第3話


 その夜、ベッドに入るとアミアが「怖いなら側で寝てあげる」と言って来た。

 メリクは大丈夫ですと小さく頷く。


 昨日までは側にいて欲しいと頷いていたかもしれない。

 でも今日からは大丈夫だと思った。


「そう? もし怖い夢を見たらこれを鳴らしなさいね。すぐに来てあげるから」

「はい」

 アミアは優しく笑うと、メリクの額を軽く撫でてから「おやすみ」と声を掛け部屋を出て行った。


 一人になるとメリクの頭には、すぐに礼拝堂で会ったリュティスの鮮烈な姿が浮かんで来た。


「……リュティスさま」


 忘れないように呟いてみる。

 大きな柔らかい枕を抱きしめて、身体を丸めてもう一度リュティスの名を呼んだ。


 不思議な感じがする。

 覚えたばかりの名なのに、ずっと昔から知っているような。


 黄金色に輝く綺麗な眼も、一目見てメリクの潜在的な魔力の才を見抜いて示したあの声も。あんな人に出会ったのは初めてだった。今まで会った、誰ともあの人だけは違う。


 胸の奥がドキドキする。

 眠らなきゃと思って眼を閉じるのに、閉じた瞼の向こうに第二王子の姿がすぐに思い出されるのだ。



(明日も……リュティス様に会えるかなぁ……)


 

 明日が待ち遠しいと思ったのは初めてのことだった。


◇   ◇   ◇


 次の日アミアは近頃時間があるとそうしてくれるように、メリクを連れてサンゴール城内を歩いてくれた。

 メリクは竜の彫像があまり好きではないようだ。

 その前を通りかかると握った小さな手の平が無意識にぎゅと握り返して来る。


「子供って素直で可愛いわね」


 アミアは楽しそうに笑いながら歩いていた。

 彼女は時折笑みを隠して真面目な顔で誰かと話す時がある。

 王妃とはそういうものなのだと、オルハが教えてくれた。

 でもメリクはこうして笑っているアミアの方が彼女らしい気がしていた。


「オルハにももうすぐ子供が出来るのよ。私の直感では男の子ね、きっと」


 アミアはやけに自信ありげにそう言った。


「……不思議な縁なのよ。あの子と私は。オルハとは幼馴染みなの。彼女は昔からしとやかで優秀な神官だった。私はこの通り昔からがさつだったけど……正反対な性格なのに何故かいつも一緒だった」


「アミア様とオルハは姉妹みたい」


 メリクの言葉にアミアは声を出して笑った。

「そうね、そうかもしれない。だからオルハにはこれからは……穏やかに暮らしてほしいの。子供が生まれたらその子と友達になる? メリク」


「うん、なる」


 メリクが頷くと、アミアも明るい笑顔で応えた。



 しばらく庭園を歩いていると、メリクが不意にひょこと背を伸ばした。

「ん? どうしたの?」

「あの……」

 指差す向こうにリュティスの姿があった。

 何か本を抱えながら向かい側の回廊を通って行く。

「ああ、リュティスね。おーい、リュティスー!」

 遠慮なくリュティスに声を掛けれるアミアはすごいなぁ、とメリクは思った。


「おはよー!」


 アミアの大手と大声の挨拶に、リュティスは気づいてこっちを振り返ったが、不機嫌そうな顔だった。

「大声を出すな、馬鹿者が」

 忌々しそうに彼は言う。

 メリクがアミアのもとを離れてリュティスの方へ走りよって行く。

「あらあら……」

 メリクの嬉しそうな顔が足元に張り付くと、リュティスはそれを数秒見遣ってから、深くフードを被り直して隠してしまった。

「あらあら」

 アミアがそれを見て吹き出している。


 メリクは構わなかった。

 リュティスの術衣の裾を掴んで側に佇んでいる。

「ふふふ。私達これから王宮書室に行くの。よかったらリュティス一緒に来てくれない? 貴方入り浸ってて詳しいでしょ?」

「行かん」

「言うと思った」

「思ったなら言うな」

 メリクが下から見上げている。

 リュティスは決してメリクを見ようとはしなかったが、メリクはリュティスの側にいるだけで嬉しかった。


「メリクー 行くわよおいでー」


 アミアが呼んでいる。

 少年はリュティスの術衣を掴んだまま、離れることを少し躊躇った。

 そうしているメリクの手に、不意に何かが触れた。

 驚いて見ると、それはリュティスの手だった。


「早く行け」


 術衣をいつまでも掴んでいるメリクの手を外す為の動作だった。

 でもずっと隠れていたリュティスの手が自分に触れてくれて、氷のように表情を動かさない人なのに、その手はひどく温かいのだとメリクには感じられた。

 はい、と元気よく頷いてメリクは走り出す。


 アミアの手を取って振り返ると、すでに第二王子の後ろ姿は石造りの回廊を、木漏れ日の中遠ざかって行く所だった。


「メリクはリュティスが好きみたいね」


 微笑む王妃の顔を見上げた翡翠の瞳が無邪気な色で輝いている。


「嬉しいわ」


 穏やかな風が二人の周囲を通り過ぎて行った。



◇   ◇   ◇



 ……その時メリクはまだ知らなかったのだ。



 一つの思慕が生み出す十の嫌悪。

 たった一つ見出し側にいたいと願う者と、自分に宿命付けられた対極の運命を。

 繋ごうとするほどに強まって行く別離の影。

 苦悩を抱える幾千の孤独な夜も――。



 アミアカルバは『ただ』、サンゴールの王妃であった。

 彼女は魔力の直感を持たざる者。


 第二王子リュティスは魔の直感に優れていた。

 彼はメリクの本質を見抜き……同時に見誤る。

 いや、見ることすら放棄したのだった。



 ――そしてメリクは。

 


 王子リュティスの宿命と真意をまだ知らなかった。


 自分の運命を。

 行く道を。

 待ち受けるもの……そして結末を知らなかった。



 少年の手の中に確かに生まれた唯一のもの。

 その唯一の愛だけをこの瞬間、信仰の火として灯したのである。





【終】

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その翡翠き彷徨い【第4話 眠る愛の底】 七海ポルカ @reeeeeen13

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