第四章17 闇の代表取締役ノア(貴方が情報をくれないのなら)

 地下都市の顔役ノアと巷の悪女ロズリーヌ伯爵の二度目の会合は、一週間と経たないうちに果たされた。


 場所は地下都市のノアの屋敷。一度目とは違い、一階のドローイングルームへ通された。質の良い家具が配置されており、壁には絵画が飾ってある。ロズリーヌが暖炉を囲むように置かれたソファのうち、一人掛けのソファに腰かけると、ノアは向かいの一人掛けソファに腰を下ろした。


 ノアは顔を曝している。見紛う事なきティモシー殿下のかんばせだ。その後ろには、右目にモノクルをかけた短い黒髪の青年。


 後ろからマルティーニがロズリーヌの肩を叩き、耳打ちしてくる。


「この人、先日の地下警察の取締役リュタンです。表の名前はシリル・デュボワ。殿下の幼い頃からの護衛騎士兼小間使いです」


 何やら不服そうな声なので、ロズリーヌは声を殺して何かあったのかと問いかけた。するとマルティーニは「ローズ様からの手紙を届けに来たとき、ひと悶着ありまして」と白状した。


「ひと悶着とは何だ?」


 耳聡いノアがリュタンに視線を投げる。リュタンは淡々と答えた。


「面倒な物を持って来るなと追い返そうとしたら、直接ノア様に渡すと言い出したので阻止しようとしただけですよ」


 リュタンの説明はマルティーニに火を付けた。


「阻止どころじゃありませんよ! お屋敷に入ったら足払いされてお腹に一発食らいそうになったんですよ!? 絶対気絶させようとしていました!」


「侵入する方が悪い。それに君は拳を受け流して私の後頭部に蹴りを入れ、私の正体を明かしただろう。蹴られたところがまだ痛い」


 表情を変えずに後頭部をさするリュタン。マルティーニは「私の足を掴んで投げたくせに!」とキャンキャン吠えている。


「……うちのマルティーニが申し訳ない」


「……こちらこそ、うちのリュタンが。すみません」


 主たちは互いに頭を下げ合った。


 マルティーニの興奮が収まるのを待ってから、ロズリーヌは話を切り出した。


「今日此処へ来たのは、貴方から情報をもらうためだ。もちろん『女神の赤い首輪』を奪おうとした者についての」


 ロズリーヌが自信たっぷり、堂々と宣言するので、ノアは口の端を上げて挑戦的な顔で応じる。


「その件は取引で手を引くことになったはずでは?」


「一方的な取引なので無効とする。……としても良いが、別の方法を取ることにした」


 興味が湧いたのか、ノアが前のめりになる。


「別の方法とは?」


「私はこれで情報を買う」


 ロズリーヌはマルティーニに携帯させていた鞄から小箱を取り出し、蓋を開けてみせた。


 大粒のルビーのネックレス――『女神の赤い首輪』がキラリと光る。


 ノアは少々興味を削がれた様子で、ソファの背もたれに背をつけた。


「……宝石ドロボウの情報は売れない。例え二億の価値があるものでも、それ以上でも」


「分かっている。だから私が買うのは宝石ドロボウの情報ではない。私が買うのは『女神の赤い首輪』を盗もうとした人物についての情報だ」


「何を言って……」


 途中で気づいたのか、ノアは押し黙った。反対にロズリーヌは口角を上げる。


「『女神の赤い首輪』を盗もうとした人物が宝石ドロボウと同一人物だという証拠はどこにもない。未遂に終わったから、世間で噂にもなっていなければ、犯罪にもなっていない。私はただ、私が此処まで追いかけて来た『女神の赤い首輪』を盗もうとした人物の情報が欲しいだけだ」


 とんでもない理屈ではあるが、間違っているところはない。


(さぁ、どうする。貴方が情報をくれないのなら、私はこの街の住人からこれで情報を買うぞ)


 ロズリーヌはこの理屈で情報を得ることを決めたとき、ノアでなくとも地下都市の住人なら、少なくともあの日ロズリーヌたちが追って来た人物のことを知っているだろうと気がついた。ノアより地下都市の住人を相手にする方が遥かに楽だ。彼らは侵入者には厳しいが、仲間同士で喧嘩が絶えないくらいには個人の生活も重視している。一人くらい、金に目が眩んで情報を売る者もいるだろう。それでもロズリーヌがノアを通して情報を得ようとしている理由は、彼のことを尊重したいからだった。


 彼は頑なに宝石ドロボウが誰なのかを隠そうとしている。そんな彼の知らないところでロズリーヌが真相に辿り着いたら、彼は何を思うだろうか。


(己の無力を嘆く。それとも私への信頼を失うか……)


 どちらもロズリーヌは嫌だった。だから真っ向から彼にこの取引を持ち掛けたのである。


 ノアは思案しているのか、額に手を当て、下を向いて黙っている。と――


 フフッ……ハハハハハハハ!


 声を出して笑い始めた。


「失礼。貴方を丸め込めたと思っていた自分が可笑しくて。俺との取引を守りつつ反論できないところを突いてくるとは。やるじゃないか」


 認められたことが嬉しくて、ロズリーヌは表情を緩ませた。


「ということは情報をくれるのか?」


「……まぁ、貴方にならあげても良いだろう」


「よし!」


 嬉々とした様子のロズリーヌを、ノアは頬杖を突いて堪能し。頃合いを見計らって。


「ただし、二億ルーブじゃ安い」


 次の言葉を突き付けた。


 ロズリーヌは一瞬で難しい顔をする。そうして真剣に言うのだった。


「後払いでも良いだろうか?」

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