第15話 誰に誘われたのか
深夜の侵入者・ピチャイの供述は以下のようなものだった。
日本で別人になりすまし、潜伏生活を送っていた彼のLINEにいきなりメッセージが届いた。もちろん偽名で登録したスマホとLINEアプリ。足がつかないよう、限られた人間にしかアカウントは教えていない。そこにいきなり差出人不明のメッセージが届いたのだ。
一瞬、ピチャイは迷惑メールかと考え消そうとしたが、そもそもこのアカウントを知る人間は限られている上、内容が彼を激しく動揺させるものだったため、目が釘付けになった。
「日本人Sの家のクマーン・トーンに大量の覚醒剤が隠してある。腹の部分だ。日本で売りさばけ。売上は8:2で分けよう。OKならSの住所と売りさばいた後の送金先口座を教える」
俺の所在がどこからバレたのか。
日本に来てからのピチャイは慎重に慎重を重ね、息を潜めるように生きていた。素朴な農村青年に化け、西日本の農家を転々としながら働いていた。確かにピチャイは東北タイの農家の生まれだが、貧しい生活に嫌気がさし、中学生の頃から地元の不良とつるみだし、工業高校に入学した頃には、いっぱしのワルになっていた。麻薬の売人になったのも彼の犯罪歴から考えてごく自然の流れだっただろう。
金のある人生は悪いものではなかった。バンコクの快適なアパートに住み、毎晩、クラブで遊んだ。付き合う女の子もよりどりみどりだった。そりゃあ深い関係になった女もいた。しばらく一緒に住んで…あることがきっかけで別れた。女が突然居なくなったのだ。まあ、別に構わない。金さえあれば女など簡単に手に入るのだ。
そんな中、ミャンマー国境での取引中に軍の強襲で仲間が捕まり、芋づる式にピチャイにまで司法の手が及びそうになった。ピチャイは残った資金を使って急ぎ偽造パスポートと日本行きの航空券を手に入れ、日本にやってきた。
しかし、日本にたどり着いてはみたものの、ピチャイは何をして良いのか分からなくなった。麻薬の売人とはいえピチャイは下っ端だった。日本社会に何の繋がりももっていない。観光客として滞在できる日数ももうすでに超えている。でも、なぜか彼にとって日本は居心地が良かった。
もう一度、日本で真面目に働いてみるのも悪くないかも知れない。そう思い始めていた頃だった。
正直、ピチャイは差出人不明のメッセージなど無視したかった。しかし、自分の素性を知っているに違いない誰か、そういう存在に自分は監視されている、そう思うとひどく気になった。無視したら次はどんなことが起こるのか。想像するだけで怖かった。ピチャイは覚悟を決めた。
「OK」返信を送る。あっという間に既読がつく。
「Sの住所は大阪府XX市XX町2丁目7番地。△△という鉄筋2階建てのアパートの2階、一番奥の部屋だ」ピチャイ既読。
「OK。ところでどこで売りさばけば良いんだ。俺は日本語も分からないぞ」差出人既読。
「まず盗んでこい。それからその写真を撮ってこちらに送れ」ピチャイ既読。
ピチャイはその日の深夜、言われた住所に向かった。メッセージにあったとおり、そこには2階建てのアパートがあった。とりあえずピッキングを試してみる。しかし、その鍵穴は複雑な構造をしている上、鍵穴が複数箇所あり、ピチャイのような素人が簡単に開けられる代物ではなかった。ピチャイはその場に立ち尽くした。しばらく考えた後、スマホを取り出し、LINEを開き、恐る恐るメッセージを送る。
「あんな鍵、開けられるわけがない」差出人既読。
「Sの後をつけてみろ。なにかきっかけがあるかも知れない」ピチャイ既読。
「Sはいつもそのクマーン・トーンを持ち歩いているのか?」差出人既読。
「そうかもな」ピチャイ既読。
ピチャイに選択肢はなかった。彼はひたすらSの後を追った。
ある日、ピチャイはSがひどく慌てて、何かの包みを抱えて、部屋から立ち去るのをみかけた。あれか。あれなのか。ピチャイはそれを奪うべくSを追いかける。
「Sさ〜ん!」中年の日本人男性が手を振りながら近づいてきた。ピチャイは慌てて物陰に隠れる。
「あ、葛城さん!良かった。ちょうど大阪に来ておられたんですね」
「はいはい。奇遇ですなあ。ほな、それ預かりますわ」
「これから奈良に帰られるんですか」
「そうですねん。善は急げと言いますからなあ」
「色々ご迷惑をおかけしてすんません」
「いやいや、退屈せんでええですわ」
「ほな、せめて駅まで私が持っていきます」
このような会話がSと中年男性の間で交わされていた。日本語がまだよく分からないピチャイは断片的にしか理解できなかったが、Sからこの中年男性へとクマーン・トーンが渡るのだということは理解した。Sはその場での強奪を諦め、今度はこの中年男性の後をつけることにした。この男性が聖の父親だったのである。
「とまあ、こういう話なんですよ」聖は語り終わると、やれやれという表情で傍らのカップから冷めきったコーヒーを一口飲んだ。
「すごく不思議な話!ピチャイが捕まったのはザマアミロだけど、そのメッセージを送ったのって、誰なんだろう」
「誰なんでしょうね。しかもその人はSさんがタイでクマーン・トーンを購入したことも知っているわけなんですよ」
「だからクマーン・トーンじゃないんだよ」デーン伯父がまたダメ出しをしてきた。
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