第五章07 聖女ロズアトリスと聖女シャルルリエル(何もないのか)

 ロズアトリスが皇宮からトリオール邸へ帰って来た頃には、もう夜が明けていた。


 少しでもいいから休んで欲しいというマルティーニとピエールの意向に沿い、ベッドに寝転がって束の間の休息をとる。眠れなかったけれど、ピエールが心身の休まるハーブティーを淹れてくれたからか、それともティモシーと共に飲んだホットミルクのおかげか。身体を起こしたときの反応は悪くなかった。


 大一番の真っただ中にいるというのに、ロズアトリスの一日はいつも通り始まった。朝はピエール特製の朝食。マルティーニの手際の良い支度。ロズアトリスとして屋敷を出ると、日中はルドルダ大聖堂で聖務を全うした。ただ、ふとしたときにヴェルのことが頭をよぎり、落ち着かなかった。


 皇宮でティモシーにはやってもらいたいことを伝えてある。おそらくティモシーはその通り動いてくれているだろう。それについては疑う余地はないが、上手くいくかが心配だった。それから、彼に罪の片棒を担がせてしまったことと、損害を与えてしまったことが申し訳ないのと。


(ロズリーヌには何もないのか……)


 ロズリーヌにティモシーもノアも接触してこなかったことが、何故か気になって仕方がなかった。


 ティモシーには婚約しようとまで言われ、ノアからはヴェルの情報を買っているにもかかわらず。ヴェルがどうなったかの連絡もなければ、協力の要望もない。ロズアトリスとして高みの見物をするわけにはいかないので、ロズリーヌとして協力したかったのに、当てが外れてしまったのである。


(こんなことならロズリーヌとしてノアを尋ねておけば良かった。いや、今からでも間に合うか?)


 ロズアトリスは聖務を終えて帰路についた馬車の中で、難しい顔をして腕を組んだ。約束の零時まではまだ時間がある。すぐにノアの元へ向かえば、あるいは彼の力になれるかもしれなかった。


 思い立ったら即行動のロズアトリスは、馬車が屋敷に着くと扉が開く前に飛び出して、自室に駆け込んだ。後を追って来たマルティーニが外出の支度を手伝ってくれ、ロズリーヌとして出かける準備が整ったところで、扉越しにピエールの声がした。


「ノア様がお越しです」


 ロズリーヌは目を大きくして驚き、マルティーニと顔を見合わせた。だがすぐに気持ちを切り替えて、ピエールに彼をサロンに通すよう伝え、自身もサロンへ急いだ。


 季節的に火をくべていない暖炉の前に用意されたカウチソファに、黒いローブを着て白い仮面をつけ、黒髪を肩口から流したノアが座っていた。ロズリーヌは挨拶をして、向き合える場所にある一人掛けのソファに腰かけた。


「どんな用件で私を訪ねたのだ?」


 気持ちが逸るあまり、単刀直入な物言いになってしまう。けれどノアは気にする様子もなく言った。


「ヴェルが聖女シャルルリエルに拘束され、今は皇宮の牢で裁判を待つばかりなのを知っているか?」


 ロズリーヌは首を縦に振った。


「話しが早くて助かる。その件で、貴方に託したいものがあって来たんだ」


「私に託したいもの?」


 ロズリーヌが問い返すと、ノアは頷いた。


「これを。……これだけは、貴方の判断に任せた方が良いような気がするんだ」


 ローブの下から小箱を取り出し、ローテーブルの上に滑らせる。ロズリーヌはすぐには小箱を手に取らず、ノアの様子を観察した。


 唇には微笑の片鱗もなく、無表情。雰囲気は落ち着いているが、隙の無い風体には妙な緊張感がある。しばらく見つめていても何も言わないのは、ロズリーヌがどのような反応を見せようが小箱の中身を託す覚悟をしているということだ。


 ロズリーヌは彼の覚悟を受け取った。


 小箱を手に取り、そっと中身を見る。


「これは!?」


「それのことは貴方に任せる。それでは、俺は少々忙しいのでこれでお暇させてもらおう」


 目を見開いたロズリーヌを残し、ノアは早々に立ち上がった。そうしてすぐに踵を返すと出ていってしまったのだった。


 彼を目で見送って、もう一度小箱の中身に視線を落とす。


(どうして彼はこれを私に託したんだ!?)


 ロズリーヌは長考した。ノア、あるいはティモシーの意図を測りかねたこともあるが、そもそもこの小箱の中身をどうすれば良いのかという選択を迫られていたからだ。


 やがて結論に達したロズリーヌはすぐにでも行動に移そうと、ピエールとマルティーニを呼びつけた。


「これから外出する。ピエールは会う約束を取り付けてくれ。マルティーニは私の支度を手伝ってくれ。これから彼の人のところへ……」


 そこまで言ってロズリーヌはふと疑問に思った。


(何故、彼は私を彼の人に会わせたいのだ? それも、こんな手土産を持たせて)


 つまり、ノアにはロズリーヌを彼の人の元へ向かわせたい理由があるのだ。それがただロズリーヌに花を持たせたいという理由ではないことは、『狐』というあだ名を持つ彼の性格から推測できた。


「……やめた。もう少し考えてからにする」


 ひとまず二人へ下した指示を取り消して、ロズリーヌはまた考えに耽った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る