9匙目 蜂蜜を搦めた声で告白を
「なんかさあ。最近、二人の距離近くね?」
「そうか?」
「そうかな」
グループワークの課題を片付けようと学生ホールで資料やらノートやらを広げていると、時代が突然そんなことを言い出した。俺と萬は顔を見合わせてから不貞腐れたような顔をした時代に目をやる。揃って首を傾げてみせれば時代の顔は不貞腐れた顔から膨れっ面となり、俺たち二人を指差す。
「絶ッ対なんかあっただろ!」
「特にこれといったことはないよ。ね、鮮」
「うん。何もなかった。な、萬」
「いやいやいや、そこまで分かりやすい嘘に騙される俺じゃないからな! なんだよ、俺を仲間外れにするのかよ!」
時代は両手で顔を覆い、わっと泣くような声を上げて机に突っ伏す。そんな時代の行動を見越して蔓井がテーブルの上に広げていた資料をひょいと横に避けていたので手慣れているものだと感心する。
蔓井はそのままおよおよと泣き真似を続ける時代の頭の上に資料を積み始める。蔓井って時代には意地悪なところがあるよなあ、なんて眺めているうちに資料はどんどん積まれていき……いや、器用だな。どこまで積み上げるつもりだ。
「蔓井って昔から物を積み上げるの好きだよな」
「そんなつもりはないけど」
「あるある。中学のときとか女子並みにカラフルなペンを持っていて、それをよく積んでたじゃん」
「あれは俺だけじゃなくてクラス全体で流行ってたじゃん」
「蔓井の記録を越える奴はいなかったな」
テーブルに広げていた資料だけでは足りなかったようで、蔓井はわざわざリュックにしまっていた教科書を取り出す。時代の言う通り、蔓井は物を積み上げることが好きらしい。
蔓井の家に行ったときも思ったけど、意外と子どもっぽいところあるよなあ。翔梨とのことをオブラートに包みながらあれこれ話して、その後気分転換にと徹夜でゲームをしたことを思い出しながら俺は首を傾げる。
「二人ってそんなに付き合い長いの?」
「あれ、言ってなかったっけ。俺と時代って中学から一緒なんだ」
「知らなかった」
「つっても高校は別だったけどなー。大学の入学式で蔓井いるじゃーんって」
「やっぱ知ってる奴がいると安心するんだよね」
「住んでる場所も同じなのは笑ったけどな。今どんな感じ?」
「屋根作ってる」
「どういうことなの」
ああ、だから時代を気軽に呼び出そうとしていたのか。話の内容が内容だからと呼び出すことをしなかったあの日の会話に納得する。
その間も蔓井は鼻歌交じりに教科書を積み木のように積んでいき、律儀にも時代は付き合っていた。小学生低学年男子でもやらなさそうなアホなことをしているなあと俺はその光景をスマホで撮影する。
「そういうわけだから俺だけ仲間外れは寂しいからやめて」
「仲間外れにしてるわけじゃないんだけど」
「じゃあ、蔓井と同じように俺も名前で呼んでよ。正義くんはぁとでも可」
「いや、俺が呼んでも気持ち悪いだけだろ。そういうのはさあ」
「せーぎくんっ」
「……………………どぅわあっ!」
「あ、俺の力作が」
ひょっこりと現れた凛々花が語尾にハートがついているような可愛らしい声で時代の名前を呼ぶ。脳が情報を処理するのに時間がかかり、たっぷり間を開けてからようやく状況を飲み込んだ時代はへんてこな声を上げて椅子から転がり落ちた。時代とともにバサバサと床に落下していった教科書たちに蔓井は肩を落としていた。そんな状況に悪戯っぽく笑っていた凛々花はくるりと上がった睫毛を震わせるようにまばたきを繰り返し、間抜け面で固まる時代に手を差し出す。
時代が言うには凜々花は守ってあげたくなる、一度は付き合ってみたい彼女として理想的な女の子。高嶺とまでは言わないが男子が憧れる存在らしい。好きな男、彼氏の好みに染まる傾向にある凜々花にとっては誉め言葉なのだろうか。生徒が集まる教室のど真ん中で金的を蹴り上げて彼氏に別れを告げる本性を上手に隠せていることを考えれば誉め言葉なのだろう。差し出された手と凜々花の顔を見比べて頬を赤らめる時代に合掌する。
「ごめんね、そこまで驚くとは思わなくて。怪我してない?」
「大丈夫でっす!」
「ならよかったあ」
「それよりも何か御用ですか!」
「うん、ちょっとね。グループワークの課題をやっているところ申し訳ないんだけど鮮くん借りていい?」
「俺?」
「うん」
首を傾げると、ちょいちょいと手招きをされる。蔓井と時代に席を外してもいいか確認すれば二人とも快く承諾してくれたので、俺は凜々花についていく。
二人がいるところでは話せないことなのか。そう尋ねれば凜々花は言い淀む。白黒はっきりさせたがる凜々花にしては珍しく、心中を察することのできない俺は頭の上にハテナマークを浮かべる。
「どこまで行くつもりなんだよ」
「まあまあ」
「答える気ないやつじゃん」
「答えがないとついてきてくれない?」
「別にそんなことないけど」
「じゃあいいよね」
先を進む凜々花の背中を追いかける。一歩進むごとに髪を飾る簪が揺れており、自然と目で追いかける。簪って浴衣のときに着るものだと思っていたけど洋服にも合うんだなとか。視線を落とせばヒールの中に転がる苺が目に留まって、おしゃれなブーツを履いているなあとか。そんなことを考えていると、凜々花は人気のないところまで来て足を止める。
振り返った凜々花の表情は苦虫を噛み潰したような顔をしていて、俺は何かやらかしたのかと身構える。男女の性差があるとはいえ急所を攻められれば武闘の嗜み以前にインドア派の俺はひとたまりもない!
「私さ、人の恋路を邪魔をすることはしてもお節介はすべきじゃないと思うの」
「普通逆だよな」
「好きな人が被れば邪魔するし、友達が幸せになれなさそうな恋をしていたらネガキャンくらいするでしょう」
「あー……」
「友達が振られたら何で振ったんだって問い詰めたり、あの子が彼を好きなの知ってたのに手を出すとか最低なんて罵ったり。そういうお節介はうざいじゃん。知るか、本人が直接言いに来いよって」
「お、おう」
「だからさあ、呼び出しの仲介役とか気を利かせて二人きりにとかも好きじゃないしやりたくないんだけどね」
嫌々、本当に心底嫌そうに凜々花が言うと、空いている教室の扉が開く。俺は吸った息を吐き出すことを忘れ、目を見開く。動かした口から声を発することはできず、教室から出てきた翔梨に釘付けとなる。
困惑する俺をよそに凛々花は腕を組み、睨みつけるように翔梨を見上げる。そして、舌打ちを一つしてから忌々しそうに吐き捨てる。
「二度目はないと思って」
「言われなくても分かっているよ」
それだけを言って、凛々花は何の説明もせずこの場を立ち去ろうとする。慌てて呼び止めようとするが、翔梨に手を掴まれる。
振り払うことを許さない。そう訴えるように握る手の力が強く、俺は無人の教室に引きずり込まれる。
「……っ、凛々花を使ってまでなんだよ」
「玉緒さんに頼まないと俺と話をしてくれないだろ」
「話すことなんてもう」
「鮮になくても俺にはある」
講義開始を合図するチャイムが鳴る。上階の教室から椅子を引く音がガタガタと聞こえてくる。しばらくすればしんっと静まり返り、俺たちの間には沈黙が流れる。
半月ぶりに会う翔梨とか顔が合わせにくくて視線を落とす。そんな俺の名前を翔梨は呼ぶが、やっぱり顔を上げることはできなかった。その反応に何を思ったのだろうか。翔梨は深呼吸を繰り返していた。
そして――。
「俺の我儘で鮮のことを傷つけてごめんなさい」
翔梨は頭を下げる。視線を落とした俺の視界にグリーンアッシュに染めた頭が入り込むくらい深く頭を下げたのだ。
突然の謝罪に困惑して顔を上げるが、翔梨はその姿勢のまま話を続ける。
「高三のとき、彼女に言われたんだ。翔梨くんは私よりも柳桜くんの方が好きなんでしょうって。確かに、一緒にいて楽しいし、隣は居心地良い。でもそれは友達としてだって思って」
喉に力を入れて絞り出すように吐き出された言葉の何割が俺の耳に届いて、何割を理解できたのか。
自分のことなのに血が突然沸騰したかのように全身が熱くなって頭がくらくらしてきたせいで分からない。
「でも違った。俺、ずっと鮮のことが好きだったんだ。鮮の隣を誰にも取られたくなくて、独り占めしようとして、必死だったんだ」
どんな顔をしてこんなことを言っているのか、翔梨の顔が見たいと思った。
縮こまった肩を叩けば、翔梨は恐る恐ると顔を上げる。雀の羽のような茶色の目は不安そうで見知らぬ土地で置いてけぼりとなった迷子みたいだと思った。
不安げな目よりも、珍しく浮かんでいる目元には濃いクマよりも、俺の目に留まったのは腫れ上がった頬。
「……」
「……」
「……翔梨」
「はい」
「その顔どうした」
「仲介役を頼んだ代償というかなんというか。って、この流れでそこに触れる?」
「ごめん。正直に言うと話に頭がついていけていなくて」
凛々花に連れてこられた先に翔梨がいたという状況からまだ飲み込めていないのに、前置きなく話を始められてもついていけない。
そうでなかったとしても、俺はこの話を理解することができない。頭の中で何度も繰り返し、言葉一つ一つ咀嚼しても飲み込めない。
この解釈はあまりにも俺に都合が良くて、そんな話があるはずがない。思いついては否定をして、それでも行き着いてしまう。
「それじゃあ、まるで、翔梨が俺のこと好きみたいな話じゃん」
「だから! そうなんだって!」
ぽつりと零した呟きに翔梨が声を張る。びくりと跳ねた肩に両手を置かれ、熱のこもった目に見つめられる。
肩から広がる熱は翔梨のものか俺のものか分からない。恥ずかしさや気まずさから目を逸らそうとすると、咎めるように名前を呼ばれる。
「俺は鮮が好きなの」
「その言い方だと誤解を招くからやめた方が」
「…………。家族仲の良い鮮を独占することはできないから控えているけど可能なら毎日抱きたいと思うし、おやすみからおはようまで引っ付いていたい」
「は」
「口にするものは全部俺が作ったものであってほしいし、一緒にいてくれるなら飯を作る以外のこともなんでもして甘やかしたい。でも鮮が作ったご飯も食べたい。俺だけ見てほしいし、ずっと隣にいてほしい」
「え」
「だから、だから……」
思いもしなかった気持ちをぶつけられる。動揺のあまり反応が鈍くなる。そんな俺を見て翔梨は唇をぐっと噛
む。
肩に置いた手を下ろし、弱々しく裾を摘む。今にも泣き出しそうな顔は情けなくて、唇から滲む血から翔梨の必死さが伝わってくる。
「……信じてくれなくていいから、嫌いにならないで」
ずるいなと思った。俺がそうやって甘えられることに弱いことを知っているくせに。手を掴まれたら振り解けないことを知っているくせに。縋るように吐き出すなんて、本当にずるい。
裾を掴む手に触れようとして、寸前で止める。そう、翔梨はずるい男なんだ。翔梨の言う通り、本当に俺のことが好きだとして。俺の気持ちを分かった上で俺も他の女も抱いていたのだ。
それなのに今更、俺が離れようとして慌てるなんてずるいではなく卑怯だ。
「俺が翔梨のことをどう思っているか知っててやってたんだろ。それなのに今になって言うのは」
「知らねぇよ! 俺が鮮のこと好きだって自覚したとき、あれ鮮って俺といるときが一番可愛い顔してるし俺のこと好きなんじゃと思って聞いたのにさあ!」
「ん?」
「はぐらかすし、よくよく見たら玉緒さんといるときとすごい可愛い顔してるし! もしかしたら俺じゃなくて玉緒さんが本命か、やたらと懐いているもんなと思ったら不安で不安で」
「凛々花と話していると割り込むように間に入ってくるなと思ってはいたけど、あれ構ってほしくて間に入ってるんじゃなくて」
「割り込んでるんだよ! あんな花を毛皮代わりにした肉食獣が隣にいて落ち着けるわけないだろ!」
「独特な比喩表現だな」
泣きそうというより泣いている。恥も外聞もなく涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。本当に情けない。俺はこんな奴に何年も片思いを拗らせていたのだと思うと溜め息が止まらない。
こういう姿を普段から見せればいいのに。そうしたら翔梨に幻滅して離れていく女も多いだろうに。なんて、性格の悪い考えが真っ先に浮かぶ。同時に俺だけが知っていればいいとも思うので、嫌いになる以前に未練しか残っていないことを自覚する。回りくどくて最低な翔梨も翔梨だけど、俺も俺で結構酷いな。
「……ここで嫌いになれたら楽だったんだけどなあ」
「じ、じゃあ! 嫌いでもいい、嫌いでもいいから隣にいて。なんでもするから俺を隣に置いて!」
「いや、嫌いな奴の隣とか苦痛でしかないだろ」
「俺が悪いのは分かってる。殴ってくれてもいいから離れないで……離れるくらいならいっそ殺してほし」
「待て待て、なんでそうなるんだよ。物騒な話をするな。嫌いな奴を殺して人生の汚点を作るとか最悪すぎるだろ」
「汚点になってでもいいから存在をひきずってほしい……」
前言撤回しよう。俺なんて比べ物にならないくらい翔梨の方が酷い拗らせ方をしている。あれだけ一緒にいたのに全く気付かなかった。上手いこと隠していたんだなと感心さえする。
目から涙、鼻から鼻水で酷いありさまの翔梨にこれ以上疑うようなことは言えず頬を掻く。
「それをもっと早く言ってくれたら話がここまで拗れることもなかったのにな」
「だって怖いだろ。友達だと思っていた奴がこんな独占欲と性欲に塗れた目で見ているなんて」
「言い方。つーか、そう思いながら抱くってどんな神経してるんだよ」
「鮮が本気で拒絶しなかったから……」
「叶わない恋だと諦めて友達でいようとしていたのに一時でも優しく触れられる機会に恵まれると思ったらさ、あわよくばって受け入れちゃうだろ」
途端、翔梨の目が輝く。さっきまでの泣き顔はどこへ行ったのか、頬を紅潮させて顔のパーツ全てで喜びを表現している。そして、両腕を広げて勢いよく抱き締めてこようとしたので脇の下を潜るようにしてすり抜ける。宙を切った両腕に翔梨はSNSで流れてくる何が起きたか分からず呆然とする大型犬みたいな顔をしていた。
その顔を見たら気が抜けて許してしまいそうになるが、俺のためにも翔梨のためにもいつものように流されるわけにはいかない。ここはけじめをつけるためにもと心を鬼にして両手でバツ印を作って首を横に振る。
「翔梨の言っていることが本当だとしても、信用は地の底だからな」
「うっ」
「だから三ヶ月。俺も他の女も、誰も家に連れ込まない抱かないで誠意を見せてくれたら改めて俺から言ってやる」
「さ、三ヶ月!? 長いよ、せめて一ヶ月」
「調子に乗るな。譲歩しても二ヶ月だ」
「…………わかった」
肩を落とす姿にはあるはずのない耳と尻尾が垂れているように見えた。あまりの落ち込みように早々に条件を撤回しそうになるが、これまでのことを思い出して堪える。
翔梨が言っていたことが全て本当のことだとしても、俺を抱いた腕で他の女を抱いていたことは事実だ。あの日だってお見舞いに行った同期を抱いているんだ。翔梨が俺のことを好いてくれていて、嬉しいからそれまで辛かったことは水に流すなんてことはしたくない。
「キスもだめ?」
「当たり前なことを聞くな」
「……手を繋ぐのは」
「それもダメだ」
「…………」
「ふはっ」
そうやって心を鬼にしようとした。しかし、我慢できなかった。うきうき気分で散歩に出たら突然の雨にびしょ濡れとなり、すぐに散歩が終わってしょぼくれた大型犬のような顔をする翔梨を見て笑ってしまった。
一度気を緩めてしまえば引き締め直すことは難しく、項垂れた翔梨の頭をわしゃわしゃと両手で掻き混ぜる。されるがままの翔梨はきょとんとしていて、それがまたおかしい。
「ちゃんと我慢できたらご褒美やるから」
「鮮……!」
「じゃ、萬と時代を待たせてるからそろそろ行くな」
「切り替えが急すぎ……は、今あいつのこと名前で呼んだ? ねえ、鮮!」
「うるせーうるせー」
「うううううう。じゃあ、せめて今日の夕飯を一緒に」
「外でならな」
腕を引っ張って粘ろうとする翔梨に呆れるように溜め息を吐けば、こいつは嬉しそうに頬を緩める。そして、今までに見たことがないふにゃりとした笑顔を浮かべて蜂蜜を垂らすように甘い声で、これまでの分を上乗せして注いでくる。
「へへ。鮮、大好き」
果たして、言い出した俺の方が二ヶ月もつだろうか。
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