第36話 アレクサンドラ殿下のお招き
ハンナは、リリアンとマチルダの幸せそうな様子を、もちろん心から喜んでいたが、自分に恋人がいないのはやっぱり寂しかった。
うらやましいと思う。
恋人……と言われて思い受かベるのは、護衛騎士のエリック様だった。
思い出しただけで、心の奥底がざわつく。
婚約者がいるのに。
でも、ハンナは絶対に悪くない。
悪くはないけど、結果は同じかも。
学園の寮の机の引き出しには、例のサファイアのイヤリングが隠してある。
人前に出すことができないので、日に当ててキラキラ輝くさまを見ることはできなかったけれど、部屋の中でも十分美しかった。
こんなに高いものを贈ることができる人って誰なんだろう。
大富豪のハンナの父だって、買えない金額ではないにしろ、さすがにホイホイ買わないだろう。
それに、ハンナは彼が誰なのか全然わからなかった。
護衛騎士だと名乗っているものの、護衛騎士は普段、全員防具で顔を隠している。
背の高さも全員同じくらいだ。
エリック様もかなり背は高い。護衛騎士の平均くらいではないだろうか。護衛騎士はみんな背が高いのだ。
それに護衛騎士は極力しゃべらない。必要がある時は、どこかから紙を出してくる。その分、オーバーアクションだけど。
そしてエリック様は家名を名乗らない。仕事に必要がないので、ハンナも聞かなかった。グイグイエリック様にひかれていっているハンナだったが、どこの誰ともわからないのは、ネックだった。
「もしかして、お父様が認めてくださるような家柄だったらなあ」
可能性はありそうだけど、護衛騎士はたいてい男爵家などの次男、三男が多い。しかも職業が護衛騎士だと、父は難色を示しそうだ。
「しかも外国出身って、ちょっと意味が解らないし」
ハンナがいかに頭をひねってみても、忠誠心が絶対に必要な王子殿下の付き添いに、外国人を選ぶ理由がわからなかった。
サファイアはだから机の奥底にしまわれたままだった。
だけど、ハンナは、頭を振って妄想を振り払った。
ハンナの婚約者はジョージだった。それは変わらない。父から連絡は来ないし、本当に行き詰まっていた。
そんな時、アレクサンドラ王女からお呼びがかかった。
ハンナはドキンとした。
何かマズいことが見つかったのかしら?
「二人でお茶会をしましょうよ」
王女様と二人きりだなんて、しかも王宮に招かれるだなんて、この上なく名誉なことだったが、エリック様の不審行動を思うとハンナはビクビクした。
ご学友にふさわしくない行動だったと責められるのではないかしら?
こっそりと無紋の馬車で王宮へ入る。招かれたのは殿下の私室だった。誰もいない。いつものように無言でまるで置物みたいに微動だにしない護衛騎士が一人いるだけだった。
ハンナはただの伯爵家の令嬢。学園内での便宜のため設定されたご学友である。つまり校内案内係。そんな人を私室に招いてよいのかしら?
「殿下が退屈していらっしゃるので」
「そうでございますか」
アレクサンドラ殿下のことは嫌いではなかった。むしろだんだん好きになっていった。
最初、昆虫採集に興味があって、などと令嬢にあるまじき爆弾発言を投げつけて、ハンナを震え上がらせた彼女だったが、婚家先が隣国の王太子で未来の王妃であるため、フィリップ殿下より接触を求めてくる人々が多かった。
ハンナはご学友としてスケジュールを合わせる必要があったので、だんだん知るようになっていったのだが、公式行事への参加が多いアレクサンドラ殿下は、フィリップ殿下より登校回数が少なかった。
しかし、公式行事におけるアレクサンドラ殿下の受け答えは危なげなく、ハンナは内心同い年として尊敬していた。きっと素晴らしい王妃になるだろう。
婚約者の隣国の王太子殿下も、思慮深く穏やかで賢明であると、よい評判しか聞かなかった。
「今度のダンスパーティにジークムンド殿下も出席されますの」
ジークムンド殿下とはアレクサンドラ殿下の婚約者の隣国の王太子の名前だ。
「まあ、それは喜ばしいことですわね」
「機会があれば会いたいとおっしゃられて。でも、もちろんトップシークレットよ? 警備の問題がありますからね」
結構、嬉しそうだ。知らない方との結婚は不安ではないのかしら。
「実は幼いころ、王太子殿下はこちらの王宮にいらしたことがあって」
幼馴染枠?
婚約者の王太子殿下は五歳ほど年上である。つまり婚活最前線。詰めかける国内外の候補者を全部押し切ってアレクサンドラ殿下を選ばれたそうな。
「子どものころの思い出って大きいのですね」
アレクサンドラ殿下はそう言って微笑まれたが、多分違うと思う。アレクサンドラ殿下は、どう見てもスーパー美少女だった。
「私の好みを研究したのだとかおっしゃって、それでプレゼントが届いたのですけれど」
「まあ。素敵ではないですか」
「それが……」
殿下が指した机の上には、いくつかの平たい木箱が積み上げられていた。
「全部、蜂の標本なんですの」
いやあああ。やめてええ。
「私、吐きそうになりまして」
え? ああ、よかった。
「私がついうっかり蜂が好きといったばっかりに……」
確かに殿下はそんなことを言っていた。まあ、正直、はちみつが好物なだけだったらしいけど。
「そうしましたら、あちらに……」
指さした先は本だなだった。
鈍く光る金の装丁の素晴らしい本がずらりと並んでいた。題名を見ると、昆虫百科と読める。
「いただいたのですが、中身がもう怖くて……殿下も怖いので、研究家に任せたとかおっしゃっていましたが」
聞かないことにしよう。ハンナは昆虫類はこの世に存在しないものとして人生を生きていくつもりだ。
「まあ、希少な薔薇のはちみつをいただいたので、よかったのですけど」
はちみつ好きは変わらないのか。
しかし恐ろしい。婚約者の殿下はどうやら昆虫怖い系らしい。それでも、アレクサンドラ殿下の為にはこれだけのコレクションをするのか。王族はやることがデカい。
パース公爵夫人が自らお茶を運んできた。公爵夫人がハンナの為にお茶を運んで来るだなんて。ハンナはあまりの好待遇にびっくりしたが、アレクサンドラ殿下の言葉にそんなことはすっかり忘れてしまった。
「実は、ハンナに聞きたいことがありますのよ」
うわああ。なにかしら。怖い。
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