第四章06 闇の代表取締役ノア(翻弄されている気がする)
ティモシーの機嫌が損なったのはその時だけで、それからは円滑に進んだ。
美術品を撤去した後に残るホールの装飾を説明しながら、練り歩いて大きさも体感してもらい、同時に侍従の動線を確かめる。そうして当日控室として使用できる部屋に移動し、同じソファに座ってどういう催しにしようか意見を出し合った。
催しはすぐに意見が一致して決まった。第三皇子主催ということで皇族から男爵家までが集まるだろうということから、仮面で身分や素性を隠して参加できる仮面舞踏会を選んだ。
それから会場内の装飾や採用する楽団、提供する食事などを話し合い、まとまってきたところで一旦休憩を挟むことにした。
あらかじめ侍従に指示してあったため、マルティーニとピエールが運んできたワゴンにはお菓子と紅茶が用意されていた。
「甘いものは好きか?」
二人がケーキスタンドや紅茶をテーブルに並べている間に問いかけるロズリーヌ。すると。
「正直に言うと、食べられないわけではないけれど得意ではないよ。でもジャムは好きだ」
そんなことを言われて、ロズリーヌは驚いて一瞬固まってしまった。
(知らなかった。殿下は甘いものが好きなのだとばかり……)
なぜならロズアトリスとティモシーの会合は、必ず昼下がりのティータイムだったからだ。それも、いつもティモシーからの誘いで始まり、場所は彼の私邸。ロズアトリスが到着すると、一言も発さずとも侍女がティモシーのいるところまで案内してくれ、テーブルいっぱいに並んだ甘いものをたくさん食べるという、毎回お決まりの催しだった。だからてっきり甘いものをたくさん用意して行うお茶会が好きで、彼は甘いもの好きなのだと思っていたのに。
「甘いものが得意ではないとは知らなかった。作り直させようか?」
「充分だよ。スコーンとジャムが三種類もあるからね。ローズは甘いものが好き?」
頷くと、ティモシーはほろりと優しく微笑んだ。
「じゃぁ、私の代わりにたくさんお食べ。私が用意したものではないけれどね」
目の前にあったマカロンやカヌレやケーキを取り分けてロズリーヌの前に置いてくれる。代わりにロズリーヌはスコーンを取り分け、三種類のジャムが入った器をティモシーの前に置いた。
「……」
「……」
何故かスイーツやスコーンはそっちのけで、見つめ合う時間が生まれる。
「食べないの?」
ティモシーが不思議そうに問いかけるので、「貴方が食べるのを待とうと思って」と答えると、「私も貴方が食べるのを待つつもりだった」と言われた。
あはは、とティモシーは口元を手で覆い隠して無邪気に笑う。
「これでは永遠にどちらも食べられないね。ここは一つ、同時に食べることを提案しよう。どうだろう?」
「そうしよう」
ロズリーヌはマカロンを摘み、ティモシーはスコーンを割ってイチゴジャムとクロテッドクリームをたっぷり塗ったものを口に近付けた。
二人とも横目でお互いを確認しながら同時に口を開け――ロズリーヌはマカロンを口に含んだけれど、ティモシーはスコーンを食べなかった。
「同時にと言ったのに……」
「口がちっちゃいなと驚いてしまってね。小さなマカロンをかじるなんて。お腹も小さいのかな? お皿にあるものを全部食べることはできる?」
「これくらいなら食べられる」
「ふぅん。本当かな。ローズが食べられなかったら、私が食べるよ」
ティモシーはさらりと言って、紅茶を手に取り飲み下した。
ロズリーヌは甘いものが得意ではない彼を煩わせるわけにはいかないと、お皿に盛ってもらったお菓子を張り切って食べ進めた。マカロン、カヌレ、そうしてもくもくとケーキを頬張っていると、くすくすティモシーに笑われてしまった。
「どうして笑う?」
「私が甘いものは得意ではないと言ったから、気を遣っているというのは分かっているのだけれど。私のために頑張ってくれているのだと思うと可愛らしくて。小さい口で次々と食べる姿はリスみたいだ」
膨れた頬をつつかれて、ロズリーヌの顔が熱を帯びた。
「は、恥ずかしい……。すまない、はしたなかっただろう……」
ずっと持ったままだったフォークを置くと、ティモシーは「可愛かったのに」と残念がった。
「私は貴方がたくさん食べている姿を見るのが好きみたいだ。遠慮なく食べてほしい」
「私だって、貴方が食べているところを見たい」
ロズリーヌは彼のお皿を持ち上げ、クロテッドクリームとジャムを塗ったまま置かれているスコーンを差し出した。
「それじゃぁ、今度こそ同時に食べよう。こちらの半分は貴方に」
ティモシーは割ってそのままだった片割れのスコーンに、アプリコットジャムとクロテッドクリームをたっぷり塗って、ロズリーヌに渡した。
それぞれスコーンを持って見つめ合う。ロズリーヌが彼の唇にスコーンを近付けると口を開けたので、今度は食べる気があるとみた。
(……なんだか悪戯な彼に翻弄されている気がする)
とは思えども、ロズリーヌは無邪気な彼を楽しんでいた。次はどんな戯れをしてくるのだろうかと期待さえして、彼の手ずからスコーンをかじる。
すると。
ふわりと額にプラチナブロンドの髪が下りてきて、はちみつ色の瞳が目の前に――。
思わず口を離したところで、スコーンに二つの歯形がついていることに気がついた。
(私がかじったスコーンを横からかじられた!)
瞬間、ぼわっとロズリーヌの顔が真っ赤になった。
「……初心な反応をするんだね。キスマーク付きの手紙をくれるくらいなのに」
「キスマーク付きの手紙!?」
身に覚えのないことを言われ、ロズリーヌは思わず大きな声を出してしまった。
ティモシーは徐に懐へ手を滑らせ、指の間に封筒を挟んで取り出すと、ロズリーヌの目の前に掲げてみせた。
「あ……」
白い封筒の裏。ちょうどロズリーヌがサインしたところに、深みのあるブルーベリーのような色合いのキスマークがついていた。
(私の提案を受け入れてもらえるよう祈ったときについたのか!)
手紙を送る前に、封筒に顔を寄せたことを思い出す。
「それは誤解だ!」
意図してつけたものではないという意味だったのだが。
「貴方のものではないと?」
言葉足らずでまた別の誤解を生みそうになり、ロズリーヌは焦った。
「いや、確かに私のものだが、それは事故で」
「つまり私の純情を弄んだと」
「違う! 断じてそんなことはない! 私は真面目に貴方と向き合うつもりだ!」
「ほう。真面目にって、どういう?」
細められたはちみつ色の瞳が圧をかけてくるので、ロズリーヌはしどろもどろになった。
「それは、その、貴方と様々な経験をすることで、貴方がどんな人なのか知って、私がどんな人なのか知ってもらって……。それから将来どうするのかや、どうなりたいかを話し合ったりして……ティム?」
ティモシーは口元に手を当て、くつくつと声を殺して笑っている。
「いやぁ、本当に。貴方といると楽しくて時間を忘れそうだ」
そう零して、ティモシーは皿に残されていたスコーンを平らげた。紅茶も口に運び、堪能するように味わう。
(な、何だ? 何なんだ!?)
何事も無かったかのような優雅な所作に、ロズリーヌは狐に食わされたような気分になった。
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