第3話
森の空気が
木々の
あれから数日間、
たった数日そこらで何が出来ると思うのは
ナイフの
(たった数日の間だけだったのに、気づけばもう
――思い返されるのは、ここを仮に出立する前のフェンリル族の彼女の言葉。
朝の食事を終えた二人は
『さて人間、今日は待ちに待った“お前”の狩りだ。昨日教えた、
『一応……
『不安があるなら、動いて
そう言ってリーシャは腰に下げていた弓を手に取り、立ち上がる。
朝日が差し込む森の中、彼女の影が地面に長く伸びていく。
『……
その手にはまだ震えがあったが、それでも昨日の自分とは違うことを彼自身が一番よく分かっていた。
『ふっ……いい顔になってきたじゃねえか』
◆◆◆
――そして、今に至る。
「ふぅ……」
傷だらけの
しかし、その背後には、
彼女の気配は
「……あの
その声は震えがちだったが、その目には確かに自分を信じようとする
「よし、上出来だ。その先の地形はどうなってる?」
「小さな
「……狼の狩りに似てきたな、人間」
肩にかけていた
彼女の動きに一切の
彼女の全身が森と
その足取りはまだぎこちなく、葉が
「……すぅ」
彼は心の中で自分を
「……死にたくなければ、生きるために
先に言って聞かされた
その呟きは
そこには獲物――
その耳がぴくりと動くたびに、
その動きは狼の狩りそのものだった。
森の風が彼女を隠し、周囲の鳥たちすらその存在に気付かない。
(今だ……!)
矢は空気を裂き、鹿の足元を
驚いた
「追えッッ!」
彼女の
彼の体はぎこちなく、
それでも必死だった。
鹿は
「仕留めろ!」
「――――――――ッ!」
その一言に、
彼はナイフを握り、全力で走り込む。
(
それでも前へ飛び出し、目の前の
それをしっかり滑らないよう握りしめ、彼女がお
怯んだ
『――――――――ッッ!!』
「んっ……ぐっ!! こいつ……!」
刃を立てられ激痛から暴れる鹿を逃がすまいと首をホールド。
激しく
(一撃でこいつを仕留めてやれなかったのは、俺のせいだ……だから、最後まで!)
熱い
だがお構いなしに拘束し続けていると、やがて鹿の抵抗する力が弱くなってきているのが手に伝わり――
獲物の命が消えていく感覚が、
そして、鹿がついに動きを止めると……森に
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
視線を真っ赤に染まった右手へやると、未だ強く握りしめているナイフの冷たさ、手の中に残る温もり、
――それは、
(俺が、この手で……生きるため……そうだ。昨日食わせてもらった肉だってそうだ。これは――)
「……よくやったな」
不意に欠けられた声に、
その言葉とともに、共に狩りをしてくれた彼女が
彼女の手の感触は意外にも
「これが命を『
「…………ああ」
「ふっ……とりあえず、これでお前も少しは
その
そして、初めて彼女の前で
その笑みは、まるで
「……ありがとう。俺でもできたんだな」
「だから言っただろ? 『お前に生きているという実感を得させてやる』って。
「アタシは言ったよな? 『できるかどうかは、やってから言え。最初からできねえって言って決めつけるやつはいつまで
リーシャは満足げに鼻を鳴らすと、
「さあ、これで食事だ。腹が減った
「いや、そんな
「バカ、フェンリル族の
「いや、さも知ってるって感じで言わなかったか?」
「なんのことやら」
(……
◆◆◆
彼女は口には出さないものの、
たった一日やそこらで
(いわばこいつは、
いわゆる
彼女なりの生きている実感を
結果的に、
◆◆◆
手に
それらは
だが、それ以上に胸に
初めて
…………
……
そこで血で染まった手を洗い、さらに血で汚れた衣類を洗濯し始める。
(さすがにボロボロとはいえ、洗わないと着れないな)
狩りを成功させるためとはいえ、
なので、お
かれこれ数十分の格闘の末、返り血で染まっていたものの最低限度の
「
「……これは、男物のシャツ?」
「アタシに知り合いがいてな。そいつが
「なる、ほど?」
「ただま、アタシも
「俺が来た、と」
「そういうこと。ま、星の巡りに感謝でもしとけ」
彼女なりの優しさというか、
「おっ、全然いいじゃねえか。さっきまでのくっそボロボロの服なんかより
「まあ、それはそうかも」
「ほれ、こっち来い。もう日が陰ってきたところだ、メシにするぞ」
…………
……
森の
その間に吊るされた
今日
フェンリル族の女狩人は、
彼女の動きには
一方、
刃を持つ手には震えが残るが、その目には自分で仕留めた獲物に対する誇りのようなものが微かに宿っている。
「どうだ? 自分で仕留めた肉を触る感触は」
女狩人が軽い調子で問いかける。
「……まだ実感がない。でも、何か……生きるってこういうことなんだなって、改めて思った」
その言葉に、彼女は鋭い瞳を
焚火の光を受けたその目はどこか
「そうだ。それが命を『奪う』重みだ。そして、それを自分の命に
彼女はそう言いながら、手元の肉を鍋に落とした。そして、続ける。
「フェンリル族にとって、同じ獲物を分かち合うことは特別な意味を持つ。獲物を分け合う者は同じ群れ――つまり、仲間として認められるんだよ」
気を良くしたのか、獣人の彼女は鼻で笑いながら、
「お前にとってはただの食事かもしれないが、アタシたちにとっては違う。同じ獲物を食うことで、心も身体も
自身の
二人がスープを分け合いながら、鹿の肉を
焚火を挟んで向き合う中、青銀の瞳を持つ女性がふと口を開く。
「なあ……アタシはずっと名前なんて意味がないと言ってきたが、そろそろ名乗っておくべきだろうな」
少し前に聞いた「名前なんて意味がない」という言葉が
銀狼の狩人はそんな
「ったく、あの
リーシャは
「アタシはリーシャ――リーシャ・フロストファング。フェンリル族の
その名乗り方には彼女らしい力強さがあり、
そして、彼女の視線を受け止めたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「ようやく名前が聞けたね……俺は
その自己紹介にはどこか力が
リーシャは頷き、焚火越しに手を差し出す。
「これでお互いに名乗ったな。握手だ、
「……ああ。よろしく頼む、リーシャ」
その手は温かく、しっかりとした力強さがあった。
「これで
「――――――――」
彼女のその言葉と笑顔に、
気づけば、
「おいおい、泣くなよ。お前、本当に変わった奴だな」
彼女のからかい混じりの声に、
「俺は
その問いに、リーシャは大きく笑い声を上げた。
「馬鹿言うな。お前がここにいるのは当然だろう。群れにとって一匹一匹が大事なんだ……それに、アタシはお前を認めた。だから、アタシの隣で胸を張ってりゃいいんだよ」
彼女のその言葉に、
「……悪い。俺、こんな風に誰かに認められたことがなくて」
その言葉に、リーシャは一瞬だけ眉を
「――そうか。なら、これから群れとしてアタシが色々教えてやるよ。まずは腹いっぱい食って力をつけろよ……相棒」
その言葉に、
焚火の温かさと肉の香り、そしてリーシャの笑顔が、彼の心にじわじわと染み渡っていった……。
心の
その日食べた料理は今まで食ってきたどの料理の中でも格別に美味く……忘れられない味になったのだった。
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