第3話

 森の空気が緊張感きんちょうかんめていた。

 木々の隙間すきまから差し込む朝日あさひやわらかく地面じめんらし、その間を埋めるように清嗣きよつぐとリーシャの影が揺れ動く。

 獲物えもの仕留しとめるという明確めいかくな目的が二人の中に共有され、静かな連携がはぐくまれていた。

 あれから数日間、銀髪ぎんぱつ毛並けなみを持つ女性じょせい清嗣きよつぐに彼女の持ちうる知識ちしき経験けいけん技術ぎじゅつを叩きこんだ。

 たった数日そこらで何が出来ると思うのは当然とうぜん、だが何もらぬぞんぜぬでは生きていくことなぞ到底とうてい不可能ふかのう

 ゆえのスパルタ――彼女のきびしく、時には優しい雰囲気を出した瞬間しゅんかんきびしくをかえす日々。

 ナイフのさばき方や身のこなし、自然との向き合い方、森での歩き方などを学んでいった。


(たった数日の間だけだったのに、気づけばもう実践じっせんする日だ……)


 ――思い返されるのは、ここを仮に出立する前のフェンリル族の彼女の言葉。


 朝の食事を終えた二人は焚火たきびを囲みながらも、交わされる言葉は少しずつ軽くなっていた。


『さて人間、今日は待ちに待った“”の狩りだ。昨日教えた、獲物えもの仕留しとめる手順てじゅんを覚えてるな?』

『一応……実践じっせんとなると不安はあるけど』

『不安があるなら、動いてれろ。止まってるおおかみ自然しぜん微笑ほほえむことはない』


 そう言ってリーシャは腰に下げていた弓を手に取り、立ち上がる。

 朝日が差し込む森の中、彼女の影が地面に長く伸びていく。


『……かった。おれも、そろそろまえすすまないと』


 清嗣きよつぐは自らのナイフをにぎりしめ、深く息を吸い込んだ。

 その手にはまだ震えがあったが、それでも昨日の自分とは違うことを彼自身が一番よく分かっていた。


『ふっ……いい顔になってきたじゃねえか』


 凛々りりしい彼女の口元が、わずかにほころぶ。


◆◆◆


 ――そして、今に至る。

 清嗣きよつぐは手の中のナイフをぎこちなく握りしめていた。彼女から受け渡された借りもののナイフ、切れ味は先の料理りょうり解体かいたいなどで見せてもらっているため確認するまでもない。


「ふぅ……」


 呼気こきれる。

 心臓しんぞう高鳴たかなる。

 傷だらけのてのひらえた刃を感じるたび、彼の心には恐怖きょうふ緊張きんちょうが波のように押し寄せる。

 しかし、その背後には、するどい視線を森の奥へと投げかけるフェンリル族の彼女の姿がある。

 彼女の気配は不思議ふしぎ清嗣きよつぐの不安を和らげてくれる。


「……あのしげみの先だ。風がこっちに流れてきているから、俺たちのにおいはまだ届いてない……はずだ」


 清嗣きよつぐは自信なさげに小声でそう言いながら、地面の獣道けものみちを指し示す。

 その声は震えがちだったが、その目には確かに自分を信じようとする意志いしが宿っていた。

 狩猟者かりうどは鼻を鳴らして笑う。


「よし、上出来だ。その先の地形はどうなってる?」

「小さな窪地くぼちがある。追い込めば、逃げ場がないはずだ」

「……狼の狩りに似てきたな、人間」


 狩人かのじょはそう言うと、腰に掛けた弓を手に取り一歩前に出た。

 肩にかけていた長弓ながゆみではなく、あえて臨機応変りんきおうへんに立ち回れる中型の弓をわざわざ選定せんていしてくれていたようだ。

 彼女の動きに一切のまよいがなく、まるで風そのものが姿を変えたかのようなかろやかさがある。

 彼女の全身が森と一体化いったいかし、息をころしながらしげみへと近づいていく。

 先行せんこうする彼女の無言むごん手話ハンドサインの指示に従い、清嗣きよつぐは逆方向からゆっくりとしげみを回り込んでいく。

 その足取りはまだぎこちなく、葉がこすれる音がわずかに響く。


「……すぅ」


 彼は心の中で自分を鼓舞こぶするように、何度も深呼吸しんこきゅうを繰り返した。


「……死にたくなければ、生きるために足掻あがく」


 先に言って聞かされた教訓きょうくんを自分に言い聞かせるように呟く。

 その呟きは自己暗示じこあんじのようで、だが確実に心臓しんぞう高鳴たかなりを沈め心を落ち着かせるに至った。

 清嗣きよつぐは指定された位置に着くと、そっとしげみの奥を覗き込む。

 そこには獲物――毛並けなみのい、小型の鹿しかくさむ姿があった。

 その耳がぴくりと動くたびに、清嗣きよつぐ心臓しんぞうがる。

 対照的たいしょうてきに、狩猟者かのじょ獲物えものの後ろに回り込み、気配を殺したまま弓を引きしぼっていた。

 その動きは狼の狩りそのものだった。

 森の風が彼女を隠し、周囲の鳥たちすらその存在に気付かない。


(今だ……!)


 清嗣きよつぐの合図とともに、リーシャが弓を放った。

 矢は空気を裂き、鹿の足元をかすめる。

 驚いた鹿しかねるように走り出すが、それこそが彼女の狙いだった。


「追えッッ!」


 彼女の気迫きはくが乗った声が清嗣きよつぐの耳を叩き、突き動かされるように彼は無我夢中むがむちゅうでナイフを握りしめながら獲物を追い始めた。

 彼の体はぎこちなく、獣人かのじょのそれに比べればド素人しろうともいいところ。

 それでも必死だった。

 鹿は清嗣きよつぐの指示通りの窪地へと追い込まれ、その逃げ場を失った瞬間、フェンリル族の女性が前方に飛び出す。


「仕留めろ!」

「――――――――ッ!」


 その一言に、清嗣きよつぐの体が本能的に動いた。

 彼はナイフを握り、全力で走り込む。


鼓動こどうがうるさい。からだあつい。あせがうざい、あしがもつれそうだ!)


 それでも前へ飛び出し、目の前の鹿しかへ向かって動く。手に持つは冷や汗のせいかやけに冷たく感じるナイフ。

 それをしっかり滑らないよう握りしめ、彼女がお膳立ぜんだてだと言わんばかりに鹿の足元へ逃がすまいと矢を打ち込み牽制けんせい

 怯んだ鹿しかの喉元へ――――――清嗣きよつぐは震える手で、


『――――――――ッッ!!』

「んっ……ぐっ!! こいつ……!」


 刃を立てられ激痛から暴れる鹿を逃がすまいと首をホールド。

 激しくもだあばれる鹿しかからだが大きく跳ね動き、鹿のりを受けないよう気を付ける。

 物狂ものぐるいで、清嗣きよつぐは掴んだナイフを離すまいと渾身こんしんの力を込め続ける。


(一撃でこいつを仕留めてやれなかったのは、俺のせいだ……だから、最後まで!)


 獣狩けものがり――これは生殺与奪せいさつよだつ権利けんりの奪い合いであり、逆の立場たちばならってわれるのは清嗣きよつぐだったに違いない。

 熱い血飛沫ちしぶき清嗣きよつぐの顔に掛かり、ボロボロの衣類いるいにも飛沫ひまつねる。

 だがお構いなしに拘束し続けていると、やがて鹿の抵抗する力が弱くなってきているのが手に伝わり――

 獲物の命が消えていく感覚が、清嗣きよつぐの手に確かに刻まれる。

 そして、鹿がついに動きを止めると……森に静寂せいじゃくが戻った。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 清嗣きよつぐはナイフを握り締めたままその場にひざをつき、肩で息をし荒い息がす。

 視線を真っ赤に染まった右手へやると、未だ強く握りしめているナイフの冷たさ、手の中に残る温もり、けたにくったほね感触かんしょく鮮明せんめいに伝わってくる。

 ――それは、清嗣きよつぐにとって生まれて初めて「命を奪う」という現実を突きつけるものだった。


(俺が、この手で……生きるため……そうだ。昨日食わせてもらった肉だってそうだ。これは――)


「……よくやったな」


 不意に欠けられた声に、清嗣きよつぐの息が戻る。

 その言葉とともに、共に狩りをしてくれた彼女が乱暴らんぼう清嗣きよつぐの頭をぐしゃぐしゃと撫で回してくる。

 彼女の手の感触は意外にもあたたかく、力強い。


 清嗣きよつぐは驚きながらも、次第にその手に委ねていた。


「これが命を『る』って行為こういだ。人間にんげんだろうが異種族いしゅぞくだろうが動物だろうが、互いの命の巡りの中で成立している。昨日きのうべたにくもそうだ、あいつら動物どうぶつ血肉ちにくべさせてもらってるおかげで『』ってことをわすれるな」

「…………ああ」

「ふっ……とりあえず、これでお前も少しはきばものらしくなったか?」


 その冗談じょうだんじりの言葉に、清嗣きよつぐは思わず顔を上げた。

 そして、初めて彼女の前でほがらかなみを浮かべた。

 その笑みは、まるで曇天どんてんを突き破った一筋ひとすじの光のようだった。


「……ありがとう。俺でもできたんだな」

「だから言っただろ? 『』って。目的もくてきがないのなら探せばいい。ないのなら作りゃいい。できないのならできるようにすりゃいい」


 清嗣きよつぐの鼻に指先を付きつけ、リーシャは言葉を続ける。


「アタシは言ったよな? 『できるかどうかは、やってから言え。最初からできねえって言って決めつけるやつはいつまでってもできやしねえ』って。んで、お前はできた……つまりそういうことだろ」


 リーシャは満足げに鼻を鳴らすと、仕留しとめた獲物えもの手際てぎわよくはこ準備じゅんびはじめた。


「さあ、これで食事だ。腹が減ったおおかみは、きばいのるって言うだろう? 一緒いっしょった獲物えものだ。しっかり食べて、また動ける体にしろ」

「いや、そんなことわざ聞いたことないんだが?」

「バカ、フェンリル族のことわざを人間のお前が知ってたらおどろきだよ」

「いや、さも知ってるって感じで言わなかったか?」

「なんのことやら」

(……軽口かるぐちえる程度ていどには『』か)


◆◆◆


 彼女は口には出さないものの、清嗣かれ状態じょうたい人並ひとなみらしく戻ってきているのを実感じっかんしていた。

 たった一日やそこらで精神せいしんった存在そんざいが戻ることはない、やぶれたかみやぶれるまえ状態じょうたいかみもどすことは不可能ふかのうであるように、かり修復しゅうふくできたとしてものと同じ。

 ゆえに、彼女かのじょきている実感じっかんかせるために、あえて狩猟ハントという名目で狩りを自主的じしゅてきに行わせ、その手で獲物を取ることで生への復帰をうながした。


(いわばこいつは、死者ししゃになる一歩いっぽ手前てまえせいたいする意識いしきうすらいでた。執着心しゅうちゃくしんせるくせに、意識いしきらげばそりゃダメだわな)


 いわゆる荒療治あらりょうじ

 彼女なりの生きている実感をかせる効果的こうかてきな方法で、彼女のが知り得る限りでは最も効率的こうりつてきだ。

 結果的に、清嗣きよつぐひとみには生気せいきが宿り、生きているという実感を再び定着させることができた。

 いま気弱きよわというか、自信じしんがない感じはいなめないもののそれでも人並みらしくなってきたことに対し、狩人のほほ自然しぜんゆるんでしまう。


◆◆◆


 清嗣きよつぐは立ち上がりながら、自分の未だ血で濡れている手に視線を見やる。

 手にのこいのちり取った感触かんしょくいた獲物えものたしかなぬくもり――

 それらは生々なまなましいものでありながらも、どこか達成感たっせいかんともなうものだった。

 だが、それ以上に胸にみたのは……狩人の言葉と、その手の暖かさだった。

 初めてめられた感覚かんかく――それは、清嗣きよつぐの中に眠っていた何かを確かに揺り動かすには十分なものだった。


 …………

 ……


 清嗣きよつぐは「とりあえず水で血を拭え。全身血だらけ人間」と不名誉ふめいよな名で彼女かのじょに呼ばれ、森の中に流れる小さな川に案内あんないされた。

 そこで血で染まった手を洗い、さらに血で汚れた衣類を洗濯し始める。


(さすがにボロボロとはいえ、洗わないと着れないな)


 血生臭ちなまぐさい、なにより獣臭けものくさい。

 鹿しか仕留しとめるためとはいえ、超至近距離からのナイフで刺突しとつ

 狩りを成功させるためとはいえ、かえび過ぎたのはいなめない。

 なので、お洗濯せんたくタイム。

 洗剤せんざいなどはないため簡易的かんいてきだが、洗わぬよりはマシだろうと上半身の衣類いるい付着ふちゃくした血を洗い、しぼり、洗いを繰り返す。

 かれこれ数十分の格闘の末、返り血で染まっていたものの最低限度の洗浄せんじょうを済ませた衣類いるいを着ようとすると、獣人かのじょ制止せいしさせられる。


不衛生ふえいせいすぎるな。ほら、これやるよ」

「……これは、男物のシャツ?」


 手渡てわたされたシャツはどう見ても男物で、彼女のようなフェンリル族のかっこいい女性が着ても違和感いわかんが一切ないだろうが、なぜこんなものを?


「アタシにがいてな。そいつが廃棄はいきする予定の服があるってんで、捨てるのはもったいねーって言ったら、じゃあプレゼントするわってな」

「なる、ほど?」

「ただま、アタシも咄嗟とっさに言った手前だ。今更いまさらいらねーって突き返すのもおかしいってことで、今まで預かってた。正直どうするか考えてたところに――」

「俺が来た、と」

「そういうこと。ま、星の巡りに感謝でもしとけ」


 彼女なりの優しさというか、配慮はいりょなのだろう。

 不器用ぶきようともいえるその優しさに思わず口元がゆるんでしまう。

 木陰こかげに隠れ、頂いたばかりの男物のシャツに袖を通し、ボロボロになってた衣類を脱ぎ捨てる。


「おっ、全然いいじゃねえか。さっきまでのくっそボロボロの服なんかより断然だんぜん清潔感せいけつかんあるぜ?」

「まあ、それはそうかも」

「ほれ、こっち来い。もう日が陰ってきたところだ、メシにするぞ」


 …………

 ……


 森の静寂せいじゃくに、焚火の音が重なる。燃え盛る炎がオレンジ色の光を放ち、二人の影を長く伸ばしていた。

 その間に吊るされた鉄鍋てつなべから、こうばしい匂いが漂ってくる。

 今日清嗣きよつぐが仕留めた鹿の肉が煮込にこまれ、銀の毛並みの狩猟者かりうどが味付けしたスープの湯気ゆげ空気くうきを満たしていく。

 フェンリル族の女狩人は、清嗣きよつぐとともに解体した獲物えものを鍋に入れつつ、時折ときおり様子ようすを見る。

 彼女の動きには無駄むだがなく、刃の使い方から鍋への食材の投げ込み方までが慣れたものだった。

 一方、清嗣きよつぐはその手伝いをしながら、まだぎこちない動きで肉を細かく切っていた。

 刃を持つ手には震えが残るが、その目には自分で仕留めた獲物に対する誇りのようなものが微かに宿っている。


「どうだ? 自分で仕留めた肉を触る感触は」


 女狩人が軽い調子で問いかける。

 清嗣きよつぐは一瞬考え込んだ後、小さな声で答えた。


「……まだ実感がない。でも、何か……生きるってこういうことなんだなって、改めて思った」


 その言葉に、彼女は鋭い瞳を清嗣きよつぐに向けた。

 焚火の光を受けたその目はどこかあたたかく、真剣しんけんだった。


「そうだ。それが命を『』重みだ。そして、それを自分の命につなげるのが狩りだ」


 彼女はそう言いながら、手元の肉を鍋に落とした。そして、続ける。


「フェンリル族にとって、同じ獲物を分かち合うことは特別な意味を持つ。獲物を分け合う者は同じ群れ――つまり、仲間として認められるんだよ」


 清嗣きよつぐはその言葉に少し驚いたような表情を見せた。

 気を良くしたのか、獣人の彼女は鼻で笑いながら、焚火たきびのそばに腰を下ろす。


「お前にとってはただの食事かもしれないが、アタシたちにとっては違う。同じ獲物を食うことで、心も身体もつながる」


 自身の胸元むなもと親指おやゆびしめしながら、彼女は彼女自身の誇りと文化を言って聞かせる。

 二人がスープを分け合いながら、鹿の肉をみしめていた。

 焚火を挟んで向き合う中、青銀の瞳を持つ女性がふと口を開く。


「なあ……アタシはずっと名前なんて意味がないと言ってきたが、そろそろ名乗っておくべきだろうな」


 清嗣きよつぐはピタッとスプーンを飲む手を止め、彼女を見つめた。

 少し前に聞いた「名前なんて意味がない」という言葉が清嗣きよつぐ脳裏のうりよぎる。

 銀狼の狩人はそんな清嗣きよつぐの表情を見て、鼻を鳴らす。


「ったく、あの言葉ことば本当ほんとう意味いみらないくせにそんな顔をするな。意味いみがないってのは、たんかざりでしかないってことだ。でも……れのなかじゃ、名前なまえ目印めじるしになり、記号きごうにもなる。だから……ここで名乗なのらせてもらう」


 リーシャは堂々どうどうと、りんとした声でおのが名をつむぎ始める。


「アタシはリーシャ――リーシャ・フロストファング。フェンリル族の狩猟者かりうどだ」


 その名乗り方には彼女らしい力強さがあり、清嗣きよつぐは自然と背筋せすじを伸ばした。

 そして、彼女の視線を受け止めたまま、静かに言葉を紡ぐ。


「ようやく名前が聞けたね……俺は影島清嗣かげしまきよつぐ、ただの人間だ。長い旅の末に、ここにたどり着いた」


 その自己紹介にはどこか力が宿やどり、清嗣きよつぐ自身の新たな一歩を象徴しょうちょうするようだった。

 リーシャは頷き、焚火越しに手を差し出す。


「これでお互いに名乗ったな。握手だ、清嗣きよつぐ

「……ああ。よろしく頼む、リーシャ」


 清嗣きよつぐ戸惑とまどいながらも、彼女の手を取った。

 その手は温かく、しっかりとした力強さがあった。

 握手あくしゅわし終えると、リーシャは笑みを浮かべる。


「これで今日きょうから本当ほんとう意味いみおなれの仲間なかまになったな。よろしくな、『相棒あいぼう』」

「――――――――」


 彼女のその言葉と笑顔に、清嗣きよつぐは胸に熱いものが込み上げるのを感じた。

 長旅ながたび何度なんど孤独こどくを感じ、心が凍りつくような日々を過ごしてきた彼にとって、その言葉はあまりにも大きな意味を持っていた……持ち過ぎていたのだ。


 気づけば、清嗣きよつぐの頬に温かい一筋ひとすじなみだながれていた。


「おいおい、泣くなよ。お前、本当に変わった奴だな」


 彼女のからかい混じりの声に、清嗣きよつぐは思わず小さく笑う。


「俺はれとして、仲間なかまとして……本当にいていいのか?」


 その問いに、リーシャは大きく笑い声を上げた。


「馬鹿言うな。お前がここにいるのは当然だろう。群れにとって一匹一匹が大事なんだ……それに、アタシはお前を認めた。だから、アタシの隣で胸を張ってりゃいいんだよ」


 彼女のその言葉に、清嗣きよつぐは目を伏せながら微かに涙を浮かべた。


「……悪い。俺、こんな風に誰かに認められたことがなくて」


 その言葉に、リーシャは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにまた笑みを浮かべ直す。


「――そうか。なら、これから群れとしてアタシが色々教えてやるよ。まずは腹いっぱい食って力をつけろよ……相棒」


 その言葉に、清嗣きよつぐは静かに頷き、再びスープを口に運んだ。

 焚火の温かさと肉の香り、そしてリーシャの笑顔が、彼の心にじわじわと染み渡っていった……。


 心の奥底おくそこで、彼は生まれて初めて「帰る場所」を見つけたのだろう。


 その日食べた料理は今まで食ってきたどの料理の中でも格別に美味く……忘れられない味になったのだった。

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