《六つの影》4
北方はまだ、春を迎えきれていなかった。
丘には霜が残り、空は薄曇り、風は雨の匂いを孕んでいた。
王都セリヴァを発ったリィゼ一行は、夜を越え、森を抜け、丘陵地帯を越えて北方戦線の最前に近づいていた。
リィゼは、騎乗のまま遠くを見渡していた。
その瞳の奥には、かつて戦場に立った記憶が焼き付いている。
「……この地で、また幻兵を呼ぶことになるのかしら」
その呟きに、隣の兵が反応する。
「どうでしょうね。敵は、散発的に現れています。何事ともなく捕られるといいですね」
リィゼの眉がわずかに寄る。
「急ぎましょう。丘の向こうに、村があるはずよ」
リィゼは馬を走らせる。その背中に、兵たちが続いた。
やがて辿り着いたのは、小さな村の廃墟だった。
焼けた木々、崩れた屋根、地面には、何かを引きずったような黒い跡。
そして空気は、異様に澱んでいた。まるで、命の残滓がまだ彷徨っているかのように。
「ここで何が…………誰かいたら返事をして」
リィゼの声に応えるように、崩れた家屋の奥から、かすかな気配が揺れた。
彼女が一歩踏み出すと、瓦礫の影から、ぼろぼろの毛布にくるまった小さな子供が現れる。
まだ五つか六つほど。頬には煤がつき、目元は涙で黒く濡れている。
「……怖くないわ。わたしは、敵じゃない」
しゃがみ込み、ゆっくりと手を差し伸べる。
そのとき、子供の背後から痩せた女が飛び出してきた。
彼女は子を庇うように抱きかかえ、震える声で叫んだ。
「やめて! もう、何も残ってないの! お願い、私たちに構わないで……!」
「落ち着いてください。私たちは王都から来た者です。ここで何が起こったのか、教えてください」
「青白い兵士が……!」
女の声が震える。
その叫びに、周囲の兵たちの目が鋭くなる。
「青白い……?」
「ええ。全身を鎧で包んだ兵たちが、霧の中から現れて……私たちの村を、焼き払ったの。
男たちは殺されて、私たちは……私たちは」
言葉はそこで詰まり、彼女は声を失った。
リィゼが視線を落とすと、子供の小さな手が、彼女のローブの裾をぎゅっと握っていた。
「……お兄ちゃん、守ってくれたの。悪い人に連れていかれそうになって……」
その言葉に、兵の一人が低く呻く。
「影の兵士……?まさか……?」
「違うわ」
リィゼはゆっくりと立ち上がり、淡く首を振る。
その瞳の奥に、確信が宿っていた。
空気が、ひときわ冷たくなったように思えた。
「準備を整えて。兵を二手に分けて、周囲の探索と残存者の保護をお願い。 貴方と私は村の中心部へ向かう」
「ですが……!」
「大丈夫。これを放っておけば、他の村にも波及する。ここで止めなければならない。民のためにも、私たちのためにも」
その声は静かだったが、鋼の意志を感じさせた。
兵たちは頷き、素早く布陣を整える。
リィゼは一歩、黒い霧の中へと足を踏み入れた。
焼け跡に残された命と、燃え尽きることのなかった悪意。
それはまだ、この王国を脅かす影として、深く根を張っている。
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