10匙目 砂糖を地獄で煮詰めて愛となる
じゅわりと卵が焼ける甘い香りで目を覚ます。冷房が身体を冷やさないようにとかけられたタオルケットに潜り込む。あちらこちらが軋む身体が楽になる体勢を変えていると、ふはっと笑い声が聞こえてきた。
誰のせいでこうなったのか分かっているんだろうな。そう責めるためにタオルケットから顔だけを出して睨んでやったが、翔梨は朝飯を作る手を動かしながら柔らかく目を細めるだけだった。
「睨んでも可愛いだけなんだよなあ」
「よく朝からそんなこと言えるな」
「本当のことだし、今日の俺はめっちゃ浮かれてるからな!」
「……」
「そろそろ朝飯できるよ。顔洗っておいで」
「んー」
そう頷いてもタオルケットから出てこようとしない俺を見て、翔梨は首を傾げる。少し考える素振りを見せてから一度IHコンロを消して俺のところにやってくる。それからどうするのか観察していると、翔梨はにこにこと笑いながら両腕を広げる。
「鮮、おはようの」
「ぎゅ」
翔梨が言い終える前に背中に腕を回して軽く力を込める。硬い腹に顔を埋めるように額をぐりぐり押し付けてから身体を離す。それまで一言も声を発さない翔梨の様子を窺うと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。やってやったぞと満足した俺は鼻を鳴らし、タオルケットを翔梨の頭に被せて洗面所に行く。
腰は痛いし全身気怠いし、熟眠感はあったがまだ眠い。あくびをしてから三面鏡に映る自分の姿を見て眉間に皺を寄せる。首筋から鎖骨にかけて赤い跡や噛み跡が散らばっているのだ。最中は以前にも増してしつこくて激しい翔梨についていくのにいっぱいいっぱいで気付かなかった。今までこんなことしなかったのに何でと翔梨の方に目をやれば、頭にかかったタオルケットをどかして満面の笑顔を浮かべていた。
「おい」
「へへ」
「へへ、じゃねえ。どうすんだよこれ」
「俺の鮮として抱けると思ったら幸せでつい」
「うぐっ」
緩みきった顔で言われてしまうと文句が出てこなくなる。逃げるように翔梨から視線を外し、歯磨き粉を取るために三面鏡の棚を開く。
以前までここにあったのは牽制するように置かれていたスキンケア用品。しかし、今棚に並んでいるのは色とりどりのパッケージ。中身は入浴剤だ。
「なんでまた入浴剤?」
「鮮ってうちだと烏の行水だけど、家では長風呂するくらいにはお風呂好きじゃん」
「さすがに人の家で長風呂はできないからな」
「でも入浴剤があると早く出るのが惜しくなるだろ」
「それは……確かにそうだな」
歯磨きをしながらドラックストアで買えるものからSNSで話題になるようなブランドのものまで種類豊富な入浴剤を眺める。俺を長湯させるためにわざわざ買ったのか、なんて言い方は可愛げがないのだろうと口を閉ざす。
……いや。この2ヶ月で翔梨に言われ続けていたせいで可愛げなんてものを考えてしまうようになったが、可愛いと思われたいわけではないから別にいいのか。
うがいを終えてから腹に腕を回して引っ付いてきた翔梨を見上げて、三面鏡の棚を見て一番気になったことを尋ねる。
「で、ここに並んでいたやつは?」
「丁重にお返ししたよ」
「まじで? よく刺されなかったな」
「ずっと好きだった子とようやく恋人になれるからって言ったからね」
「お前なあ、それは刺されるやつだろ。よく無事でんっ」
顎を掴まれ、顔を上げられる。柔らかいものを唇に押し付けられたと思えば吸われたり食まれたりとじゃれるように口付けされる。
腰を撫でられればぞわぞわとくすぐったさとは異なるものが背筋から登ってくる。身体をよじれば翔梨は唇を離し、にひひと悪戯っぽく笑う。
「おはようのちゅー」
「……」
「ちゃんと歯磨き終えるの待ったの、偉いでしょ」
「毎度拒否してたのを根に持ってるな」
「こうやって朝からいちゃいちゃしたいってずーっと思ってたのに鮮が嫌がるからさあ」
「歯磨きもせずにするのはやだ」
「歯磨きしたらいくらでもしていいってことだよね」
「だめだ。学校に遅れる」
「……それを言われるとなあ」
翔梨と向き合うように振り返り、唇を尖らせて悩ましげな声を上げている翔梨をじっと見つめる。そして、首に腕を回して噛み付くように口付ける。翔梨は目をかっぴらいて抱き寄せようとするが、その腕をすり抜ける。
「腹減った」
「今日はフレンチトーストだよ。自信作!」
「バターたっぷり。バニラエッセンスも入れた女ウケいいやつ?」
「女以上に鮮にウケがいいやつかな。メープルシロップもかけた甘いやつ好きでしょ」
「メープルシロップもいいけど、キャラメルソースの方が好きかも」
「初耳。なんで?」
翔梨の行動一つ一つが俺をターゲットにしていて、それを隠すために女ウケと言っていたことをこの2ヶ月で嫌というほど教え込まれた。しかし、それで引っかかった女を抱いていたことは事実だからしばらくは引きずりそうだ。蒸し返しても翔梨は嬉しそうに笑うだけなのが少し腹立つ。
同時に分かったことがある。翔梨は俺が過去の女関係を蒸し返すよりもこっちの方が効果的だということ。
「翔梨と初めてキスしたときのことを思い出すから」
それを聞いて耳を赤くして固まった翔梨に舌をべえっと出してからフレンチトーストを載せた皿を受け取る。
クッションを背もたれに座ってからも翔梨は動かないので、俺は先に手を合わせてフレンチトーストを食べ始める。
「ん、おいし」
「……鮮」
「おう」
「今から抱いていい?」
「昨日散々シたし、学校あるつってんだろ。蹴っ飛ばすぞ」
「だって、だって! あんまりにも可愛いことを言うからあ!」
「そんなこと言い出すなら次からおはようのキスは禁止にする」
「つまり我慢するならしていいってことだな!」
「キスまでな」
頷けば、いそいそと隣に座った翔梨に押し倒される。クッションに埋もれる形で見上げれば、熱帯びた目に見つめられる。
口の端が舐められてから口付けられる。隙間を作れば分甘苦さをまとった厚い舌が滑り込んできて、俺の舌を絡めとっていく。口の中から響いてくる唾液の音に昨日の余韻を残した身体が敏感に反応し、力が抜けていく。びりびりと快楽の波が押し寄せてきて頭の中が変になりそうだ。翔梨の服を握って、息継ぎの合間に名前を呼んで理性を保とうとする。
「……今我慢したら、今晩もうち泊まってくれる?」
「ん。夕飯、ハンバーグにしていいなら」
「もちろん。鮮の作るハンバーグ大好き」
「……好きなのはハンバーグだけか?」
「一番大好きなのは鮮に決まってるじゃん!」
「そ」
「鮮は?」
擦り寄るように額を重ねた翔梨は甘い卵が中までしっかり染み込んだトーストよりも甘ったるい声で確認してくる。俺の回答に自信があるようで期待に満ちた目をしている。
この気持ちを口にすることを許される日が、受け止めてもらえる日がくるなんて思いもしなかった。それだけで幸せなのにこいつはまだ俺を甘やかそうとするのだろうな。
翔梨の目にそんな予感を抱きながら俺は質問に答える。
「俺も。翔梨のことが大好きだ」
地獄に砂糖 きこりぃぬ・こまき @kikorynu
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