勝たぬ強さ、斬らぬ剣 ―戦わずして至る境地―
うなな
第1話 地上最強を目指した男
地上最強を目指していた。
冗談でも謙遜でもなく、本気だった。
九頭竜剛は、二十代の頃からその言葉を胸の内に刻み続けてきた。
強さとは何か。
勝つとは何か。
技とは、力とは、命とは――
それらを測る唯一の方法は、闘うことだった。
柔道、空手、ボクシング、総合格闘技。
すべてを学び、試し、勝った。
だが道場にもリングにも、“本物”はいなかった。
ルールがある。制限時間がある。
それは戦いではなく、競技だった。
相手が素手なら、こちらも素手。
体重差があれば階級を分ける。
グローブをはめ、安全な場所で、安全な距離で、安全なやり取りをする。
そんなものは“戦い”ではない。
剛はそう断じた。
真の戦いとは、何が起こるかわからない場だ。
ナイフが出るかもしれない。棒を隠しているかもしれない。
背後から撃たれるかもしれないし、複数で来るかもしれない。
だが、それが当然だ。
命の奪い合いに、“卑怯”という言葉はない。
そうして剛は、表の世界を離れた。
裏試合。
噂と招待でしか辿り着けない、ルールなき場所。
そこでは、文字通り命を懸けた男たちがぶつかり合っていた。
刃物あり、複数あり、薬物あり。
勝てば金。負ければ血。
だが、剛は負けなかった。
何十戦もの試合を重ね、いつしか**“九頭竜の剛”**と名を知られるようになっていた。
だが、本人にとってはどうでもいいことだった。
自分が“どれだけ強いのか”を確かめる場所。
ただ、それだけだった。
戦いの記憶はほとんど残っていない。
勝ったかどうか、倒した相手の名も顔も、曖昧だ。
覚えているのは、たった二度の敗北だけだ。
一つは、腕を砕かれた夜。
もう一つは、心を折られた朝。
そして、三つ目の敗北が、すべてを変えた。
その日、相手はただの小男だった。
百五十センチほどの身長。やせ細り、目立たない。
だが、目を合わせた瞬間、剛は“何か”を感じた。
動こうとした瞬間、視界が傾き、
気づけば、背中が地面についていた。
何が起きたのか、まったくわからなかった。
ただ、小男はぽつりと言った。
「“間”がわからんな、おまえ」
それだけだった。
剛は立ち上がれず、その場を去った。
屈辱ではない。怒りでもなかった。
ただ、**“自分の知らない世界がある”**という、深い敗北感だけがあった。
それから剛は、夜も眠れず、“間”という言葉を繰り返し思い出した。
距離のことか? タイミングか? 呼吸か?
いや、違う。それでは説明がつかない。
あの男と向かい合った瞬間、
“自分の動き”が、自分のものではなくなった。
身体の奥から、生存本能のようなものが告げていた。
――「このまま動けば、死ぬ」と。
これまでのすべての戦いに、そんな感覚は一度もなかった。
あの“間”の正体を知りたい。
知ることで、初めて自分がどこまで行けるかがわかる。
それは“強くなる”ためではない。
“強さとは何か”を知るための問い直し。
そのために、剛は山を登り始めた。
伝承者と呼ばれる小男の住む山奥へと――
何かを教わるためではない。
答えの前に、問いを整えるために。
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