第五章05 聖女ロズアトリスと聖女シャルルリエル(間)
聖女シャルルリエルが大聖女エラヴァンシーに進言し、聖女ロズアトリスを呼び出してルドルダ大聖堂に入った。聖女シャルルリエルの後には、手錠をつけた少年を連れたマクシムが続いた。
深更に情報を掴んだティモシーは、長いため息を吐いた。
「……第一の試練の結果が出るか。ロズアトリス様はどこまでを知り、何をされていらっしゃったのだろうか」
大聖女エラヴァンシーが『宝石ドロボウ事件を解決せよ』という第一の試練を下したことは、試練が下された三日後には把握していた。地下都市の代表取締役ノアとして、宝石ドロボウのことは事件が勃発した当初から関わっていたため、大聖女が宝石ドロボウ事件を取り上げたと知ったときは驚いたものだ。
シャルルリエルが社交界で大々的に宝石ドロボウ事件を調査し始めたが、思うように情報を得られず、二の足を踏んでいたのはティモシー(あるいはノア)の情報統制の所為である。元々宝石ドロボウの情報は誰にも掴まれないよう手を回していたのだが、そのおかげでロズアトリスにまで何の情報も回っていなかったら……とティモシーは陰ながら心配していた。しかし、ロズアトリスはそもそも事件の調査をしている気配さえなく、ティモシーは彼女の真意を測りかねていた。
「ロズアトリス様が大聖女様の指示を無視なさるはずがない。だがロズアトリス様が宝石ドロボウ事件を調査しているという情報は得られなかった。教会はこの私でも完璧に情報を把握するのは難しい。代わりに得られたのが、ローズが事件を調査しているということだったが……」
何故、悪女と名高いロズリーヌ・トリオール伯爵が宝石ドロボウ事件に目を付けたのか。
(命を脅かされてまで動く理由は何なんだ?)
ロズアトリスの真意も分からなければ、ロズリーヌの真意も分からない。ここで仮説を立てるなら――。
「どう思う、シリル。ローズはロズアトリス様の指示を受けて動いている……と思うか?」
「さぁ、私にはさっぱり」
執務机を挟んで目の前に立つシリルは冷めた様子で告げる。ティモシーは全く意見交換に参加しようとしないシリルをじっとりと睨んだ。
「お前、ロズアトリス様が第一の試練をどうされているのか気にならないのか?」
「気になると言ったら彼の聖女様を慕っているのかと邪推するくせに」
主の性格をよく分かっている。図星を突かれたティモシーは「それはそうだが」と認めつつ、言い方を変えることにした。
「聖女シャルルリエルが大聖女になっても良いのか?」
シリルは答えを探し、彼にしては少々時間を取ってから口を開いた。
「……聖女シャルルリエルが大聖女になったら、地位を盤石なものとして確立し続けたい貴族たちは喜ぶでしょうね」
ティモシーは手を組んで天井を仰ぎ見た。
シリルの指摘はその通り。貴族のような有力者たちは第一の試練の結果を見てからどちらを支持するのか決め、本腰を入れようとしている。しかしすでに貴族たちの大半は、自分たちの特権を守り続けてくれるであろう聖女シャルルリエルに傾いている。反対に平民たちはどちらかと言うと聖女ロズアトリスを支持しているようだ。
「お前は貴族だが、どちらを推す?」
「貴方が推す方を選びます」
従者として完璧な回答だ。
ティモシーはシリルに向き直り、金色の瞳を閃かせた。
「私は何としてでもロズアトリス様を推す。例えロズアトリス様が無秩序をもたらし、不平等を推進するお方であっても」
「では何故、宝石ドロボウ事件の犯人ヴェルの情報を、彼の聖女様に差し出さなかったのですか?」
ティモシーは唇を引き結んだ。
ロズアトリスからは婚約解消されてから音沙汰がない。それでもティモシーはいつでもロズアトリスの力になれるよう、宝石ドロボウ事件の詳細をまとめた資料を用意し、ヴェルから買い取るふりをした宝石も証拠として残していた。国内では足のつく物も、外国へ売り払ってしまえばいい。ティモシー、いや、ノアにはそれができたのにしなかったのだ。
引き出しを開け、しまってある宝石ドロボウの資料を掴む。けれどティモシーは資料を戻し、引き出しを閉めると大きなため息を吐いた。
「……ロズアトリス様が自ら私を頼ってくださるのを待っていたんだ」
伏せた瞳が見つめているのは契約書。『女神の赤い首輪』を奪おうとした人物の情報を与える代わりに『女神の赤い首輪』を譲り受け、地下通貨で一億稼ぐという、ロズリーヌと交わした契約を記したものだ。
「では何故、ロズリーヌ殿には情報を渡したのです?」
答えを持っているのに、ティモシーは組んだ手を額に当てたまま固まっている。シリルは押し黙った主の後頭部を見つめながら呟いた。
「私はそんな貴方を支持するのですよ」
「――何か言ったか、シリル」
シリルは間髪入れずに「いいえ」と答えた。
しかしティモシーは素早く顔を上げると、下から睨み上げるように言った。
「言っておくが、私の心にあるのはロズアトリス様ただお一人だ。決して、断じて、ローズに恋をしているわけではない」
シリルは「何を言い出すのですか」と眉を寄せた。
「どうでも良いですよそんなこと。ロズリーヌ殿に心変わりしたから彼女に情報を渡したのだと解釈したと思ったのですか?」
「違うのか?」
目を大きくするティモシーに、シリルは呆れてため息を吐いた。
「違います。誰が心変わり爆速単純男を支持するのですか。貴方の欠点はロズアトリス様が絡むと思考がポンコツになることですよ」
「心変わり爆速単純男!? ポンコツ!? ぶっきらぼうな堅物に言われたくない! 不愛想すぎて見合いに失敗したこと、知っているからな!」
「婚約破棄された人に言われたくありません」
「うっ……ロズアトリス様……」
机に突っ伏し、項垂れるティモシー。
シリルがまたポンコツになってしまった主人にほんの少し肩を下げた、そのとき。
――ガサッ
バルコニーへ出る掃き出し窓の外から不審な音がして、二人は同時に口を閉じて音に集中した。
目配せをして、シリルが腰に佩いた短剣を抜き、掃き出し窓へ近付く。
「――えっ」
彼にしては珍しく驚いた声をあげるものだから、ティモシーはすぐに腰を浮かせた。大きく開いた目でこちらを見て、もう一度窓の外を見るシリルの視線を追って、ティモシーも外を見る。
瞬間、ティモシーはバルコニーに飛び出た。
銀の月光を白く反射し、神々しく発光する月の女神が傍の木に引っかかっていたからだ。
「ロズアトリス様!? どうしてそんなところにいらっしゃるのです!?」
ティモシーの麗しの月光。聖女ロズアトリスが、木の上からこちらを見下ろしていたのだった。
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