関連動画

北見崇史

関連動画

 パソコンでユーチューブを視ていたら、やたらとヘンな動画を推してくる。いわゆる関連動画というやつだ。AIが視聴者の趣向を予想して表示しているらしい。

 俺はアウトドア系のチャンネルが好きなので、オススメされる動画はそういうのがほとんどなんだけど、ここ最近、なんかヘンなのが紛れ込んでくるんだ。


{往曲戸木ビデオ}っていうチャンネル名だ。


 どういうジャンルの動画なのか、いまのところわからない。すぐに視聴して内容を確かめてみればよいのだが、なんだかその気が起こらないんだ。

 どうしてかって、まずは視聴回数が49であること。人の噂かって。あ、それは75日か。投稿日は一年前である。いくらなんでも過疎りすぎで、きっと面白くもなんともない内容だと推察できる。少なすぎて視る価値を見出せない。 

 あとは、動画のサムネイルが気味悪い。

 青い背景に銀色と黒があるんだけど、すごく暗い雰囲気なんだ。風呂場だと思うけど、じめついた感じが伝わってきて、積極的に視たくはなかった。

 はじめの頃はスルーしていたんだけど、なんだか気になってきた。ワンクリックで済むけど、マウスのポインターをそのサムネイルに置くだけで胸騒ぎというか、妙な気分になる。けして気持ちのいいものではなくて、逆にイヤな感じだ。視てしまったら後悔するようだ。だから、あえて確認はしていなかった。

 でも昨日の夜、いつものようにキャンプ動画を視ていて、関連動画から次を探していたら、間違えてクリックしてしまった。

「しまった」

 停止させようと慌ててマウスを操作したが、運悪く内臓電池切れで作動しなくなった。デスクトップパソコンなのでタッチパッドもない。モニターの電源を切ればよかったのだが、オタオタしているうちに動画が始まり、そして視てしまった。

 青いタイル張りの浴室だった。ステンレス製っぽい浴槽には、真っ黒な液体が八割ほど溜まっている。窓はないようだが、わずかな明るさがあった。たぶん照明ではなくて、撮影者の懐中電灯かランタンだろう。それにしても暗い。スマホのライトだけで撮っているのかもしれない。

 映像は同じ視点ばかりで、ほとんど動かない。ときどき揺れるのは手振れだと思われる。音声やBGMはなかったが、息遣いのような異音が、かすかに聞こえてくる。二分ほど視てしまったが、映像はずっとそのままだ。ひたすら、薄暗くて陰気な浴室を映し続けていた。

「なんだよ、これ」

 時間が経ったことで落ち着いてきた。マウスの電池を一度取り出してから、ふたたび嵌め直してみる。ブルーが点灯したので動かすと、マウスポインターが正常に動いた。すぐに動画を止めようとした。視聴時間は三分に近づこうとしている。

「ん」

 突然、ピンク一色の画面となった。ノイズが入った薄いピンクだけの画面だ。

ああ、これで終わりなんだと思っていたら、唐突に画面が切り替わった。

「家か」

 どこかの住宅をやや斜めから映している。日暮れすぎなのか、けっこう暗い。二階建ての戸建てであり、家の前にはブロック積みの塀があった。昭和時代に建てられた古さを感じる。築五十年以上だろう。

 もちろん、カラー映像なのだがモノクロに見えてしまう。古びた家の雰囲気が陰気なのと、もうすぐ日が暮れてしまう時間帯のせいだ。テレビ画面の砂嵐とは違う妙なノイズがある。だけど音楽や音声はない。

「つまらないな」

 不気味なだけで脈絡のない動画だ。視聴回数が49回なのが納得するよ。オカルト好きな層を狙っていると思うけど、これではまるっきり工夫がない。

「なんか、臭ぇな」

 部屋の中が急に臭くなった。ドブのニオイっぽいから、台所の排水パイプでも詰まっているのかもしれない。掃除は明日にしよう。

 もう寝る時間だったので、パソコンの電源をオフにした。するとドブの悪臭がしなくなった。その時は気にすることなく床についた。



 夕暮れ時に散歩をしている。

 いつもは家の近所を一時間ほどかけてゆっくりと歩くのだけど、外気が生温かくて心地よかった。だから、すこし遠くへ足を延ばそうと河川敷付近までやって来た。

 この辺りの住宅地は昭和時代の古い家が多くて、空き家が目立っていた。人が住まなくなった敷地には草がぼうぼうで、年月が経っているところは樹木まで育っている。人から見放された住宅は、玄関の戸が壊されたり窓ガラスが割られたりしていて、もはや廃墟の様相だ。

 浮浪者や犯罪者などが紛れ込んでいるとの噂がある。行方不明になった人がうろついていたとの話もあった。治安としては、あんまりよろしくない場所だ。日も暮れて暗くなってきたし、急ぎ足で帰ることにする。

「あれえ、この家って」

 一軒の住宅の前で立ち止まった。その家に見覚えがあったからだ。十秒ほど記憶の中をまさぐって、思い出すことができた。

「ああ、そうか」

 あの動画で出てきた家だ。

 薄気味悪い風呂場と、その家だけの映像。たしか往曲戸木ビデオだったか。どこか遠くの県かと思ったが、こんな近くにあったのは驚きだ。

 家の中に入ってみようか。どうせ空き家で誰もいないし、薄暮の時間帯は人目につきにくい。物を盗るわけでもないので、もし通報されてもたいしたことにはならないだろう。そうだ、人の呻き声が聞こえてきたから人助けのために入ったと言えばいい。緊急の場合は無罪の法則なんだ。

「すみませーん」

 玄関の引き戸を開けて、そうっと声をかけた。無人だとわかっているが、浮浪者が寝ているかもしれないし、不良がたむろしている可能性がある。

 三十秒待っても返事がないので、勝手に上がることにした。土足は失礼だと思ったけれど、床にホコリが溜まっているので靴を履いたまま侵入した。

 空き家だったが、しっかりと施錠されていたので内部は荒らされていない。住んでいた年寄りが急に老人ホームへ入ってしまったのか、家の中の日用品はすべてそのままだった。和室の布団は敷きっぱなしだし、台所には食器類が残されていて、身一つでここに来て生活しても困らないぐらいだ。

「なんか臭えなあ。ドブ臭い」

 どこからか、ドブみたいなニオイがしてきた。ありがちだが、冷蔵庫の食品が腐っているのかもしれない。興味本位に開けてから後悔したくないので、台所からは離れたほうがいい。

 そうだ、風呂場に行かなければならないな。

 ここがあの動画の家ならば、青いタイルの壁と真っ黒い水が溜まった浴槽があるはずだ。

「うっわーーーー」

 な、なんだ。

 いきなり凄い音が鳴り響いてきた。鼓膜を引っ掻くような、まったく切れ目のないギザギザの連続音だ。ど、どこからだ。

 足元か。

 足の裏への振動が激しい。しかも白い煙が床付近に舞っている。慌てて、その場から離れた。

 台所の床に収納庫があった。跳ね上げ式の扉があって、そのすき間から煙が立ち昇っているんだ。

「ひどいニオイだ」

 煙がきつくてむせてしまう。木や紙を燃やしたのではなくて、あきらかに排気ガスだ。焼きついたエンジンを想像してしまう。

「えっ」

 ヴィーーーーンヴィーーーー―ン、と唸り続けていた音がピタリと止まった。しばし見ていたが、再び唸ることはなかった。恐る恐る扉を上げてみた。

「ゲホゲホ」

 収納庫の中を見た最初の反応は咳き込みだった。詰め込まれた排気ガスが、逃げ道を見つけて沸き上がってきたのだ。鼻の穴の奥にこびり付いたイヤな機械臭を打ち消してから、下を覗いてみた。

 チェーンソーがあった。

 台所の床下収納庫に、どういうわけかチェーンソーである。しかもこれは、つい数十秒前までフルアクセルで作動していた。排気ガスが充満しているし、収納庫の内壁がチェーンで抉られているからだ。

 台所の床下にチェーンソーがあるのも謎だが、無人であるはずなのに明らかに作動していたではないか。こんなことって、ありえないだろう。

「うう」

 これは、なんか、非常にヤバそうだ。

 この家から一刻も早く出たほうがいいと、本能が喚き散らしていた。すぐさま扉を叩きつけてから台所を出た。階段を上って二階の左側の部屋へ入ってから、ハッとして立ちすくんだ

 玄関ではなく、どうして二階へ来たのだろうか。気が動転していて、頭の中がこんがらがってしまったようだ。

「なんだ、ここは」

 部屋の中央にベッドがあった。奇妙なことに、ほかには何もない。畳の和室に花ゴザが敷いてあって、ポツンとパイプベッドがあるんだ。ただし寝具の類はマットレスしかない。元の色はベージュだと思うけど、大量の赤黒いシミで染められていた。

 異様なのは、パイプベッドにチェーンと手錠があることだ。上下左右、合わせて四つの拘束器具がくくり付けられている。

「これって、人の手足を縛っていたんじゃないのか」

 ベッドに人が大の字になって拘束されていた、という絵面を思い浮かべてしまう。

 ゾッとして鳥肌が立った。さっきのチェーンソーと、マットレスの汚らしいシミが不吉でたまらない。ろくでもないことを、いろいろと想像してしまう。

 すぐに踵を返して部屋を出た。今度は間違えるとことなく、この家を後にすることができた。日が暮れてすっかりと闇に包まれた夜道を、足早に歩いた。


 散歩を終えて、無事に自室へ帰ることができた。なんだか気分が良くないので、いつものようにネットで動画を視ることにする。お気に入りのアウトドアチャンルが更新されていたので、さっそく再生する。

「くっそ」

 また往曲戸木ビデオが関連動画に出ていた。いまは画像だけであっても、こいつのサムネを視界に入れたくなかった。

 ただ、いつもの青と黒のサムネではなくて、今度は赤というか全体的に朱色っぽく、ただ中央に黒いものがある。どっちにしても視る気はないので、アウトドアの動画だけにしようとした。

 余計に散歩して疲れたのか、動画をながめながらウトウトしてしまった。お気に入りの動画が終わっているのも気づかなかった。なんとなく目覚めて、クワッとなった。

 往曲戸木ビデオの動画が始まっているではないか。選んでいないのにどうしてなんだ。

 ああ、そうか。自動再生をオンにしていたからだ。こいつは関連動画の最初にあったから、アウトドアチャンネルが終わって、次が始まってしまったんだ。

 すぐに停止しようとマウスを動かすが、なぜだかポインターが反応しない。また電池切れになったのかと思ったが、取り替えたばかりだからそれはない。壊れてしまったのだろうか。

「うっ」

 しかも画面がフル表示になった。動画の画質は悪いが、大きな映像となったので細部までわかってしまう。

 浴室だった。

 壁が赤くて、瓢箪のような特殊な形の浴槽があった。そこには真っ黒い水が溜まっている。撮影者が動いているのか、ガサガサと音がしていた。ただし、ノイズといっても差し支えない程度のかすかな異音だ。耳を澄ましてなければ聞こえない。

 すでに二分ほど経つが、動画は赤い浴室を映し続けていた。前の動画もこんな感じだった。赤い壁の浴室はゴミが散乱していて鏡も割れている。シャワーホースも千切れているし、床が汚かった。たぶん、ラブホテルの廃墟だろうな。

「それにしても、なんだって、こんなに陰気なんだ」

 薄暗くて、しめった感じがして、とにかく滅入る映像だ。イヤだと感じながらも、なぜか見入ってしまっうのは心理の逆説なんだろうか。

 もう三分が経過するが動画に変化はない。そろそろいいだろうと思って、モニターの電源を落とそうとした時だった。

 不意に場面が切り替わった。

「わっ、なんだ」

 布団やシーツが滅茶苦茶になったベッドに女の人がいるのだが、大の字になって伏している様子がおかしかった。強烈な違和感をおぼえてしまい、確かめずにはいられない。モニター画面に顔をくっ付けて、よせばいいのに食い入るように見つめた。

「うわーーーーっ」

 な、なんだこりゃ。

 手足が繋がってないじゃなか。肩口と股の付近から四肢が切断されている。そのあたりが血の海だ。

 くっそ、とんでもないグロ映像だ。おそらく作り物だと思うけど、イタズラにも限度があるぞ。ああ、気持ち悪い。ぺっぺ、唾がとどめなく出てくるじゃないか。

 今度こそ電源を落としたけど動揺が治まらない。胸に手をあてると、尋常ではないほど激しく叩いている。

 どうにも気分が悪いので寝ようとしたが、さっきの動画で眠気が吹き飛んでしまった。睡眠導入剤を倍にして、ようやく落ち着くことができた。あんな動画など忘れて、ぐっすり眠ることにする。



 いつもの日課で、夕食前の散歩をしている。

 生温かさが心地よくて、歩く距離を稼ぐことにした。ただし河川敷付近にはいかない。あの辺りは治安が悪いんだ。

 今回は繁華街を抜けて、北西の住宅地に来ている。盛り場に近いので、ラブホテルがぽつぽつとあった。あやしい照明を見せつけて繫盛している宿もあれば、経営が破綻して暗く閉鎖している建物もある。景気が良くないので、この業界も厳しい。

「けっこう汚いなあ」

 そのラブホテルの出入り口はすべて塞がれているはずだが、内部にはゴミが散らばっている。落書きがないのが救いだが、ゴミを片付けないのはマナー違反だ。新入する際には注意したいことだ。

 ここは、昭和時代からほとんど内装を変えていない。壁紙や調度品には原色が施されていることが多い。浴室の壁も目に沁みるくらいの赤であり、このけばけばしさが生殖本能を高めていたんだ。さぞかし盛りあがったことだろう。匂いまでしてきそうだ。

 ここで、はたと気づいた。

「おい、ここって」あの動画にあったラブホテルじゃないのか。

 ほら、浴槽に真っ黒な液体が溜まっている。ごみが散乱し、千切れたシャワーホースが転がっていて、まったく同じだ。

「くせえな」

 ひどいニオイだ。ドブ水と腐った魚の汁を煮詰めて、その湯気をおもいっきり嗅いだみたいだった。すぐにその浴室を出たはいいが、重大なことに気づいて慄然とする。

 四肢を切断された女が、血だまりのベッドに横たわっているはずだ。考えうる限り残虐で陰惨な現場だ。なんとしても目撃したくはない。

 あれはフェイク動画であって、まさか、そんなことはないはずだが、もしもということがある。絶対に見たくないので目をつむって部屋を出ようとしたが、途中で足がもつれて転んでしまい、どうしても視界を得なければならなくなった。

立ち上がると具合の悪いことに、ちょうどベッドの前だった。

「うう、これはひどい」

 幸いにも、ベッドの上にバラされた女はいなかった。だけど、血だまりと思われる巨大なシミで汚れていた。悪臭が鼻をつくし、コバエも無数に飛んでいる。どういう状況なのか知るために室内を調べようと思ったが、ライトの電池が残りわずかだ。後ろ髪を引かれながら退室するしかなかった。



 部屋へ戻って座椅子に腰かけて、コタツ机に置いたパソコンを起動した。さっそく、アウトドアチャンネルの更新を視ている。好きな動画を楽しんで、溜まったストレスを発散したかった。そうしなければ、永遠に寝つけないような気がするんだ。

 今回のキャンプはかなりの山奥となった。テントではなくて山小屋に泊るようだ。入山したのが夕方間近だったので、その建物に到着した時には、すでに薄暗くなっていた。

 視界がまったく利かないわけではないが、足元に気をつけながら中へ入った。そこは山小屋というには大きくて、ちょっとしたペンションか山荘だ。ただし誰も住んでいないし、まして営業しているわけでもない。全体的に古く煤けていて、廃墟の一歩手前という感じがする。

 動画は、建物へ入ってから地下室へと進んでいた。電気が通っていないのか、天井からの照明はない。古式ゆかしい灯油ランプが柱に備え付けられていて、黄色みが多くて光量の足りない明りを提供していた。

「ん?」

 物音が聞こえる。

 いや、人の呻き声だ。けっこうハッキリとしてきた。地下は広くて奥のほうは見通せないので、部屋の先を確認しなければならない。

「いや、ダメだ、ダメだ」

 それ以上行ってはいけないと本能が叫んでいるが、動画は途切れることなく前進している。「やめろやめろ」、再生はここまでだ。マウスを前後左右に滑らすが、ポインターが定まらなくて動画が停止しない。ならば電源を落とそうとするが、この山小屋には電気が通ってないので、そもそもそうすることができない。

 進むほど明瞭になってくる苦しそうな声は、おそらく子供であって、しかも複数だ。女の子の悲鳴が混じっていて、耳を澄ましていると鼓膜に致命的な傷ができてしまいそうだ。

 地下室に大きな棚があって、そこを左に曲がりたくない。呻き声は泣き声となり、女の子の悲鳴はより甲高くなり、もはや金切り声だ。音量を下げようとするけど、どうにも反応してくれないんだ。

 左に行くのは難事だ。だから、首だけ出して覗き見ることにした。

 ああ、くっそー。

 やっぱりそうだ。

 ぶら下がっているんだ。しかも二つもじゃないか。絶対に手を付けてはいけない存在が吊られているんだよ。

 背中から突き刺して、鋭い先端が鎖骨付近から出ている。全裸の兄妹で、男の子は十歳くらいで、女の子は幼女だ。二人とも痛々しい姿で空に浮かんでいる。まるで生きている生ハムだ。  

 いったい、誰がやったんだ。鉤を刺して吊るすなんて、常人ができることではない。悪魔がやっているのか。こっちを見ている幼い目玉が必死過ぎるんだ。危うく同期してしまいそうで、そうなることが死ぬ程怖い。

 視なかったことにして背を向けた。そこから出ようとしたが、足元にある道具箱が気になった。いまどきには珍しい木製だった。ほどよく錆びついた留め金を外し、中を確認する。肉切り包丁やハンマー、金切りノコ類がぎっしりと詰め込まれていた。

「これはなんだよ。まさか、あの子らに使うんじゃないだろうな」

 あまりの戦慄で、心の中が凍りついた。いったい、どれほどの苦痛を受ければならないのか。どれほどの痛みに耐えれば解放されるのか、考えを巡らすだけで冷や汗が止まらない。

 肉切り包丁の刃に、そっと触れてみる。ほどよく冷たくて、そしてこの鋭さを身をもって知っている。この感じを覚えているのは、なぜなんだ。それは禁忌で呪わしい事実であって、思い浮かべるだけでも吐き気がこみ上げてきた。

 これ以上視ていられないので、パソコンの電源を落とした。寝ようとしたが、心がざわめいて、どうにも落ち着かない。なにを知りたいのか、それがわからなくてもどかしい。どうしても確かめてみたい欲求があった。

 河川敷の、あの空き家に入った。台所へ行き、床下収納庫からチェーンソーを引っ張り出す。薄暗くて手元がおぼつかない。エンジンを始動させようとあちこち触るが、その重たい切断機械は沈黙したままだ。

「これで切られたら、どうなるのよ」

 チェーンソーの刃に指をあてると、ひどく冷たかった。ある種の苦痛を想像してしまい、その血生臭さが鼻の奥へツーンと滲みた。パイプベッドに施された手枷足枷が気になって仕方がない。すぐにでも二階に行って、ベッドごと窓から放り投げてやりたい衝動に駆られた。

 だが、その前に浴槽の水を抜かなければならない。腐ったニオイで涙目になったが、栓の鎖を引っぱったら、真っ黒な水面が徐々に下がってきた。

「でも、ここだけじゃないのよ。ここだけじゃないの」

 繁華街の端にあるラブホテルの廃墟だ。浴槽に黒い水が溜まっている。ひどい悪臭で、水面には無数のウジが蠢いている。毛髪らしき塊が、真っ黒な液体に浮いていた。

 ここに沈んであるものを知っている。散々に引き裂いてから、浴槽へ捨てたんだ。

「ハッ」とした。まだ生きている者たちがいる。虐待されて天井から吊るされているが、死んではいない。いまなら間に合う。助けられるのではないか。

 画面を下へスクロールして、ポインターを関連動画に当てた。山の中の建物に兄妹が監禁されている。背中から鉄鉤をぶっ刺されて、天井から吊るされているんだ。

 兄妹のサムネは痛々しくて見てられない。すぐにクリックして地下室へと向かったが、ここで重大なことに突き当たった。

 いったい、誰がこんな非道なことをしたんだ。{往曲戸木ビデオ}の投稿主なのか。イタヅラや悪ふざけでないことは、あの吊るされた子供たちを目の当たりにすればわかる。きっと異常者がやっているんだ。心の平衡を失ったサイコパスだ。

 いや、待てよ。

 下へスクロールすると、このチャンネルの関連動画がまだあった。コメント欄には、なにも書き込まれていない。猟奇事件が投稿されているというのに、誰も反応しないなんてことがあるのか。大炎上してニュースになるレベルだろう。

 とにかく鬼のようにクリックして、もう一つの動画をすぐに再生する。

 男がいた。両サイドに申し訳程度の毛しかないハゲのアラサーで、お世辞にもイケメンとは言えない。アゴがしゃくれてクシャッとしていて、少なくともわたしの好みではない。

 こいつが{往曲戸木ビデオ}の投稿主なのだろうか。部屋の中で自撮りしているのか、背景が見えた。畳があって、万年床があって、コタツとパソコンと座椅子が映っている。

「この映像は」見覚えがあるところではない。だって、わたしはこの部屋でパソコンを使っているのだから。ネット通販で買ったピンクの座椅子に腰かけて、動画を作成しているんだ。

 これはなんの冗談なの。誰かが盗撮しているってことなの。

 すぐに部屋を出て風呂場へ直行した。

 青のタイルが目につきすぎて、心の中も真っ青になった。浴槽には折り畳み式の蓋が被せられている。これをめくらないと中が見えないが、どうにも触れたくない。とても辛くて、苦悶や苦痛にまみれた所業が為されたことを知っている。どうして、わたしの記憶にその残虐があるのだろうか。

「うわっ、まって」

 突然、後ろから髪の毛を掴まれた。グイグイと強引に引っ張られて、二階へと連れていかれる。パイプベッドがある部屋に入れられたかと思うと、気が遠くなるほど殴られた。気づけば、ベッドに手足を大の字になって拘束されている。

「なによ、これ。どういうこと」

 手足を動かせない。自由が奪われていることへの焦りでパニックとなった。力のかぎり暴れようとするが、非力な女なのでどうすることもできない。

 甲高い機械音が下からやってくる。ビュイーーーンビュイーーーーン唸りながら、排気ガスの煙が漂っている。

 すると、誰かが入ってきた。禿げてくしゃっとした顔の男だ。チェーンソーを持っていて、その固すぎる機械からたくさんの煙が出ていた。

 や、やめて。

 痛い痛い、

 ギャッ、ギャッ、

 ギャーーーーーーーーーーーーーッ。


「うわあああ、あわああ」

 ち、ちくしょう。

 なんだよ、この動画。

 凄惨すぎのにもほどがあるだろう。度を越えているぞ。ホラー動画を気取ったモキュメンタリーじゃないのか。なんで削除されないんだ。運営はなにをしている。

 くっそ、あの痛みはあり得なかった。あんなの、三秒でもムリだ。四肢をやられているのに、背骨を砕かれて脳の髄を掻き回されているかのような衝撃だった。耐えられない、絶対に耐えられるものではない。気が狂ってもおさまらない激痛には、もはや絶望でも生易しい。

 次の動画が勝手に再生された。マウスがないので停止することができない。あの廃墟となったらラブホテルだ。くしゃっとしたハゲ男が、あたし連れ込んだんだ。金をくれるっていうから、ついていったんだ。そうしたらナイフで手足を切られた。痛くて、怖くて、まったく動けなくなった。そうしたらハゲ男に縛られて、それで包丁とノコギリで・・・。

 イヤーーーーーーーーーーーッ。

 痛い、痛い、

 ギョエーーーーーーーーーーーーッ、ギョーーー、ギャアーーーー。


 怖い、とても怖い。

 あたしは、あたしの死を体験している。動画を視ながら、深夜の廃墟ラブホテルで為されたひどすぎる殺害現場を味わっているんだ。

 そう。

 この動画で、わたしは自分の死を追体験している。

 パイプベッドへ縛りつけられて、チェーンソーで切断された、わたしの惨たらしい死だ。極限の痛さに絶望し、金切り声で喉を裂き、心からの懇願を無視された。徹底した執拗さで、この世の地獄を味わった。

 あたしはバスタブに沈んでいる。真っ黒く腐敗した汁の底で死んでいる。

 そして、わたしもまた身体のあちこちの繋がりを断たれてしまい、バラバラにされて、風呂の中に捨てられた。腐って骨から離れた肉が水を真っ黒に汚している。栓を抜いたら、あたしとわたしの骨があるんだ。

 くっそー。

 被害者の身に起こった災厄が、彼女たちを襲った死を追体験するのが、この関連動画なんだ。限界の地平にあるリアルな痛みと、奈落の底で悶えるような絶望を、あますことなく経験するんだ。

「いやいや、だめだだめだ、クソが―」

 次の動画の再生が、もう始まっている。知らないおじさんに、妹といっしょに山の中の家に連れていかれたんだ。二人で泣いてたのんだけど、ゆるしてくれなかった。

 せなかがいたい。いたい、いたいよう。

「おにいちゃん、いたいよう、いたいよう」

 幼さへの残忍非道は絶対に許容できない。そんな惨事を追体験したら、それはもう・・・。

 すぐに動画を停止しなければならない。だけどマウスが反応しないんだ。だったら電源を落とそうとしたけど、ボタンが壊れていて反応しなかった。

「いたいー、いたいー、ぎゃぁぁぁーーーーーーーー」

 妹がよんでいるんだけど、なにもできないよ。オレもいたくて死にそうだ。カラダがういていて足がつかない。はやく、妹をたすけてやらないと。この動画をとめないと。

「あんちゃん、いたいよー、いたいよー、あんちゃん、あんちゃん」

 もう少しで手がとどきそうだけど、だめだ。パソコンからあのケーブルさえ引っこ抜けば、このクソッたれた関連動画を終わらせることができるんだ。

 

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