第26話 消える炎の景色
この結末に、戦場にいた誰もが動くことが出来なかった。
最終的には広大な戦場の約半分を占めていた紅蓮の炎は、永遠であるはずの命をたちどころに消滅させた。
後に残った風が吹き抜ける程に何もない大地が、現実の裏付けをするだけであった。
どこからか声が上がった。
それに呼応するように、一人、また一人と両の手を掲げて叫びをあげる。
叫びは次第に雄叫びへと変化し、鬨の声となった。
聖魔導会の魔導師たちは、狼狽えていた。
一騎当千の猛将を失った喪失、神と謳われた
戦場の流れは、変わったのだ。
敗者から、勝者へと天秤が傾いたのを、誰もが感じ取っていた。
審問会の魔導師は挙って、その勝機に向かって一気呵成に攻めたてた。
勝敗は、決した。
その光景を、カインはただ静かに眺めているだけだった。
「この期を逃すほど馬鹿なヤツはいないか。まあそのおかげで俺は、揉めごとも起こさずここから立ち去れる訳だけどな」
勝利を前に、又は敗北を目前に、誰一人としてカインの存在を気にする者はいない。
僅かでもカインめがけて攻めよってきたのなら、今の彼の状態では逃走は困難だっただろう。
体のあちらこちらで、火傷による激痛が訴えかけていた。
それらの呼びかけを黙殺するのも、一苦労だった。
ぐらり、とカインの視界が歪んだ。
「ッ……今まで何度も繰り返し想定した甲斐があった。やっと、アイツの世界を断ち斬ることが出来たんだな……」
フランメヴィントは、カインに気づいた様子で、カツカツと軽快な蹄の音を立てて近づいてきた。
その口に咥えられた一人の魔導師を連れて。
そこでやっと、カインはたまたま救った魔導師のことを思い出した。
「例外が一人いたか……自分で揉めごとを引き入れてるじゃないか……」
カインの傍で下ろされた魔導師は、その場でうずくまったまま頭だけを動かした。
その拍子に被っていたフードが外れた。
カインは、思わず息を呑んだ。
彼女の容姿を一言で表現するならば、とても美しかった。
戦場にいても尚、彼女の美しさは何一つ損なわれてはいなかった。
汚れた身なりを整えた姿を見てみたいと思う程に、天女の姿をした乙女であった。
歳は、カインと同じか少し上だろうか。
整った顔立ちは優美さを秘めており、瞳の色は落ち着きのある深いコバルトブルーをしていた。
髪の色はそれとは対照的で、鮮烈な紅色に染まっていた。
フランメヴィントの荒々しい赤とは違い、彼女のそれは輝くような高潔さを見る者が思い浮かべることだろう。
ローブに遮られて全貌は分からないが、かなりの長髪のようであった。
(これほどの相手を見たのは三人目だな……まあ、その二人は同じ家族で、一人は綺麗というよりかは可愛いと言った方がしっくりくるけどな。本人の前で口にしたことはないけど)
カインがどうでもいいことを考えていると、魔導師――彼女の方から声をかけてきた。
「貴方は……一体……」
消え入りそうな声であったが、しかし、カインはぶっきらぼうに口を挟んだ。
「奴もアンタも同じ問いを俺に投げかけてくるなあ。人に尋ねるならまずは自分からだろ、審問会の魔導師さん」
彼女は少し考える素振りをした後、弱弱しく口を開いた。
「私の……名前は……」
その途中で、彼女は天を仰ぐようにして体を倒す。
カインは彼女が倒れ込む前に、思わず伸ばした腕で抱え込んだ。
「ぐっ……」
火傷を刺激され、短い悲鳴が零れた。
カインの腕の中で意識を朦朧とさせながらも、彼女は続きの言葉を紡いでいた。
「……リデア・エーデルハイト…………」
そこで、彼女の意識は途絶えてしまった。
「おい、おいって……」
頬を軽く叩いてみたが、目を覚ます気配はない。
だが、それも無理はないだろう。
「俺が言うのもなんだが、あれ程の敵を相手していたんだ。当然、仲間と一緒に……心身共に限界に近かったんだろう」
カインは、彼女を腕に抱きながら途方に暮れた。
すると、フランメヴィントが彼女の顔に鼻を近づけた。
「助けてやって欲しい、か?」
カインの問いかけに、フランメヴィントは嘶いた。
カインは深く息を吐いた後、彼女を抱き上げた。
「オマエが俺に従った礼ってことにしようか。それに、流石にこんなところに置き去りにするのも後味が悪いしな」
カインが笑いかけると、フランメヴィントは顔を彼に擦り付けて感謝を示した。
両軍共、今は目の前の敵に執心していることだろう。
彼女――リデアを救助するには、まだ時間がかかるのが予想される。
その間に死んでしまっては、折角助けた意味もなくなってしまう。
「自覚してるだけ救いがないよな……」
乾いた笑いを浮かべながら、カインはリデアをフランメヴィントの鞍に乗せると、彼女の後ろに跨った。
懐にリデアを寄り添わせて、手綱を振るった。
「これで――やっと終わったんだ」
最後に炭化した戦場を一望して、感慨に浸る。
束の間の追想の後、誰に気づかれることもなく二人と一頭は戦場から離脱した。
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