許し

だるお

第1話

「私たち異父姉妹だったの」

「やっぱりそうだったのね」


なんとなく、そんな気がしていた。

だから別に驚かなかったし、今までの全てに納得がいった。


数年ぶりに姉に実家に呼ばれた理由はこれだったのかと少し笑ってしまった。それもそうだろう、姉が私に用があるとすれば自分にとって不都合があった時、もしくは自分語りがしたい時だけだ。それもここ数年、育児と仕事を理由にずっと避けてきた。

姉の為に使う時間もお金も、私は持ち合わせていないのだ。




私たちは普通の姉妹では無かった。




生まれた時からきっと差別されていたのだと思う。

憶えているのは2歳頃からの、一人ぼっちで実家の2階に置いてけぼりにされていた、うすぼんやりとしたかすかな記憶。

殆ど誰とも口をきくことなく、数冊の絵本とボロボロのクレヨンと共に、幼稚園に入園するまでの間、私はほぼ放置されていた。


完全な放置で無かったと思える理由は、時々現れる姉に絵本を読んでもらったり、足の爪を切ってもらったりしていた事があるからだ。

血だらけになった私のつま先を見ながら、姉はいつも私に言っていた。

「お前は可愛そうな子、肌が黒くて見た目も悪いし顔も良くないから可哀そう」

年の離れた姉にずっとそう言われ続けていたせいか、私は未だに鏡で自分の顔を見るのが好きじゃない。

家族以外の人たちは皆、私を美人だの可愛いだのと褒めてくれる。だが一度家に帰れば、母と姉は私を貶める。

「お世辞にしても言いすぎよね」

「あの人はちょっと趣味が悪いから」

「美人って言うか、あれよね、ヒスパニック系の貧乏人の顔」

「アメリカに行けばもてるかもね」

「そうそう、貧乏人が住むエリアのね」と

ジワジワと締め上げるように否定されてきた。

顔も、人生も、何もかも。


姉が専門学校に入学すると、母は嬉々として姉の宿題を手伝っていた。時折私にも手伝う様指図し、黙っていると酷く不機嫌になって叱られた。母は常に姉だけを大切にしていた。

母に愛されたかった私は、できる事を全てやってきた。

家の掃除も、ご飯作りも、洗濯も、朝のコーヒーを入れるのすら私の仕事だった。

ただ一言、『ありがとう』と言って欲しかった、それだけだった。

そんな私を母は無視し続けた。


私の高校入試直前に姉がヨーロッパ旅行に行った。

数十万もするツアーにお小遣いは100万円を超えていただろう、有名ブランドで買い物する話を楽しそうに2人でしていた。


その少し前、私が私立高校に進学したいと相談した時、母は

「都立高校にして、そんなにお金ないから」

と言った。

蔑ろにされるのが当たり前だから、気付かなかった。

我慢すれば褒めてもらえると思い、母の要求は全て受け入れた。

『良い子にしていれば、いつかきっと母は私を好きになってくれる』

そう自分に言い聞かせてきた。


海外旅行から帰ってきた姉を労い、お土産を喜ぶ母は、私の入学試験の事も忘れていた。母の無関心はいつもの事だったので、私は1人で勉強して、無事入試を終えた。

高校に入学が決まり、準備をしたかったが、母は学校の入学説明会にも出席せず、何一つ手伝う事もしてくれず、挙句、制服すら注文してくれなかった。


高校入学前に泣きながら準備した制服は縫い目がボロボロの手作りの制服だった。

その頃から私は徐々に母の事を諦め始めていた。


不幸中の幸いなのか、母は私が20代の時にガンになり、長く闘病する事無く亡くなった。


母が亡くなった後すぐに、姉の主導で主だった手続きの全ては処理された。当然だろう、あの二人はずっと一緒に暮らしていたのだから。

お金持ちの母と、愛される娘、二人だけの暮らしをずっと続けていたのだから。


それでも私は、人並みに母の死を悲しんだ。

愛してくれなくても、無視されてゴミのように扱われても、それでも母を嫌いになれなかった。


期待していなかったが、母は全ての財産を姉に残そうと必死になっていたことが解った。事前に公正証書を用意していたのだ。

遺言状には、まるで自分は公平で、正しく、愛情深い、素晴らしい母親であるかの様な表記で、殆どの資産が姉に渡るように書いてあった。


そうだろうなと思ったし、別段、驚きもがっかりもしなかった。


だから、私はずっと考えていた。

何故、母はこれほどまでに私を嫌うのか、その理由が知りたかった。




姉は、死んだ母の遺品を整理していた時に、偶然見つけたと言う。

小さなノートに書いてあったそれには、母の積もり積もった怨念が綴られていた。



『あいつらを許さない。絶対に許すものか。だから私はあいつらを裏切ってやった。あいつらが可愛がって大切にしている『あの子』に、あいつらの血は一滴も入っていない。

ざまあみろ。お前たちの血など何の価値もない。

お勉強だけが取り柄の、プライドの高い貧乏人の薄汚い血など少しも混ざっていない。

ざまあみろ』



筆圧の強い、少し崩れた文字で書いてあるそれは、怒りに任せて書いたと言うよりは、こみ上げる怒りを必死に抑えながら書いたのではと思われた。

これは日記と呼んで良いのか、判断に悩む所だ。何故ならそのノートは長い間机の上にごく自然に、普通に置いてあったからだ。

おそらく母は自分の死後、私たちにそれを教える為にわざとノートをそこに置いたのだ。

最初から隠すつもりは無かったのだろう。

姉がその事を受け入れて私に話すまでの数年間は、私へのささやかな気遣いなのか、それとも姉のプライドなのか、私には解らない。

ただ、ふと言いたくなったのだろうと思った。

ずっと一人で暮らしている姉はそれなりに暇だったのかも知れない。


「あいつらって、そこまで憎むなら早めに離婚すれば良かったじゃない」

「ほら、お母さんプライド高いから、あの世代は離婚歴あると色々言われちゃうじゃない?だからできなかったんでしょうねえ」


まあだいたいの想像は付く。

祖母と母は相性が悪すぎたのだ。

両親が別れた後も、母の祖母に対する悪口は止まらなかった。

母は常に自分は正しい周りが悪いと延々と悪口を言う人だった。

気に入らないものは絶対に受け入れないし、すぐに敵認定する激しい気性の母と、黙って我慢して黙々と仕事をする祖母との相性は最悪だった。


「で、悔しいから他所で子供作ったと。しかもわざわざそれを書き残す執念て、気持ち悪いわ」

「まあ、隠しもせずに不倫してたし、今さらよね」

「多分さ、お父さんと全く違う見た目の人と浮気してたんだと思うのよ、姉さん誰にも似てないし」

「私もそう思った」


父は黒目がちでおちょぼ口、手足が細くて華奢な、女性に生まれてたら可愛かっただろう見た目の優男だったのだ。おそらくは真逆の、男性的な体つきの人と浮気したのだろうなと、姉の大きな体を見て推測する。


「でもなんで生きてる内に言わなかったのかしら?」

「そりゃ、あれだけプライドの高い人だもの、言いたくなかったんでしょうね」

「私たちが混乱するとか考えなかったんでしょうねえ」

「あの人は自分の事しか考えない人だったから仕方ない」


そう言って姉は寂しそうに笑った。




そもそも姉は、親戚の誰にも似ていなかった。

その事を気にした事は無かったけれど、改めてじっくり見ると私たち姉妹は少しも似ていない。

私は目鼻立ちがはっきりしたバタ臭い顔立ちの祖父に似ている。親戚にも幾人か同じような濃い顔立ちの人はいる。

だが姉は父方にも母方にも似た人が一人もいない。骨格からして違うのだ。顔の肉付きが良くてがっしりした体形で、比較的細身の人間が多い親戚の集まりなどでは、一人だけ大きな体の姉は目立っていた。

親族殆どがくっきりした二重目なのに、姉だけ一重目なのもずっと不思議に思っていた。


母がいつも念を押すように、

「お姉ちゃんは色白でスタイルが良くて、品のある顔立ちだから」と褒めていたのを思い出す。


「今更だけどね、なんであの人が姉さんばかり大切にするのか、やっと解って納得したわ」

「私だってそうよ」



嘘つき。



心の中で姉に返事をして黙って姉の顔を見た。

腫れぼったいまぶたの下に細い目の丸くてむくんだ顔、背中に肉の布団をのせたかのような、ぶくぶくと太った中年の女が、相変わらず私を見下した目で見ていた。それはとても惨めで、滑稽で、私はなんだかおかしくなってしまった。

さんざん人を醜いと罵ってきた人の姿がこれだったのかと、初めて気づいたのだ。


「姉さん、可哀そう」

「何が?」

「今までずっと、私は自分の事が惨めで可哀そうだと思ってた。だから自分で自分を幸せにする為に母を捨てた」

「あんたは末っ子だから逃げられたのよ」

「そうね、あの人に愛されるってある意味地獄よね」

「うん」


本当に、あの人の復讐心が多くの人の心を歪ませた。

さんざん人の見た目を罵って馬鹿にして、見た目に囚われて生きてきた傲慢な姉と、見下されていじけて自分を否定して生きてきた卑屈な妹。


「で、姉さんの本当の父親って誰なの?」

「書いてなかった…」

「は?」

「誰か解らないのよねえ」

「手がかりみたいなものも無いの?」

「何もなかった」


私たちはしばらく無言でそのノートを見つめていた。


ふと、私は母に仕返しがしたくなった。


「捨てられたんだろうね、きっと。悔しくて名前を書きたくなかったんじゃない?」

笑いながら話す私に姉は

「名前を明かせない立場の人かも知れないじゃない」

とムキになって返事をしてきた。

だから

「それは無いよ、だって考えても見てよ。あんな性格の悪い女、やり逃げするに決まってるじゃない」

「それは、そうね…だけど」

「あんな女と関わり持ちたくないって思われても仕方ない人だったもの」

「まあね」

「死んだ後も嫌がらせ残しておくって、相当性格悪いよ?」

「それはそう思った」

「ね、あんなのから産まれてきた私たちって不幸だわ」


そう、二人とも不幸だったのだ。



だけど、一番不幸なのは、

大切に育てたつもりの我が子に少しも感謝されず、愛されも尊敬もされずに忘れ去られようとしている母なのだ。


ざまあみろ。


お前の事はこれを最後に忘れてやる。



それが私の許しなのだ。


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許し だるお @sun889AZ

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