第5話

 崩れた廊下ろうかに差し込む光は弱々しく、時折ときおり吹き抜ける風ががれかけた壁紙かべがみを揺らしていた。

 瓦礫がれきびついた鉄骨てっこつが散らばる廃墟はいきょの中、清嗣きよつぐはただ立ち尽くしていた。

 この荒れ果てた空間に込められた静かな威圧感に飲み込まれるような感覚を覚えながら、目の前の光景をじっと見つめ続ける。

 しかし、その静寂せいじゃくを破る声が背後から冷たく響く。


「誰?」


「っ!?」


 その冷たい声に思わず振り返った清嗣の視線の先には――プラチナブロンドの髪を後ろで束ねた妙齢な女性が佇んでいた。

 背丈は成人男性とタメを張るほどの長身、空気を穿うがたんばかりの鋭い切れ長な青き瞳、リーマン女性を彷彿ほうふつとさせるスーツ姿にタイトなスカート、はちきれんばかりの豊満ほうまんな胸元。

 とてもグラマラスで、だけどどこか廃ホテルに不似合いなほど洗練せんれんされた威厳いげん冷静れいせいさを宿しているようだ。


(すごい美人だ……同じ人間なのか? ここまで綺麗な人間の女性を見たことがない)


 その歩みは静かだが、一歩一歩が清嗣きよつぐを試すような重さを伴っているようにも思えた。


「そこのあなた……ここで何をしているの? 一見廃墟のように見えるでしょうけど、ここの所有権は放棄されていないわ。関係者以外の立ち入りは禁止される……即刻立ち退きなさい」


 その声は低く静か口調だったが、そこには明確めいかく警戒心けいかいしんが込められていたのが分かる。

 相手はそれを隠そうともせず、彼女の冷静な視線に圧倒されつつも、清嗣きよつぐは声を絞り出すように喉を鳴らし慎重に答える。


「……俺は案内あんないされて、ここに来ただけです」


案内あんない? 誰に連れて来られたというのかしら?」


 彼女のまゆがわずかに動き、興味と警戒が交錯こうさくする。

 鋭い視線が清嗣を見抜く。まるで清嗣きよつぐの心の奥底おくそこまで見透みすかされるんじゃないかと、そう思わせるような観察眼をしていた。


「銀色の髪の女性……リーシャという名前の人です」


「! ……リーシャ、ですって」


 その名前を聞いた瞬間しゅんかん、彼女の目が一瞬だけ柔らかくなった。

 その変化はわずかで、すぐに鋭さを取り戻したが、確かにその名に対する親しみのような感情がにじみ出ている。


「あの子……また何をしているのかしら」


 小さく溜息をついた後、彼女は再び清嗣きよつぐを見据えた。

 その視線にはなおも冷静な探りが残っている。


「それで、あなたは何者なの?」


 その問いに、清嗣きよつぐは迷いながらも静かに答えた。


「失礼しました。俺……私は、影島清嗣かげしまきよつぐと申します。どこにでもいる、ただの人間です。リーシャ――彼女に、俺の力が必要な場所があると言われ案内されて来ました」


 その言葉に、彼女の目が少しだけ細まる。

 プラチナブロンドの女性はその答えを慎重しんちょう吟味ぎんみするように沈黙を保ち、その後で短く息を吐いた。


「あなたの力が必要な場所がある……リーシャがそう言ったのね」


 再度妙齢みょうれいな女性が言葉を紡ごうとしたそのとき、


「おーい、エリシア! アタシだよ!」


 遠くから軽快な足音と明るい声が響いてきた。


 その声が廃ホテルの中に響き渡ると、崩れた廊下ろうかの奥から銀色の髪が揺れ動きながら現れた。

 渦中の人物――リーシャ・フロストファングは瓦礫を軽やかに避けながら近づき、手には埃まみれの古いプレートを握っている。そのプレートには「ルミナリア」の文字がかすかに残されていた。

 無邪気に笑みを浮かべながら近づいてくるリーシャを見た女性――エリシアと呼ばれた人は、毒気を抜かれたのか心労が見えるような深い溜息をつく。


「……リーシャ。見知らぬ人を勝手に連れてきたうえに、連れてきた本人がその場を離れるなんて非常識ナンセンスよ」

「へへっ、ごめんごめん。ちょっと中を見て回ってたら、面白くなっちまってつい」

「つい、ではありません。まったく、あなたには色々感謝はしていますがもう少し節度と責任を持って――」

「相変わらず堅苦しいな、エリシアは。アタシはアタシなりの考えがあって――」

「さきほど、『面白くなって』と言っていたように思えるのだけど?」

「……ナンノコトヤラ?」

「こら、視線をこちらに向けなさいな」

「イヤダナ、何ヲ言ッテイルンダイ?」

「カタコト禁止、ほらこっち向いて」

「あ、そうそう。ごめんな相棒、ほんの少し目を離しただけなのに」

「まるでこちら側を、目を離した隙をついて子供に話しかけてきた不審人物のように扱わないでくれる? むしろ立場は逆だと思うのだけど?」

「見たまんまじゃね?」

「……はぁ、もういいわ」


 エリシアのその声には呆れがにじんでいるが、親しい者に向ける特有の柔らかさも感じられる。

 リーシャは軽く肩をすくめ、笑みを浮かべる。


「それで、この人は……影島清嗣かげしまきよつぐ、と言ったわね?」


「そうそう、こいつの名前」


 リーシャは清嗣きよつぐの肩を叩きながら、自慢じまんげに語り始めた。


「アタシがちょいと街に戻ってた際に、『調和の塔』の前で見かけたんだよ。会った時なんか全身ボロボロで、完全にどん底みたいな感じだったんだよこいつ」


「そうなの? でも、見た感じは……ああ、確かに全体を見るとそうね。妙に見慣れたシャツを着てるようだけど……これって」


「ん? セリナから捨てるって話のときに貰ったまんまだったやつ」


「ああ、前にセリナが廃棄処分しようとした際にあなたに渡したやつね。そう、彼が……」


「……あの、なにかマズかったですか?」


 清嗣きよつぐはおずおずといった感じで挙手をする。

 聞いてた話の感じでは、どうやらリーシャは捨てるつもりだったシャツをもらったという話はその通りなのだが、エリシアと呼ばれる女性の言葉には思いのようなものが乗ってるような気が……。


「気にしないで、なんでもないの……ただなるほど、男物のサイズだからセリナがあなたに手渡したときは何かしらのメッセージがあると思っていたのだけど」

「いや、セリナはそういう感じじゃなかったぜ? ただ捨てるのは少しもったいねえって感じにしか聞こえなかったが?」

「……まあ、いいでしょう。まだ着てくれる人がいるのなら、服も喜ぶでしょう」


 両者の間で会話がスムーズに進んでいるため、清嗣きよつぐはあえて危機にてっするようにし始めた。

 何事にも流れというのはある。


「話が戻りに戻るわけだが……一人『調和の塔』の前でぼけーっと棒立ちしててよ。なんか面白そうだったから声をかけてみたんだ」

「お、面白そうって……あのな」

「それで、少し話してみたら……この相棒殿、考えるのが得意とか言うじゃねえか。実際、試験的に狩りを手伝わせたわけなんだが、いい目をしてるのは確かだった」

「狩りに手伝わせた? あなたの?」

「ああ。生きてるのか死んでるのか分からねえようなやつだったからな。ちょいと小突いて、やることやらせたらピタリと嵌ってな……役に立ったぜ?」

「そう……リーシャの狩りに手を貸させて『役に立った』と言わせるとはね」

「な? 今のルミナリアにはちょうどいいだろ?」


 その言葉に、エリシアは驚きと呆れが入り混じった表情を浮かべたが、再び清嗣きよつぐに視線を戻した。その目には少しだけ柔らかな光が宿り始めている。


「そうね。あなたがここに必要な人間かどうか……これから見極めさせてもらうわ」


 エリシアの言葉を聞きながら、清嗣きよつぐは静かに頷く。

 目の前の廃ホテル「ルミナリア」が持つ圧倒的な重みと、それに挑むための自分の力の無さを感じつつも、どこかで新たな可能性の光を見つけていた。


「とりあえず、中に入りましょう。夜も冷えるし、話はそれからにするわ」


 エリシアのその一言に、清嗣きよつぐは再び短く頷いた。

 彼女とリーシャに続いて廃墟の奥へと足を踏み入れていく。

 自分の足音が瓦礫がれきを踏む音と重なりながら、清嗣きよつぐは心の中で小さく呟く。


「……ここで、本当に俺は必要とされるのか」


 その答えを見つけるための一歩が、今、確かに始まった――

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