第四章05 闇の代表取締役ノア(何故だろう)
小鳥が囀る昼下がり。ロズリーヌは屋敷の玄関先でティモシーがやってくるのを待っていた。トリオール邸での夜会の主催を快諾してもらえたので、打ち合わせのために邸へ招待したのである。
二頭立ての馬車が邸の前に停まり、御者台から御者が降りてきた。黒髪で片目にモノクルをかけている彼には見覚えがある。
(確か私たちの婚約の噂を広めた青年……。殿下の従者だったのか)
青年はこちらに会釈をして、馬車の扉を開ける。ティモシー皇子殿下の御出座しだ。
「ご招待ありがとうローズ。秋の夕暮れの色だね。とても似合っているよ」
鮮やかなウィルミヨンのドレスを纏ったロズリーヌを褒め、静かに見つめてくる。
あまりにも、じっと。
「……ティムこそ。冬の夜空の色だ。素敵だよ」
彼の着ているブルーニュイの衣装を褒めることで、彼の瞳の罠から自然と抜け出す。そうしてすぐに「早速だが、ホールへ案内しようと思う。良いだろうか?」と提案した。
ティモシーは「よろしく」と腕を出した。ロズリーヌが手を絡め、行先を指と言葉で示すと、ティモシーは目的地までエスコートしてくれた。
トリオール邸のホールは、普段ギャラリーとして使われている部屋にあたる。黒髪の女神が花に埋もれた壁画。天井からは白い羽の生えた美しい女性の天使が慈愛の瞳を注いでおり、部屋の中心には石像や銅像が並んでいて、ソファや椅子、テーブルなどは壁際に追いやられている。
「素晴らしい」
部屋に入るなりティモシーが美術品を誉めてくれたので、気を良くしたロズリーヌは美術品を一つ一つ解説した。ティモシーはしきりに頷きながら聞き、しげしげと美術品を眺めて歩いた。
「どれもこれもかなりの価値がある。一番は……これだ」
【審美眼】を持つ彼が足を止めたのは、黒髪の女神が描かれた壁画の前だった。
「『赤い首輪の女神像』よりもか?」
意外だったのでロズリーヌは目を瞬いた。
この部屋の中心には、今は亡き有名な彫刻家の『赤い首輪の女神像』という大理石の像が飾られている。長い髪をなびかせ、身に纏ったたっぷりとした布をはだけさせる女神の姿は、大理石を掘って作られたとは思えないほど躍動感に溢れている。そして首元では実際の価値あるネックレスが輝いており、このネックレスこそが、『女神の赤い首輪』なのである。(ロズリーヌは彫刻家の血縁者から、作者はただネックレススタンドが欲しくて彫刻を作っただけらしいと教えてもらっているが、内緒にしている。)
「『赤い首輪の女神像』はそれだけで価値が高く、さらに『女神の赤い首輪』と合わさって、とても値が張る一品になっている。同様に、この壁画も価値が高いよ。物凄く詳細な女性の肉体美と麗しい花を繊細に描き、女性の持つ強さや儚さ、美しさなど全てを表現している」
彼の持つ【審美眼】で見出された美術というだけでも納得するのに、この表現による説得力。もはや疑う余地はない。
「見事だとは思っていたが、それほどまでとは。今度サロンを開いた時に作者に伝えよう。殿下のお墨付きをいただいたと。絶対に喜ぶぞ」
「この壁画を描いたのは男?」
そうだと答えると、ティモシーは「やっぱり」と浮かない顔をした。
「サロンを開くときは必ず私も呼んでほしい」
美術を紹介することで、ロズリーヌが定期的に開いている美術サロンに彼が興味を示してくれればと頭の片隅で思っていたロズリーヌは、彼の申し出にすぐさま飛びついた。
「是非! 皆、喜ぶ! 【審美眼】に敵う美術家がいたらパトロンも考えてほしい!」
「貴方は何故、私がサロンに呼んで欲しいと言ったのか分かっていないようだね?」
端正な顔をにこりともさせず、真顔で見つめるティモシー。ロズリーヌはどうして彼がそんな顔でそんなことを言うのか分からず、首を傾げた。
「私が後援している美術家たちに会いたいのではないのか?」
「もちろん、その者たちには未来の後援者として会いたいが。貴方の周りにちらつく男の影を確認しておきたいんだよ」
「どうして?」
「貴方の魅力に惹かれる者として、こんなに素晴らしい貴方のフレスコ画を描く男を見過ごすわけにはいかない」
「私のフレスコ画だと? どこに?」
ティモシーは無言で黒髪の女神の壁画を指した。ロズリーヌは目を大きく開いて驚く。
「いや、これは女神の壁画だ。本人もそう言っていた。別の作家に頼まれてモデルになったことはあるが、彼には頼まれていない」
「この女神は間違いなく貴方をモデルにしているよ。私には分かる。この女神が目を開ければ、その瞳は鮮やかなマゼンダをしているはずだ」
確固たる自信を持ってそう断言するものだから、ロズリーヌはそうなのかもしれないという気持ちになってきた。さすがに麗しい女神の壁画を見ても自分自身だとは思えないが、モチーフの一部にされたのかもしれない、くらいには。此処は女伯爵ロズリーヌ・トリオール邸だ。画家が気を利かせて伯爵の特徴を反映させていてもおかしくはない。
そうロズリーヌが人知れず納得した裏で。ティモシーは「ところで」と低い声を出した。
「モデルをしたことがあると言ったね。まさか、脱いだりしていないだろうな?」
「まさか!」
ロズリーヌは大袈裟に首を振って否定した。
「さすがにそこまでの依頼は断っている!」
「ということは打診されたことがあるのか」
なおも低い声で問いかけるので、威圧されているような気分になり、ロズリーヌは恐々として頷いた。
「後で貴方の美術サロンに参加している美術家のリストがほしい。その美術家たちに私が自ら会いに行っても支障はないね?」
もう一度、頷く。殿下自ら会いに来てくれるなんて、美術家たちには大きなチャンスになること間違いない。それにティモシーが持つ【審美眼】は美術家たちの間でも有名で、パトロンまでいかなくても自分の作品の真の評価をしてもらえるとなると、喜ぶに違いないのだ。しかし。
(何故だろう。美術家たちに先に連絡して、何処か身を隠せるところを手配しようか? と申し出たくなる気がするのは)
ロズリーヌは内心首を傾げるのだった。
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