《風は目覚める》6

 王都セリヴァの城壁の外。

 リィゼ・クラウスは、戦いのすべてを静かに見つめていた。


 風に黒髪をなびかせ、その瞳は戦場の隅々まで映し出している。

 まるで魂の奥深くに今も響く戦の残響をなぞるかのように――

 彼女は、凛と、そこに立っていた。



 戦場の彼方、煙の向こうから、朝日が差し始めていた。

 霧に包まれた幻兵たちの背に、柔らかな金の光が降り注ぐ。

 それはまるで、亡き者たちを静かに讃える、天の恩寵のようだった。




 戦は終わった。

 一方的に、容赦なく、そして無慈悲に。


 敵軍は壊滅した。



 だが――

 凍りついていたのは、味方の兵士たちも同じだった。



 戦場に立ち尽くした彼らは、口を開くことも、武器を握り直すこともできなかった。

 まるで、自分たちのすぐ傍らに“人の理を超えた存在”が立っていることに、

 ようやく気づいてしまったかのように。


 風が、静かに通り抜けた。

 その風に、幾人かの兵が、ほんの少しだけ後ずさる。


 リィゼは動かなかった。

 ただそこに在るだけだった。

 それなのに、彼女の細い背に集う魔力の残滓は、あまりにも異質だった。

 まるで「この場に在ってはならぬもの」が、今なおこの空間に根を張っているかのように。


「化け物……」

 小さく、誰かが呟いた


 蒼白の霧が、なお戦場を満たしていた。

 幻兵たちは、血に染まった武具を抱えたまま、

 一片の誇りも損なわれぬよう、静かに、リィゼのもとへと戻ってきた。


 それは、勝利の行進ではなかった。

 誇示も歓喜もなく、ただ「果たすべきことを果たした」者たちの足取りだった。


 リィゼは、微動だにせずその姿を見つめていた。


 幻兵たちに表情はない。

 命を持たぬ彼らにとって、恐れも痛みも、記憶すらも意味をなさない。

 それでも、ただひとつ――

 その動きのすべてが、まるで彼女に“何かを返そう”としているように見えた。


 彼女のために剣を振るい、

 彼女のために死地に赴き、

 彼女のために、勝利を献げて戻ってくる。


 その光景に、兵たちはただ息を呑むしかなかった。


 リィゼの指が、わずかに震えた。


 幻兵たちは、彼女の前でひざまずく。

 無言のまま、ただ彼女に、沈黙の敬礼を捧げる。


「……もういいわ。ありがと」


 名もなき死者たち――かつて忘れられ、声を上げることさえ赦されなかった者たち。

 彼女は、その魂を己の魔力でこの地に縫い留め、戦いへと駆り立てた。


 それは、力であっても、救いではない。

 祈りではあっても、安寧ではない。


 ゆっくりと、幻兵たちの姿が霧のなかに消えていく。

 誰ひとりとして言葉を発することなく、ただ淡く、静かに。


 残されたのは、再び吹きすさぶ風の音と、血に濡れた草の匂いだけだった。



「ありがとう」と、リィゼはもう一度、唇の内側でつぶやいた。

 命を捧げてくれた彼らに。




 そして、リィゼはまた一人きりになった。

 ただそこに、静かに立ち尽くしていた。




 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇




「……これが、君の力か」


 セイルの呟きは、風に紛れて掠れた。

 だが、リィゼは確かな声で応える。



「これは――彼らの力よ。 私はただ機会を与えただけ。

 彼らが望んだの。もう一度、この国のために立ち上がることを」


 その声には、揺るぎない確信が宿っていた。


「敵は、恐怖を知った。 死よりも深い“名もなき死者たちの怒り”を。

 それに抗える軍は、もう存在しないわ」


「君は……」



 セイルが言いかけた言葉は、ふいに途切れた。

 言葉の行方を見失ったかのように、彼は沈黙する。




 リィゼがゆっくりと彼を振り返った。

 その瞳は、まっすぐに、王の心を射抜くように見据えていた。


「――君は、この力をどう使う?」


 それは、問うようであり、試すようでもあった。

 王として、この場に立つ者への、静かなる問いかけだった。


 この力を使えば、王国は敵を討てる。

 だが同時に、その代償がいかなるものか、よく知っていた。



 リィゼは、微かに微笑んだ。ほんの一瞬だけ。


 その笑みに、セイルは思わず、一歩後ずさった。


 気づかぬうちに、無意識に。

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