、その身で十分理解していたはずなのに)


 リデアは慌てて、シーアに弁解した。


「大丈夫よ。クラインさんが異端者だなんて思っていないわ」


 だが、リデアは理解していなかった。


 シーアが危惧していたのは自分ではなく、カインなのだということに。


「リデアちゃんは、その……カーくんの戦い、見たんだよね?」


「え? ええ……大魔導師アークメイジを相手に一人で戦った彼は……」


 そこで、はたとあるキーワードが思い浮かんだ。


『偉大なる者』であった大魔導師アークメイジという異端者に対抗するには、同じ大魔導師アークメイジか――彼と同じ


 リデアは勢いよく布団をはがして、立ち上がろうとする。


「駄目!!」


 シーアはリデアに覆い被さりながら、彼女の行動を止めた。


「放して、クラインさん! 彼、異端者なんでしょ」


 シーアは一向に放しはしない。


 リデアは更に力を込めてシーアを振り払おうとするが、急に視界が歪んで体の力が抜けてしまった。


「まだ本調子じゃないのに無理をするから……」


 リデアを抱きしめながら、シーアは優しい口調で囁いた。


「それに、ウチは貴方を死なせたくない。だってリデアちゃん、いい子だもん。さっき、ウチのことを気にしてくれた……友達になりたいよ」


「そんなことは……私は簡単に負けたりは――」


 リデアの反論を、しかしシーアはキッパリと否定した。


「死ぬよ。カインに仕掛ければ、必ずリデアちゃんは敗北する。カーくんと直接戦って勝てる魔導師はいないもの」


「それでも私は……異端者を…………」


 再び力を込めようとしたところで、シーアはリデアの顔を見て告げた。


「リデアちゃんが異端者を憎むのは、大体想像出来るよ。審問会の事情も知ってる。それでもね、ウチは貴方を死なせたくないんだ。こうしてお話して笑い合えたんだもん。だからさ、ウチの話を聞いてくれないかな。話を聞いて、それでも止まらないんだったら――ウチが貴方と戦うよ」


 シーアが垣間見せた表情は、普段の様子からは想像もつかないものであった。


 その殺気は本物だった。


 何にしても、力が込められない今の状態では、リデアにはどうすることも出来ない。


 シーアの話の時間を使って回復に専念しようと、リデアは黙って頷くのであった。

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