《風は目覚める》5


 リィゼ・クラウスの魔力が続くかぎり、幻兵たちは何度でも立ち上がる。


「死してなお、再び剣を取る……。これが……これが“魔女の軍”なのか……」


 セイルは愕然として呟いた。

 視界の奥で、また一体、幻兵が灰の中より立ち上がる。

 あまりにも大きな力に、現実感が失われてゆく。心が追いつかない。


 怯えた敵兵が膝を折り、剣を手放した。

 そのすぐ傍らで、倒れていた亡霊が静かに立ち上がり、再び剣を握る。


 朝陽が地平を染めはじめる。

 霧は戦場の端からゆっくりと薄れゆく――

 だが、彼らの影はなおも消えぬ。祈りの痕が、そこにある限り。


 そして、リィゼはまなざしを閉じ、ひとりごとのように呟いた。


「ごめんね……まだ、終わらせてあげられないの」


 その声に応えるように、幻兵たちは剣を掲げ、陽光に溶けながら戦場を進みはじめる。


 彼らは、もはや人ではなかった。

 王国のために斃れ、それでもなお王国を想い、立ち上がった者たち。

 死してなお、義務と祈りに縛られた影。


 恐慌は瞬く間に敵軍を包み込む。

 重装歩兵は列を崩し、騎馬兵は蹂躙を恐れ退く。

 だが幻兵たちは疾風のようにその背を裂き、退路を奪った。


「もはや陣形は保てぬ! 退却せよ、全軍退けッ!!」


 将軍の怒号が響くが、もはや誰の耳にも届かない。

 ただ己の命を惜しむ者たちが武器を投げ捨て、這い、転び、逃げてゆく。


 幻兵たちは止まらない。

 彼らはただ、「王都を護る」という使命だけで存在している。

 その歩みに、感情も、憐憫も、終わりもない。


 戦場は地獄となった。

 けれどそれは、血と肉が作り出す地獄ではない。


 ――何度倒しても、立ち上がる者たち。

 死してなお、剣を取り、盾を掲げる影の軍団。


 いまや敵兵たちは、幻兵の姿を見ただけで動きを鈍らせる。

 剣先は震え、盾は風にすら怯える。

 誰もが信じられないのだ――「敵は死なない、自分だけが死ぬ」という現実を。


 その時、王都の城壁から、あらたなる魔力の波が走った。

 新たな幻兵が、光の中から現れる。

 蒼く光る戦列が、ついには地平の果てまで連なった。


 敵軍のうち、ある者は恐怖で逃げ、

 ある者はその場に崩れ落ち、

 ある者は泣きながら天を仰いだ。


 もはやそれは戦ではなかった――裁きだった。


 セイルは、蒼白の影が地を覆う光景を、リィゼの背から黙然と見つめていた。

 風が流れ、幻兵たちの剣が、霧のなかでかすかに唸る。


「……これは、本当に“勝利”と言えるのか」


 その問いは、誰に向けられたものでもなかった。

 けれどリィゼは、それを拾い上げるように静かに呟いた。


「さあ……でも、王国は救われたわ」


 その声には、どこか遠い響きがあった。

 まるで、最初から諦めていた者のように――



 空には、幻兵たちの刃が奏でる微かな調べ。

 誰ひとり叫ばず、泣き叫ぶこともない。


 ただ、静かに――ただ、冷たく――

 敵を押し戻していく。


 死してなお剣を取り、死してなお命じられた地を守る影たち。

 その存在の重みで、敵軍は崩壊していった。


“魔女”の名のもとに振るわれる戦争の終わらせ方だった。


 そこに勝者などいなかった。

 あるのは、命を失った者たちの「想い」が支配する風景。

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