第2話

 東の空がようやく白み始めた。

 夜の冷気を帯びた空気がうすただよい、もり全体ぜんたい目覚めざめの気配けはいせている。

 木々の葉が朝露あさつゆをまとい、焚火たきびの残り火がわずかな光を放ちながら煙を立ち昇らせていた。


「ふぁーあ……」


 清嗣きよつぐはそのけむり越しに空を見上みあげ、かたを軽くらしながら欠伸あくびを漏らす。

 久方ぶりの快眠かいみん――

 それは、清嗣きよつぐ自身も予想よそうしていなかったほどの深い眠りだった。

 かた地面じめん感触かんしょくさえも気にならず、毛布の温もりが心にまで染み込んできたかのよう。

 おかげ旅路たびじでの緊張きんちょうつかれがうすれ、彼の心に小さな余白が生まれていた。


(……こんなに眠れたの、いつぶりだろうな)


 心の中でつぶやきながら、ゆっくりと身を起こす。


「おはよう」

「……え?」


 次の瞬間しゅんかん、彼の耳にぶっきらぼうな声が飛び込んできた。

 思わずその言葉に清嗣きよつぐは目を丸くする。

 振り返ると、リーシャが焚火たきびのそばでこしろし、獲物えものにく調理ちょうりしていた。

 彼女かのじょ銀色ぎんいろかみ朝日あさひらされて、あわかがやきをはなっている。


「なんだよ、その顔。挨拶あいさつぐらいでおどろくな」

「いや……挨拶あいさつなんて、もう随分してなかったと思って」


 思わず間抜まぬけな声をらす清嗣きよつぐを見て、リーシャは怪訝けげんそうにまゆひそめる。

 清嗣きよつぐ自分じぶんでもおどろくほど自然しぜんみをかべた――それは、本当に久しぶりのことだったことをリーシャは知らない。


「ふーん。人間にんげんってのは挨拶あいさつすらわすれるものだったか。そりゃ世話せわけるな……挨拶あいさつってのは世界せかいわろうと場所ばしょわろうと人種じんしゅわろうとすんのはたりまえだ。そいつすらできねえってんなら、そいつは――いや、ここからはそう。あさ空気くうきがまずくなる」


 リーシャははならして呆れたように言い放つと、その皮肉ひにくじりの返答に清嗣きよつぐかたすくめる。


「まあ、そうだな」


 そのやり取りの中で、清嗣きよつぐはどこか心がほぐれていくのを感じていた。

 人間にんげんらしさ――それは、彼が長い間失っていたものだった。

 リーシャは無造作むぞうさに火をいじりながら、手元の鍋から湯気の立つ料理を取り分け始める。

 こうばしいかおりが空気くうきちゅうただよい、清嗣きよつぐおもわずる。

 リーシャはそれをいてわずかにわらい、鉄製てつせいさらかれわたす。


「ほら、え。のこものだけどな」


 皿に盛られているのは、焚火たきびかれた獣肉けものにくと、ハーブで味付けされたシンプルなスープ。

 その見た目以上に、鼻腔びくうをくすぐるかおりが清嗣きよつぐ食欲しょくよくき立て自然とのどを鳴らす。


「……ありがとう」


 清嗣きよつぐは小さく礼を述べると、手を伸ばして肉を口に運んだ。

 むたびに溢れる肉汁にくじゅうと、ほのかに香るハーブの風味が彼の舌を包み込む。あまりの美味しさに、一瞬言葉を失った。


「どうだ?」


 リーシャが自慢げな声で問いかけてくる。

 その顔には、少し得意げな笑みが浮かんでいる。


「……美味うまい。こんなに美味うまいもの、ひさしぶりにべた」


 心からの感想かんそうに、リーシャは満足まんぞくそうにうなづいた。


「そりゃそうだ。フェンリル族特製とくせい料理りょうりだからな。うちの一族いちぞくじゃ、これをわねえとあさはじまらねえってわれてるくらいだ」


 その言葉に、清嗣きよつぐはほんのり笑みを浮かべながらも、不思議そうな表情で首を傾げる。


「そういえば……どうしてきみは、ここまでしてくれるんだ? らずの人間にんげんなんかにさ。異種族いしゅぞくって、普通ふつう人間にんげんきらうんだろ?」


 その問いに、リーシャは一瞬いっしゅんだまった。

 ……だが、次の瞬間しゅんかんには彼女は小さく鼻を鳴らしてかたすくめる。


「……くだらねえことってないでえ。めたら台無だいなしだぞ」


 ぶっきらぼうな言葉だったが、その背後にはあきらかにかれ気遣きづかやさしさが滲んでいた。

 清嗣きよつぐは少し微笑ほほみながら、それ以上は何も言わずに皿の上の料理を堪能たんのうする。

 あたたかいスープがのどを通るたびに、心もまた少しずつ満たされていくようだった。

 その朝食のひとときは、清嗣きよつぐにとって久しく忘れていた「安らぎ」を感じさせる時間と感じ始める。


◆◆◆


 朝の光が森の木々の間を差し込み、い影とやわらかな光が交錯こうさくする。

 葉の上には夜露よつゆがきらめき、時折ときおりかぜれてしずく地面じめんへと落ちる音が聞こえる。

 静寂せいじゃくの中で、自然の音がかすかな旋律せんりつを奏でるように響いていた。

 清嗣きよつぐはリーシャの後を追いながら、冷えた空気を胸いっぱいに吸い込む。

 ――朝食を食べた後、リーシャは清嗣きよつぐに短く「ついて来い」とだけ告げると、狩猟用しゅりょうようあつかれている長弓ながゆみと狩猟用の棒を手に歩き始める。

 その動きに清嗣きよつぐあわてた様子ようすで付いて行き、今に至る。


一宿一飯いっしゅくいっぱんおんがあるし、タダでわせてもらったうえ寝床ねどこ提供ていきょうしてくれた……だれかとたのなんて、じつはじめてなんじゃ?)


 昨晩さくばん心身しんしんともに限界げんかい一歩いっぽ手前てまえだった、そんな精神状態から短いやり取りと食事をしただけ……それだけで清嗣きよつぐはまともに思考しこう正常せいじょうめぐるまで回復かいふくした。

 今だからこそ分かる、目の前を一切いっさいよどみなくうごつづけるフェンリル族の女性の力強さと、自信じしんあふれた雰囲気ふんいき清嗣きよつぐを自然と引き寄せる。


(とはいえ、一晩ひとばんってづいたが……おれからだぼろぼろだな)


 清嗣きよつぐは呆れかえりながらも、自身の体の状態を確認かくにんする。

 破れた衣服の隙間すきまから冷たい風が肌をし、旅の疲れがじわじわと全身ぜんしんよみがえる。

 それでも、彼の足は止まらない。目の前を進むリーシャの背中が、不思議ふしぎと「進め」と言っているように感じたのだ。

 銀色ぎんいろかみ朝日あさひ反射はんしゃしてかがやき、そのうごきは森と調和していた。彼女の一歩一歩は迷いがなく、狩猟者としての自信じしん経験けいけん物語ものがたっている。

 清嗣きよつぐはその後ろ姿を見つめながら、小さく息を吐く。


「……それで、何をさせる気なんだ?」


 彼が疲れた声で問いかける。流石の清嗣きよつぐでも何も言わずに前を歩く彼女の行動に何某らの意味合いがあるのはわかる……が、問題は何かを言うでもなく「ついて来い」の一言のみしか言っていない。

 目的が分からない不安をかくそうとせず、あえて真正面ましょうめんからたずねると、リーシャは足を止め振り返る。

 振り返りざまにのぞかせるするどい青銀の瞳で、清嗣きよつぐをじっと見据える。


狩猟しゅりょうだよ。お前にも手伝ってもらう」


「しゅ、狩猟しゅりょう……?」


 その言葉は平坦へいたんで、あまりにも当然のことのようにひびいた。

 清嗣きよつぐは思わず顔をしかめたが、リーシャは軽く鼻を鳴らして言葉を続ける。


「フェンリルぞくことわざにこういうのがある。『きばみがいてもらったおおかみは、そのおんえでかえせ』……つまり、恩義おんぎけたらかえすのがアタシらのならわしってわけだ。おまえもわかるだろ? この言葉ことば意味いみが」


 その言葉には抗いがたい力があった。

 清嗣きよつぐは少し眉をひそめたものの、しばし考えるように視線を下げてから顔を上げ……リーシャの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。


(ほう……いい目するじゃねえか)


 リーシャは思わず心の中で感嘆かんたんする。

 目の前の明らかにぼろぼろで昨晩は死ぬ寸前の鹿のような顔してた男のひとみには、昨晩にはなかった『生気』が宿り始めていた。


「……おんにはおんを、あだにはあだを。おれけた恩義おんぎむくいないのは、人間にんげん以下いかだとおもう」


 彼の声は低く、それでいて揺るぎない決意が込められていた。

 リーシャは驚いたように一瞬いっしゅんひとみ見開みひらいたが、すぐにかたすくめ苦笑を浮かべる。


「お前……本当におかしな奴だな。そんな台詞、が言うとは思わなかった」


 彼女はそう言いながら軽く手を振り、再び前を向いて軽快に歩き出す。

 その足取りには、どこか楽しげなリズムが加わっていた。


「今どき、か……」

「そうだ、だ。さっき聞いてきたよな? 『異種族は普通人間を嫌うんだろ』って」

「あ、ああ……」

簡単かんたんはなしだ。アタシの知る人間ってやつは、どいつもこいつも横柄おうぼうやつらばかりで自分しか見ていやがらねえ。まるで異種族のアタシらなんぞ興味きょうみねえとでも言わんばかりだ」

「…………」

「一方的に嫌ってくる相手に対し、好きになる道理なんざねえだろ。こっちから願い下げだ」

「…………」


 清嗣きよつぐは、彼女の言い分になにも否定することはできずにいた。

 ――いや、そもそも否定する材料がなにもない。

 何故なら、清嗣きよつぐにとってもその考え方は痛いほど理解できるからだ。


「さて、くだらねえ話はここまでだ。付いてきな」


 短くかぶりを振り、再度前進していくフェンリル族の未だ名も知らぬ女性。清嗣きよつぐは彼女の影を追うように後に付いて行く……。


◆◆◆


 森の中は深い静寂に包まれている。

 足元の土が柔らかく沈み込み、清嗣きよつぐは慎重に一歩ずつ進んでいた。

 リーシャが徐に片手を挙げ「止まれ」と指示を出すと、清嗣きよつぐはその場で静止した。

 彼女リーシャが静かに耳をすます様子をじっと見つめる。


「……いるな」


 彼女の声は低く静かだったが、確信に満ちていた。

 清嗣きよつぐには何も見えず、何も聞こえない。

 それでも、リーシャの言葉に嘘はないと感じた。


「どこに?」


 小声で問いかけると、リーシャは指を一本立てて前方を示した。


「いるだろう? ……気配くらい感じろ。人間だって、牙がなくても狩りはできるんだよ」


 その指先の先には、茂みの影が揺れている。


「いやそんな無茶苦茶な……どんだけ動体視力いいんだ?」

「比べたことなんざねえが、こんぐらいのことは他の種族のやつらだって余裕にできるさ」


 清嗣きよつぐは眉をひそめながらも、言われた方向をじっと見つめる。

 眉間しわしわが寄るレベルで凝視していると、茂みの中で小さな動きがあった。

 僅かに影が、風とは異なる速さで揺れている。


「あれか……?」

「そうだ。仕留めるぞ」


 リーシャはそう言うと、背中に背負った長弓を静かに手に取る。

 その動きには一切の無駄がなく、風の流れすら乱さないほど静かで洗練されたものだった。

 彼女は弓に矢を番え、息を整える。

 清嗣きよつぐはその姿を見つめながら、彼女の全身が森と一体化しているような錯覚さっかくを覚え始める。

 矢が放たれるまでの瞬間、森全体が息を呑んだように静まり返る。


 僅かに風で草木が揺れ、葉が音を立て舞い落ちる。


 刹那――矢は空を裂いて茂みの奥へ放たれ消えていく。短い音が響き、その後には静寂が訪れた。


「よし、


 リーシャが静かに確信をもって呟き、矢の飛んでいった方向へと歩き出す。

 清嗣きよつぐもその後を追い茂みの中を覗き込むと、そこには仕留められた獣が倒れていた。

 彼の表情に驚きが浮かぶ。


「こんな簡単に……」

「はっ」


 清嗣きよつぐの言葉に、リーシャは鼻を鳴らして笑った。


「簡単? 馬鹿を言え。これは技術と経験の結果だ。狼の鼻と目を持たないお前にゃ、まだ遠い世界だな」


 その皮肉混じりの言葉に、清嗣は思わず苦笑を漏らした。


「そうかもしれないな。けど……狩りがとても難しく、でもすごいということだけはわかる」

「何故、そう思う?」


 その一言に、リーシャは少しだけ表情を緩めた。


「まあ、最初にしては悪くない……及第点だ。

 お前も少しは感じただろう? 獲物の気配ってやつを」


 清嗣きよつぐはその問いに、深く息を吐きながら頷く。彼の瞳には、わずかだが、自分自身に対する新たな感覚が芽生えつつあった。

 清嗣きよつぐが仕留められた獲物を見つめる間、リーシャは手早く狩猟用ナイフを抜き、慣れた手つきで準備を始めていた。その動きは一切の迷いがなく、ナイフの刃先が獣の毛皮に触れるたびに、熟練の技術が浮き彫りになる。


 清嗣きよつぐはその光景を目にしながら、自分との圧倒的な差を感じていた。


「ほら、ぼさっと見てないで来い」


 リーシャが振り返りもせずに言い放つ。

 きよつぐは一瞬戸惑いながらも、言われた通り彼女の隣に腰を下ろすと、彼女の鋭い目が清嗣かれを見つめる。


「お前……生きていくのなら、誰かに頼るだけじゃいつか詰むぞ」


 その言葉には冷たさが滲んでいたが、同時に厳しさの裏に優しさがあるのを清嗣は感じた。

 リーシャの手は止まらず、ナイフの刃が正確に獲物の毛皮を剥いでいく。


「一人で生きていくためには知識と知恵、そして力がいる。

 これが自然の摂理だ、甘えは許されない……分かるか?」


 清嗣はその問いに答えられなかった。

 意味は分るし理解もできるが、ただ受動的に生きてきた者――男性きよつぐ――と能動的に生きてきた者――女性リーシャ――とでの言葉の重みは当然違うことだけは痛感させられる。

 だからこそ、清嗣きよつぐは安易に返答せず頷くしかできない。

 リーシャは剥ぎ取った毛皮を手際よく整えると、手元にあるナイフを丁寧に拭うと逆手に持ち替え、清嗣きよつぐに突き出す。

 彼女の口角が少し上がっているように見える。


「まずは知識だ。さあ、お前もやってみろ」

「お、俺にできるのか……?」

「できるかどうかは、やってから言え。最初からできねえって言って決めつけるやつはいつまで経ってもできやしねえ」

「…………」

「フェンリル族にはな、『牙を持つ者は牙を磨け』って言葉がある。自分で動かなきゃ何も変わらねえよ」


 清嗣きよつぐは戸惑いながらも、彼女からナイフを静かに受け取った。

 その刃を握る手がぎこちなく震える。リーシャはその様子を見て、鼻で笑う。


「やれやれ……まずその持ち方からなってない。刃を握る手はこうだ、力を込めすぎるな」

「あ、ああ……」


 彼女は清嗣きよつぐの手を取り、ナイフの正しい持ち方を教える。

 その手の動きは、意外にも丁寧で、彼女がいかにこの作業を熟知しているかが伝わってきた。


「次は皮を剥ぐ時の角度だ。刃を寝かせすぎると肉まで削るし、立てすぎると毛皮が裂ける……力の入れ具合はこんな感じだ、見て習え」


 リーシャが手本を見せながら、清嗣きよつぐの手を導いていく。

 その過程で清嗣きよつぐは、彼女の動きの一つ一つに無駄がないことに気付かされる。

 捌き方を一通り教えた後、リーシャは腰を上げて軽く体を伸ばす。

 その動作は自然で、獣のような軽やかさを感じさせる。

 一方、清嗣きよつぐが立ち上がろうとすると、ぎこちない動きで身体を揺らしながら立ち上がった。


「くく……お前、本当に体が固いな」

「悪かったな……あまり運動してこなかったから」

「いや、それだけじゃねーな」

「……?」


 リーシャが呆れながらもどこか面白そうに口角を上げる。

 彼女の目は清嗣の動きを観察し、そのボロボロの状態にため息をついた。


「まず構造上の問題ってやつだ。アタシらフェンリル族――獣人ライカンスロープも含めた異種族全体と比較して、人間の身体ってやつは本当に無駄むだおおい。関節かんせつ筋肉きんにく全部ぜんぶ非効率ひこうりつだ」

「いや、それは……」


 清嗣きよつぐはその言葉に少し眉をひそめたが、反論する余力もない。

 ただ、彼女の言葉を黙って受け止めた。

 リーシャは肩をすくめながら軽く笑う。


「ま、そんな体でここまで歩いてきたのはぎゃくめてやるべきかもな」

「それ、褒めてるのか?」

「アタシなりに、だがな。まあ、本当ほんとうにどうしようもねえやつはめる部分がない。お前は体もそうだが、精神メンタルがボロボロの状態だ。なのに、お前はまだ生きることをあきらめていない――

「――、か」

勘違かんちがいするな、べつさげすもうなんてかんがえちゃいねえよ。ただ、アタシの人間にんげんたちと比べて、根性こんじょうがあるからおどろいてんのさ。それに」

「それに?」

「なんでお前、『』?」

「…………はい?」

普通ふつうきてりゃそれなりに知識ちしき経験けいけん蓄積ちくせきし、自分自身じぶんじしんたいする自信じしんってやつを大なり小なり身に着けるもんだ。だが、お前にはそれが見えない……んだよ」

「…………――――」

「生に対する執着しゅうちゃくかんじるが、そこにお前自身の根幹こんかんともいえるほこりをかんじねえ。さてはて、どんな人生を送ってきたのやら」

「はは……を、か……」


 尻すぼみに清嗣きよつぐの言葉が消えていく。

 思い出したくないのか、語りたくないのか……暗く深い感情が清嗣きよつぐの全身を覆い隠そうとする。


 リーシャは徐にパンッ! と両手を叩く。


 思わず清嗣きよつぐは目を見開き暗い感情が霧散むさんする。

 フェンリル族の女性は清嗣きよつぐに向き直り、驚く彼にふと問いかけた。


「なあ、お前……得意なことは何だ?」

「……得意なこと?」

「そうだ。お前が一番自信を持てることだよ。自分の牙が何なのか分からない奴は、どこかで食われるだけだぞ。なんかあんだろ」

「…………」


 その言葉に清嗣きよつぐは少し考え込み、やがて静かに答えた。


「考えること……かな」

「考える?」

「ああ……昔から、考えたり妄想を膨らませたりするのが得意だったんだ」


 その答えに、リーシャは一瞬目を丸くし、すぐに微笑んだ。


「ほう、それならいいじゃねえか。じゃあ、考えるのはお前の役割だ。指示を出せ」

「……指示?」


 なんのことだ? そう訝しむ清嗣きよつぐにリーシャは口角を上げ清嗣を指差す。


「ああ、アタシが動くからお前が考えろ。森の地形を読んでどう動けばいいのか教えろ。そうやって持ち味を活かせば二人とも無駄なく動けるだろ?」

「いや、そんなバカな……俺はこの森のことを知らないんだぞ?」

「知らないのならアタシが教えてやる。お前に生きているという実感を得させてやる。それが……昨日今日泊めてやったアタシへの恩義だと思いやがれ」


 その言葉には彼女らしい合理性と皮肉が含まれていたが、清嗣きよつぐにとっては新たな挑戦を促すような響きがあった。


(考えるっつったって、そういう意味じゃなかったんだが……)


 言葉通り、ただ物語を考えたり思いを馳せたりする程度のことを指していたが、彼女はより実践的なものを求めてきた。

 無論、狩猟なんて初めてな上に軍紀ものやバトルものなどを読んでたしなんだりもしていない一般人に過ぎない。

 咄嗟にやれと言われてできるものじゃない……が。


 清嗣きよつぐは深く息を吸い込み、改めてリーシャを見つめる。


「分かった。まずは、森の地形を教えてくれ」


 その言葉に、リーシャは満足げに頷き、手で森の奥を指し示した。


「いいだろう。まずはこの辺りの地形ちけい動物どうぶつの通り道……そして、狩猟しゅりょうのなんたるかをお前の五臓六腑ごぞうろっぷに至るまで沁み込ませる勢いで叩き込んでやる」

「いや、あの……お手柔てやわらかく?」

「あほ言え、お前のママじゃねえんだ。あまやかすつもりなんてねえよ……死ぬ気で覚えろ。それから次の手を考えるんだな」


 清嗣きよつぐはその言葉に頷きながら、心の中でしずかにつぶやいた。


「これだけは覚えろ人間。死にたくなければ全てを血肉ちにくに変えろ。生きるために足掻あがけ……お前というきばつづけろ。いいな?」

「……死にたくなければ、生きるために足掻あがく」

「そうだ。そいつさえできるようになったそんときゃ……考えてやるよ」

「なにを?」


 彼女は答えず、ただ自信と野性味あふれる笑みを浮かべるだけだった。

 清嗣きよつぐは溜息を吐きつつ、両頬を叩く。


(やってやる……こんな俺にここまで教えてくれたんだ。彼女に応えてみたい)


 その決意は、自分自身への誓いだった。そして、彼はリーシャの後を追いながら、新たな一歩を踏み出していく。

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